第4話

 私達が到着したのは開演の少し前。既に大きな劇場は満席だった。今日は王太子殿下がいらっしゃる予定だから、彼を一目見るという目的なのは明白だ。

 

 王太子殿下はとても男前な方で、貴族令嬢のみならず市民からの人気も高い。

 

 まだ彼は到着していないせいか、隣のボックス席に座ったライナス様に視線がいく。つまり、隣に座る私にもビシバシとその視線が突き刺さる訳で。

 

 昨日お母様から教わってきたのよ。ボックス席では笑顔。そしてお母様は最後に「むっつりしていたり、そわそわしていたら好き勝手に物語を作られてしまうわ」と言った。

 

 でも、ずっとにっこりって難しい。頰がつりそうだもの。


 その点、ライナス様はとても優しい穏やかな笑顔を見せている。やっぱり生まれながらに公爵としての気質とか気品とかが備わっているのかもしれない。


 横目で何度も彼の笑顔を盗み見てしまったことは、誰にも言えない秘密になりそうだ。

 

「もしかして、緊張している?」

 

 耳元で囁かれ肩が跳ねた。別の意味で緊張してきたと思う。不意打ちの囁きは八年婚約者をやってきてもなかなかない。


 変な声出るところだった……。


 やっぱり、ライナス様から見ても笑顔が引きつっているのかもしれない。

 

「こういう視線は慣れてないもの……」

 

 思わず眉尻が下がってしまう。いけない。笑顔、笑顔。

 

「無理に顔を作らなくて良い。エレナは普段のままが一番可愛いんだから」

「大丈夫。私だってちゃんとできるよ」

 

 初めて何かをする時ははいつだって緊張する。でも、だからってできなくて良いわけではないと思うの。だって、私はノーベン家の娘で次期公爵であるライナス様の婚約者だ。

 

 ライナス様はそれ以上何も言わず、頭を撫でただけだった。また子供扱い。早く子供扱いから抜け出したいな。

 

 会場が騒めく。視線が一斉に私達から隣へと移動した。王太子殿下がいらっしゃったからだ。

 

 黄色い悲鳴が聞こえる。結婚してもおかしくない年齢にも関わらず、婚約者どころか浮いた話一つない彼は、「いつか隣に」と夢を見るにはちょうど良い相手なのだろう。


 雲の上のそのまた上にいるような人だと、妄想も捗るのだと言っていた人がいた。

 

 そういえば、なんで王太子殿下は婚約者もいないんだろう?

 

 彼がみんなの声に応え終えると、会場が静まる。舞台の上よりも彼が気になる人もいるみたいで、前を見ずに上ばかり見つめている人もいるけど。

 

 ボックス席から他の席を眺めている間に、幕が上がった。

 

 

 

 

 

 

「楽しかったぁ……!」

 

 拍手喝采の中、私は小さく呟いた。その小さな声がライナス様の耳にはしっかりと入っていたらしく、目を細め何か言いたげに微笑まれる。

 

 何だろう?

 

 思わず首を傾げると、彼の綺麗な顔がすぐそばまで近づいた。髪の毛が、頬を掠め胸が跳ねる。

 

「今日一番の笑顔だ」

 

 ポンポンと頭を撫でるのはいつもの暖くて大きな手。耳元で囁いたのは、多分声が拍手にかき消されないようにするため。なのに、いつもと違う気がして頰に熱が上がる。

 

 会場が明るくなくて良かった……。

 

 まだ観劇しか終わっていない。これから夜会もあると言うのに、心臓が忙しない。コルセットに押し上げられて口から飛んでいってしまいそう。

 

 私はそれを誤魔化すために、口早に感想を伝えた。

 

「侯爵令嬢が男の頬を叩いた時は胸が跳ね上がったわ。気が強いとは聞いていたけど、婚約者なのよ?」

「他の女性にうつつを抜かしたんだ。それくらいされても仕方ないかもしれないね」

「あとね、令嬢が『恋に溺れるのは自由だけれど、私を巻き込まないで』って台詞。とーってもかっこよかった。私だったら恋敵ライバルと婚約者が寄り添う場面でそんなこと言えないもの」

