第9話

 キャロルとメリアに対してのよそ行きの挨拶をする。少し膝を曲げるだけの簡易な挨拶だ。


 お茶会の時にやったら、笑ってしまうようなものだったけど、お互い場所をわきまえているせいか、笑いは起きなかった。


「見てたわよ。殿下と婚約者殿に挟まれて羨望の的だったわよ。あと数年もすれば、雲の上の人かぁ〜」

 

 キャロルが両手を合わせて遠く見つめる。視線の先はさっきまでいた席だった。ここから良く見える。つまり、会場にいる色んな人から見えていたということで……。

 

 思っていたよりも随分と目立つ。

 

「今更恥ずかしくなってきたかも……」

「なーに言ってるの。未来の公爵夫人。彼が家を継いで公爵になったら今よりもっと目立つんだから、しっかりしなさいよ!」

 

 キャロルの手が背中を叩く。小気味いい音よりも少し早く衝撃が走った。

 

「いっ……たぁ……」

 

 背中に手形が付いたんじゃないかってくらい痛かった。それよりも大きな音で、会場に響いたと思う。周囲の大人達がチラチラとこちらを見ていた。

 

 誤魔化すように笑い返せば、興味は私達から逸れたみたいにみんな視線を外していく。

 

 絶対「あの子達、こんなところではしゃいじゃってやーね」とか思っているに違いない。

 

「ごめんねぇ〜。そんなに強く叩くつもりなかったの……」

 

 キャロルがすかさず私の背を撫でる。弱々しい声は本当に反省している証拠。彼女はちょっと興奮すると手加減を忘れるから。

 

 緊張してるのかも。二人の方が社交場には沢山出ている筈だけど、そのキャロルが緊張しているならと、ちょっと安心する。

 

「大丈夫だよ。気にしないで」

「キャロルったら、今日はいつも以上に浮き足立ってるのよ。きっと、お目当ての殿方がいるのだと思うけど、エレナは知っている?」

 

 メリアがクスクスと控えめに笑った。そうなの? 春が来たの?

 

 思わずキャロルを凝視すると、彼女は大きな声で「そんな訳ないじゃない!」と叫び顔を真っ赤に染め上げた。

 

「今日はずっとソワソワソワソワ。でも、誰かは教えてくれないのよ?」

「違うったら、そんなのじゃないの!」

 

 キャロルの慌てようからしても、「そんなのじゃない」は通用しないほどだった。

 

 そう言われると気になっちゃう。

 

「誰っ? もしかして殿下っ?」

「もー! それはないよ〜」

「何で? みんな素敵って言ってるよ?」

「でも、雲の上の人でしょ。私みたいなどこの家とも分からないような貴族の娘はお呼びでないの」

「そうかな?」

 

 殿下は確かに雲の上の人だけど、人を身分だけで見ないような人だと思った。もっと違うところを見そう。


 だからこそ攻略は難しそうだけど。

 

「その言い方だとやっぱりキャロルにはお目当て殿方がいるのね」

 

 今まで静かに私達を見守っていたメリアが口元を隠し笑う。言われてみれば!

 

「やめてよ、メリア。てか、エレナもキラキラした目で見ないで」

「だってだって……! 友人の恋と言われたら気になるもの」

「そういうのじゃないの! ただちょっとこの前の夜会でダンスした人が来ていて……」

 

 尻すぼみになっていくキャロルの言葉を聞きながら、緩む頬を押さえた。

 

 私の耳元で「ね、ロマンスでしょう?」とメリアが囁く。思わず何度も頷いてしまった。キャロルはというと、顔を林檎のように真っ赤にしている。顔の熱を冷ますように手の甲を何度も頬に押し当てていた。

 

「ねぇ、どの人? 私の知っている人?」

 

 とは言ったものの、そんなに知っている人はいないのだ。いつもライナス様の後ろをついて歩いているばかりだから、似たような歳の男の人との交流は少ない。どちらかというと、年配の方が多いかも。

 

 私は会場をぐるりと見渡す。この中に居るはずよね?

