第6話
「すまなかった。エレナ嬢、久しいな」
大きな口が弧を描く。殿下とは社交界デビューの日、王宮の舞踏会で会って以来だ。相変わらず男前でいらっしゃる。
「お久しぶりでございます。殿下もご機嫌麗しく――」
「そういうのはいい。前にも言っただろう? 堅苦しい挨拶は苦手なんだ。こいつの婚約者なんだ。気楽に話しかけてくれ」
「申し訳ございません……」
「ジーク」
私が萎縮すると咎める声が響いた。隣ではライナス様が目くじらを立てている。こんなに素直に怒りを顔に出すのは珍しい。いつもは我慢しているのが眉とか目にチラッと見えるくらいなのに。
それくらい、殿下とは仲が良いってことなのだろう。
私だってそんな顔向けられたことないのに!
「あー……。悪かったって。エレナ嬢、俺は別に怒っちゃいない。こういう奴だと思ってくれればそれで良いさ。本当はかしずかれるのも嫌なんだ」
「はい。私の方こそ申し訳ありません」
殿下に慰められてしまった。こんな状態では臣下として失格では? 証拠にライナス様はため息混じりにこちらを見ている。
始まって早々に失敗しちゃったかもれない。
「ライナスがいつも君を隠すから、今日は会えるのを楽しみにしていたんだ。気が急いてしまった」
殿下の白い歯が顔を覗かせる。その笑顔が少し茶目っ気を含んでいて、少しだけ気が楽になった。
殿下はとても素直で明るい人なのだろう。前に挨拶したのは王宮の舞踏会で形式張っていたからあまりよく分からなかったけど。
「私も殿下にお会いできて嬉しゅう……いいえ、嬉しいです」
「それで良い。これから顔を合わせる機会も増えるだろう? 公的な場所以外は気楽にしてもらいたい。カチカチした言葉は肩が凝るんだ。もしも誰かに咎められたら相談してくれ」
「お気遣いありがとうございます」
殿下は顔をしかめて肩を回した。堅苦しい挨拶じゃなくてその豪華な衣装にこそ肩凝りの原因があるような気がしてならない。
そうだよね。生まれた時から堅苦しい空間にいたら大変なことも沢山あるよね。だからこそ、普段は気楽に話したいのかも。
うんうんと一人で自問自答していると、私の肩を抱くライナス様の手に力が込められた。
「さて、ジーク。これで良いですね? 約束は果たしました」
「おいおい! まだ顔を合わせたばかりだろ?!」
「『久しぶりに会いたい』という話だったでしょう」
「なんだよ、その『約束は果たしました』顔。大概にしろよ。エレナ嬢、あっちに席があるんだ。三人で話をしよう」
殿下は視線で先を指す。人が多くてその先に席があるかは分からないけれど、きっとあるのだろう。肩や腰を抱き促すようなものことはされない。でも、既に「あっち」と指した方に身体を向けた彼からは有無を言わせない強さがあった。
確認のためにライナス様に視線を向ければ、僅かに肩を竦める。これは殿下の勝利ってことで良いのかな?
「手短かにお願いします」
「あのな……」
「あなたの話は長すぎますから」
「話すのが好きなんだ。少しくらい良いだろう?」
「少しと言いながら夜会の時間延々と話し続けたのはどこの誰だったか……」
殿下がすかさず肩を竦める。ライナス様のため息が小さく聞こえた。このやりとりは二人にとっては日常茶飯事なのかな。言いあっているにしては二人とも苛立ちみたいなのは感じなくて、楽しそうなんだもの。
こうなると会話に入ってはいけないような気がして、私は二人の顔を行ったり来たり。会話の応酬は続いていった。
調子の良い言葉が殿下の口から音楽のように流れる。それに重なるようにライナス様が言葉を紡ぐ。私はただ、その流れに身を任せた。
このテンポの良い会話に入る方が難しいし、さっきまで気を張っていたから疲れちゃった。殿下とライナス様が話している間は誰も入ってこないだろうし、ちょっと休憩。顔さえ取り繕っておけば、変じゃないよね。
それに、いつもとは違う調子のライナス様を間近で見られるなんてなかなか無いもの。これはこれでご褒美。
私の前ではいっつも優しく笑うけど、殿下の前だと少し不機嫌そう。あと、敬語を使うわりに口調が厳しい気がする。
「このままではエレナが疲れてしまいます。席に移動しましょう」
ライナス様が提案してくれたのはそれから少し経った後。別に疲れてないけど、座っていられるのなら悪くは無いかも。
「ああ、そうだな。エレナ嬢、もう少し付き合ってくれるか?」
「勿論です」
沢山お話しして、ライナス様の別の顔を見せてくれたら最高に嬉しいですとも。
満面の笑みで頷くと、殿下は嬉しそうに笑った。逆にライナス様はちょっと不機嫌そう。
殿下に先導され、ライナス様と共に歩く。周りの人達が頭を下げていった。私にじゃなくて殿下になんだけど、後ろを歩いている私は生きた心地がしない。
良い気分。なんて思える度量があれば良いんでしょうけど、そんなこと思えるわけないじゃない。
緊張が伝わったのか、私の手を握る彼の手が強くなった。「大丈夫だよ」と言われているみたいで、ちょっとだけ気持ちが浮上する。
早く着け、早く着け〜。
もはや呪いのような心の中で唱えた呪文は、あっさりと受諾された。それが更なる不運を招くとも知らずに。
目の前に現れたのは三脚の椅子。そこはまだ良い。いや、想像できなかった私が悪いのだけれど、これは想像を絶する光景だった。
会場にある階段を数段上がった場所。会場を見渡せる場所があった。見渡せるということは、見られるということで。殿下は言わずもがな王族だ。もっと頭を使えば、こうなることも想像できた筈だった。
思わずライナス様を見上げたのも仕方ないことだと思う。「ここ、すっごく目立つよ? 大丈夫?」という気持ちを視線に込めて見つめる。けど、彼は首を傾げるばかりだった。
そうだった。ライナス様は小さい頃から殿下と一緒にいるんだった! しかも彼だって負けずと劣らずやんごとない身分の人じゃない! このくらい普通よね。寧ろ誰からも話しかけられないから静かで良い。くらい思っててもおかしくないよね!
こうなったら、腹をくくらねばならない。「なんでもない」と頭を横にまっすぐ椅子を睨む。
椅子が三脚。どれも先客はいない。多分、殿下がわざわざ用意させた物だろう。
ここに座るの……? 貴族の娘なんて言っても、古いだけの屋敷に住んでるただの女の子だよ? 少しハードルが高すぎるというか……。
「ここなら座っていられるから疲れないだろう?」
殿下は得意げに椅子の背を撫でた。とっても目立つってところは目をつぶれってことなんだね。
ため息を飲み込んで、椅子に腰を下ろすしかない。ライナス様が殿下とお話しする時の顔を近くでゆっくり眺められる特等席に座るには、これくらいの代償は必要よね。
私が腰を下ろすと、殿下は嬉しそうに笑った。キラキラキラ〜って音が聞こえてきそう。
「社交場には慣れたか?」
殿下が話を始める。私はニコニコと笑っていれば良い。
……ん?
「えっ、私? ……ですか?」
思わず素っ頓狂な声が漏れた。
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