第8話
随分と話し込んだ頃、ライナス様が話を切った。そうだった! まだ誰にも挨拶をしていないんだった!
「なんだ? もう終いか?」
「今日のところは我慢してください。社交場に来て、社交の一つもできずに帰るのは不本意です」
「社交嫌いのお前に言われるとくるものがあるなぁ」
ライナス様って社交嫌いだったんだ。いつも隣でにこやかに話しているのに。彼との共通点が見つかったみたいで、ちょっと嬉しい。
「私だって最低限の社交はしますよ。その最低限の時間にあなたの相手をさせられるのが不本意なだけです」
言いすてると、ライナス様は私の肩を抱いた。殿下をそんな扱いして良いのだろうか?
不安に見上げたけれど、優しい笑みが返ってくるだけ。
「行こうか」
「良いの……かな?」
「大丈夫。気にすることはない。ジークだって私達と話してばかりだと後から面倒なことになるからね」
長く話し込んでしまっていたとは言え、相手は王太子殿下。無下にはできないと思うのだけれど、ライナス様曰くそうでもないらしい。
「おい、勝手に話を進めるな。……エレナ嬢はもう大丈夫だ。ありがとう。楽しい時間だった」
「いえ、こちらこそ楽しかったです。殿下が話しやすい方なので、あけすけに物を言ってしまったように感じます」
「それで良い。ライナスの妻になるのだろう? そうなれば、もっと付き合いも多くなる。よく顔を合わせる相手に恐縮されるのは苦手なんだ」
「分かりました。ですが、公的な行事では畏ることをお許しください」
「それは仕方ないさ。俺だって公的な場所では威張っているからな」
人好きのする顔でカラカラと殿下が笑う。
「エレナ嬢はこの辺で解放だ。ライナスはもう少し話がある」
「お断りします」
間髪入れずに入った断りの文句に、殿下の顔が僅かに歪んだ。
「話なら明日でも明後日でもできるでしょう?」
「そう言うな。明日は明日で忙しい。今日の内に話しておきたいことがある」
「しかし、エレナを放ってはおけません」
ライナス様が肩を抱き寄せた。やっぱり子供扱いされちゃうよね。
「あのね、私は大丈夫だよ?」
見上げて笑った。一人で待つくらいできるよ。もう十六歳だよ?
「友達とお話ししてるから、気にしないで」
気兼ねなく殿下と話してきて欲しい。きっと私がいるところでは話せない重要な責務があるのだろうから。
ちらっと後ろを振り向けば、遠くの方に見覚えのある顔が見てとれた。――友人のメリアとキャロルが私達の様子を遠巻きに見ていたのだ。ライナス様もそれに気づいたのだろう。少し眉が上がる。
それに、こういう時にちゃんと待っていられるんだよ。ってことを証明したい。そしたら、私への扱いもちょっとは変わると思うのだ。
一人の女性として見てほしい。
「ライナス。束縛のしすぎは嫌われるぞ」
「うるさいですよ。……わかったよ。彼女達と待っていて。知らない人に誘われてもついて行ってはいけないよ」
「大丈夫。ちゃんと待っていられるよ」
子供じゃないんだからそれくらいできるよ!
私は自信満々に頷いた。それでもライナス様は信用しきれていないのか、僅かに顔を歪ませる。殿下がニヤニヤと笑っているのが視界の端で見てとれた。
殿下も私がお子様だと思っているんだわ!
もう二十を超えた彼らからしたら、十六の私はまだまだお子様かもしれないけど、今のそれは五歳くらいの子にする目だ。
思わず頰が膨れる。
「……分かりました。ジーク、少しですよ。長話はお断りします。エレナ、少し彼女達と待っていて」
「うん、大丈夫。だから、お仕事してきて」
ライナス様が眉根を下げて私の頭を何度も撫でた。そんなに不安かな?
今日の会場はそこまで広くないし、迷子になりそうもないんだけど。
「ほら、殿下をお待たせしたら悪いよ。殿下、私のことは気にしないでください」
「すまないな。ライナス、良い婚約者を持ったじゃないか」
良い婚約者……! 殿下なりのお世辞みたいなものだろうけど、その言葉が胸に響いた。ちょっと浮かれちゃう。
「では、失礼いたします」
私は一つ礼をすると、友人達の待つホールへと足を向けた。
ライナス様のお手伝いはできなくても、これくらいの迷惑はかけたくないよ。『エレナのおかげでしっかり話ができた』って言ってくれたら嬉しいな。なんて願望はあるけど、それだとやっぱり子供扱いされてるみたい?
一度足を止め、振り返った。ちょうど殿下とライナス様は会場の外に行くようだ。本当に大事な話なのだろう。
「頑張って」
遠い背中に応援の言葉を投げてもあまり意味はないけど、それだけで役に立ててると思ってしまった。ただの留守番なんだけどね。
私は真っ直ぐに友人の元へと駆けた。いけない。お淑やかに。
ここでは私はノーベン家の娘であり、ライナス様の婚約者だ。屋敷の中にいるみたいに走ったら、「あらやだ、ノーベン家は山の中にあるのかしら。クスクス」とか言われちゃう。
背筋を伸ばしてゆっくり歩きなさい。って昔家庭教師に教わったのだ。本を頭に乗せられた時は、身長が縮むかと思った。他の人よりちょっぴり背が低いのは、多分あの時が原因だと思う。
「エレナ!」
少し離れたところから名前を呼ばれると気持ちが浮き足立つ。ついつい走り出しそうになる足を叱咤してゆっくり歩いた。
けど、近くまでくるとついつい気が緩んでしまって、ほんの少しだけ駆け足になってしまった。
「メリア! キャロル!」
「エレナ、ごきげんよう」
メリアが優しく微笑む。全てを包み込む聖母のような微笑みに思わず頬が緩んだ。
「二人ともごきげんよう」
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