 

 あの一人で壁際に佇んでる人? それともあっちで女性二人に挟まれている人? あ、あっちかも。男性三人組でチラチラとこちらの様子を見ている人がいる。

 

 そのうちの人がまっすぐキャロルを見つめているような気がした。彼の視線を辿って、キャロルに向かうと彼女は赤い頬を更に真っ赤に染め上げた。

 

「なるほど……」

「な、何が『なるほど』なの! 違うの! 彼はそういうのじゃなくて……」

「私にも分かってしまったわ」

 

 メリアは私の隣で納得顔で頷く。キャロルの顔はもうこれ以上は無理だというほど真っ赤だった。林檎だったらきっととても熟していて甘いだろう。

 

 もう一度視線を戻して三人組の男達を凝視する。

 

 キャロルの気になる人は誰だろう?

 

 真ん中の黒髪の人は遊んでそう。服装が派手だ。ダンスは得意そう。でも、前に「女慣れしている男は嫌」ってキャロルが言っていたから除外かな。

 

 右の無骨そうな人とか? 騎士なのだろう。軍服がよくお似合いだ。でも、好んでダンスに誘いそうにはないかな。どちらかというと、キャロルに誘われたらついていきそうだけど、彼女もそこまで積極的かといえば否だ。彼女は活発的に見えて意外と奥手だから。

 

 じゃあ左にいる人かな。一言で言えば、なんというか真面目そうな人だ。切れ長の目で、仕事ができそうな雰囲気が溢れている。

 

「メリアはどの人だと思う?」

「そうね……私はあの右側の人が好みね」

 

 ん? そういう話だっけ? 見上げると、彼女は「うふふ」と笑った。

 

「メリアは昔から騎士様が好きだもんね」

「だって、守ってくれそうでしょう?」

 

 小さい頃からの騎士好きはそれだけの理由だったのか。

 

「あと、キャロルの気になっている殿方は、きっと左の彼ね」

「メリアもそう思う?」

「ええ、だってそっくりなのよ」

「誰に?」

「この前キャロルに借りた小説の相手役に」

 

 ああ、なるほど。ちらりとキャロルを見ると、既に両手で真っ赤な顔を隠していた。恋する乙女って感じが可愛くて思わず笑みが零れた。メリアも慈悲深い微笑みでキャロルを見ている。

 

「でも、なんで声をかけないの?」

 

 一度ダンスをしたこともある人なら、声を掛けても良いと思うのだけれど、それは許されないのだろうか。

 

「あら、淑女は待つものなのよ」

 

 キャロルの代わりにメリアが得意げに教えてくれた。その言葉に私は思わず首を傾げる。

 

「でも、さっき色んな方がライナス様に声を掛けていたわ?」

「それは特別よ。だって、声を掛けないと話ができないもの」

「そうなの?」

「エレナには一生分からないかもしれないわね」

 

 メリアは意味深なことを言う。ライナス様、今までの社交では自ら声をかけることも多かった。知人なら大丈夫だと思う。

 

「つまり、普通淑女は声を掛けられるのを待っているものだけど、ライナス様相手には別ってこと?」

「そういうことよ。彼は社交に消極的だから、夜会に出ても他の方たちみたいにお喋りに興じたりしないんですって。お母様がおっしゃっていたわ」

「そうなんだ。知らなかった。でも、一緒の時は色々な人を紹介してくれていたわ」

「きっとエレナのためよ。愛されているのよ」

 

 メリアはまた「うふふ」と笑った。そして、ライナス様のように私の頭を撫でるのだ。

 

「もう、メリアも私のことを子供扱いしてる」

「そんなことないわ」

「そんなことあるよ。だって、ライナス様とおんなじなんだもの」

「そうなの?」

「うん。ライナス様もいっつも私のこと、子供扱いするのよ。今日だって迷子になるのが心配で、『私の側を離れるな』って……。私を置いて殿下とお話しするのも渋っていたのよ」

 

 先程のことを思い出し、私は唇を尖らせた。もう少しだけで良いから大人の女として扱って欲しい。このままじゃ、兄妹みたいじゃない?

 

「あらあら。彼はきっと心配なのよ。他の男に持って行かれないか」

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