 

 気が強いと言われた王太子妃だけれど、それだけでは無いように感じた。芯の通ったとってもかっこいい女性だ。

 

「私はエレナにあんなこと言わせるようなことはしないよ」

「うん、分かってるよ。でも、もしもって考えちゃうことあるじゃない?」

 

 ライナス様はとても優しくて、いつも私のことを気遣ってくれる。いわゆる幼馴染だし、彼が不誠実なことをするような人ではないのは今での経験で良く分かっていた。きっと、私よりも良い人を見つけたら、私との関係を清算してから他の人の手を取るような誠実な人だ。

 

 ノーベン家の古い歴史は、ライナス様の支えになる。私が婚約者に選ばれた理由の大部分がそれだと思う。だからって、そこに胡座をかいていては駄目なのよね。


「今回の題名タイトルの『悪役令嬢』も言い得て妙よね」

「そうだね。悪役に仕立てられた主人公を的確に表している」


 物語の中で王太子妃となる侯爵家の娘は恋敵によって悪役へと仕立て上げられていく。あまりにも用意周到なやり方に、見ているこっちはどっちが悪役か分からなくてなっていったほどだ。

 

「でも、あんなに頭が回って気の強い方が王太子妃になったのだとしたら、隣国は駆け馬に鞭ね」

「そうだね。エレナは良く見ているし、良く考えているね」

 

 ライナス様は私の頭を優しく撫でる。しかし、表情は僅かにかたかった。

 

 隣国の力が増したと思えば、そうなるのも仕方ないのかも。

 

「そういえば、ライナス様も真剣に見ていたでしょう? どこが面白かった?」

 

 会場内は劇に集中する人、ボックス席にばかり目を向ける人、眠る人、お喋りに興じる人とそれぞれだ。特に舞台を真剣に見ている人は少なかったように思う。

 

 それを確認できたのは最初くらいでどんどんのめり込んでしまったから、もしかしたら後半の比率は全然違ったかもしれないけど。

 

 ライナス様は隣でとても真剣な眼差しで観劇していた。それはもう、一度だって私の方を見ないくらい。

 

「そうだね。王太子妃の強さと、彼女の恋敵として出てきた女の出自かな」

「出自? あの男爵の娘?」

「そう」

「確か――南の農村出身だっけ?」

 

 男爵の落とし胤で、十の時に引き取られたと劇中で語りが入っていたのは記憶に新しい。

 

 王太子妃に負けた彼女がその後どうなったのかは語られていなかった。

 

「なんでそんなに南の村が気になるの?」

「隣国の南はここから一番遠い場所だからね。見たこともない花が咲いたりするんだろうなと思ってね」

「そっか。行く機会なんてないもんね」

 

 件の国は我が国の南に位置しているから、その最南端にある村はきっと想像もできないくらい暖かいのだろう。

 

 夜会までの間、二人の会話が尽きることはなかった。

 

「ついつい話し過ぎちゃった……」

 

 しかも、私ばっかり。最初こそライナス様も口を開いていたけど、段々と相槌が増えていって、最後にはそれしか聞かなくなった。

 

「ごめんなさい。私ばっかり」

「謝らなくていい。私がエレナの話を聞きたかったからそうしたんだ」

「ありがとう。でも、話し過ぎだったら教えてね。私、ちゃんと制御するから……」

「一晩中でも聞いていられるのに?」

「それじゃあ私の声が枯れちゃうよ」

「エレナの可愛い声が枯れるのは辛いな。では、その前には一度止めて休憩をするようにしよう」

「もうっ! 本気なのに冗談だと思っているでしょ?」

 

 頬を膨らませて睨めば、彼は肩を竦めるだけだった。

 

「本当は家に帰す時間までエレナの話を聞いている方が私には幸せなんだが、そろそろ時間だ。夜会に行こうか」

 

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