第10話

「他の男に持っていかれたくない……? 何を?」

「彼の大切なものを、よ」

 

 大切な物……大切な物なら彼自身が持っている筈だから、私を側に置いておく必要はないのではないかと思う。考え事をして、宙を舞う手が首筋を滑る。指先に何かが当たった。

 

「あっ! もしかして!」

「ようやく分かったの?」

 

 メリアが眉尻を下げて笑う。もう、彼女は気付いていたのだ。彼の大切な物。

 

「これでしょう! このネックレス。知らなかった……これってとても高価な物なのね……。そうよね。サファイアだもの。どうしよう。そうと知ったら不安になってきた」

「えっと……それは確かに高価な物だと思うけど……」

 

 メリアの眉尻が更に下がる。私がこのネックレスの価値に気付いていないことを呆気に取られているのだろう。目が「呆れたわ」と言っているように感じる。

 

「ねえ、メリア。どうしたら良い? そんな高価な物、私持っていて良いのかな? ライナス様にお返しした方が良い?」

 

 三年前に贈られた物だ。きっとこの三年間、ライナス様は気が気じゃなかった筈だ。だから、私の隣を離れなかったのね。言ってくれればこのネックレスは大切にしまっておいたのに。

 

「私が言えることは、お返ししたら大変なことになるってことくらいかしら……」

「そうなの……?」

「ええ、それはエレナが大切に持っていた方が良いわ」

「それなら、帰ったらお父様に頼んでしっかりとしまっておいて貰おうかしら」

「それは駄目。絶対に駄目よ」

「あ、そうよね。目に見えないところにしまわれたら、不安になってしまうものね」

 

 時々胸元に飾って「大丈夫だよ。ここにあるよ」って教えてあげないと!

 

 でも、やっぱり私がまだまだ子供だから誰かにネックレスを取られてしまうと心配なのかしら……。

 

 もっとライナス様が安心できるように強くならないと。いつまでも子供だと思われるようじゃ駄目よね。

 

 そういえば、メリアはとても落ち着いていて大人っぽい。彼女みたいになればライナス様も安心して私の側を離れて殿下とお話しできたりするのだろうか。

 

「ねぇ、メリーー」

 

 私はだらしなくぽかんと口を開けてしまった。だって、メリアの方に目を向けたら彼女はキャロルと二人であの三人組に声を掛けられていたのだ。

 

 キャロルは赤く染まった頬を隠すように扇子で顔を隠している。私からは真っ赤な耳までよく見えるけど。

 

「ねえ、君」

 

 メリアとキャロルを囲むようにしていた内の一人――黒髪の男が話かけてきた。

 

 話し方も遊んでそうな雰囲気がある。とても偏見だけど。

 

「あまり見ない顔だね?」

 

 形の良い口の端は機嫌が良さそうに上向きだ。どこの誰かは分からない。ライナス様に紹介はされたことないと思う。

 

「あまり外にはでないものですから」

「あの子達とは仲が良いの?」

「はい。親同士が仲が良いので、幼い頃から親しくさせていただいてます」

「ふーん、そうなんだ。良かったら庭園に出てみんなで話さない?」

「ええと……」

 

 ちらりとキャロルとメリアの方を見ると二人共楽しそうに話しをしている。でも、ここを動くとライナス様が戻ってきた時に気づけないし。

 

 さすがにここから移動するのは気がひける。彼に迷惑をかけて、「手のかかる子だ。やっぱり婚約なんてするんじゃなかった。ハァ……」なんて思われたら目も当てられない。

 

「申し訳ございません。人を待っているのであまり移動すると迷惑がかかってしまうので、ご遠慮させてください」

「家族と来ているのかな?」

「家族……まあ、そんなところです」

 

 家族ではないけど、近い将来家族になるんだもん! 間違いではないはずよ!

 

「それならダンスでもどうかな? それならすぐに見つかるよ?」

 

 ダンス……。そういえば、私あまりダンスはしたことない。もちろんライナス様とはしたことあるけど、他はお父様とかお兄様くらいだ。

 

 でも、別にダンスがしたくて仕方ないわけじゃないしな……。ライナス様とのダンスは楽しいよ。ちょっと近くでキラキラしてると輝きで目が潰れてしまいそうだけど。

 

 回るたびにライナス様の甘い香りが鼻腔をくすぐるの。それだけで……ああ、好き。ってなる。

 

 一曲なんてあっという間で、そのあと何も考えられなくなっちゃうからダンスは怖いのよ。

 

「ね、ダンスなら良いよね。ほら」

 

 男が私の手を強引に引く。あまりにも強引な誘いに身体を強張らせた。

 

 あ! もしかして……!

 

 私は焦って胸元に下がるネックレスを掴んだ。

 

 これを狙っているのね!? ダンスで密着した瞬間に奪うつもりなんだわ。

 

「絶対駄目よ!」

 

 私は彼の手から逃げるとそのまま駆けた。この建物の構造はよく分からないけど、たった一つ分かる場所がある。――ライナス様が殿下と消えた扉。

 

 階段を駆け上がり、私はその扉の向こうを目指した。

 

 後ろから大きな声は聞こえたけど、振り返らなかった。だって、ライナス様の大切なネックレスを守らなくちゃいけないんだもの。

 

 余所行きのドレスは走るのに適していない。しかもコルセットがしっかり締められていてすぐに息が上がるのだ。このままじゃ死んじゃうかも……!

 

 やっとのことで扉を抜けた。上がる息を抑えながら、ネックレスの無事に安堵する。

 

 ライナス様。私がきちんと守ってみせますから……!

 

 拳を握り強く頷いた。

 

 会場とは裏腹に、扉の向こう側はシーンと静まり返っていた。なんだろう。この入ってはいけない感じ。

 

 胸が不安でいっぱいだ。でもどこかにライナス様がいるはず。扉からちょっと離れたところで隠れていれば、誰にも見つからずに彼を待つことができるかもしれない。幸い廊下は一本道だった。

 

 とはいえ……まっすぐ歩くだけでもちょっと不安かも。このまま知らない場所に行っちゃったらどうしよう。この前読んだ本にそんな話があったわ。道に迷ってしまった少女が不思議な世界に入ってしまう話。

 

 夢物語と楽しく読んでいたけれど、本当にそんなことが起こるのではないかって心配になる。……小説みたいな展開ならないよね?

 

 なぜかこの長い廊下には人がいない。ポツポツと扉があるけど、それを開ける勇気はなかった。

 

 あまり遠くに行くと、迷子になるかな? でも、一本道だし、戻る時はくるっと後ろを向いて真っ直ぐ歩くだけ。心配は無さそう。

 

 そんな不安の中歩を進めている時、突然近くの扉が少しだけ開いた。ほんの少し光が漏れている。小さな声が聞こえてきた。その声がよく知っている声だったから、私は嬉しくなって扉に近づいた。

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