第3話

 公爵家の馬車は我が家の物よりも何となく豪華だ。小さな頃に何気なくお父様に聞いて、「大人の事情かな」なんて微笑まれたことがある。

 

 この馬車はライナス様専用らしく、いつも同じ御者がいる。もう一人いるらしいけど、私がいる時はいつもこのちょび髭が似合うおじ様だ。

 

 もう一人はライナス様とそんなに変わらない年齢の若者だと聞いたことがある。

 

 揺れる馬車に身を任せながら、窓の外を眺めた。

 本当は隣にいるライナス様の麗しい顔を見ていられたら最高に幸せなんだけど、こんなに近くで見つめていたら少し変に思われそうだから今は我慢。とは言ってもこの距離で見つめていられるほど、私の心臓も強くはないんだけど。


 馬車の窓にうっすらと映るライナス様はどことなく優しい笑みを浮かべていた。

 

「今日の劇、とっても楽しみ!」

 

 観劇は社交の場、大人の娯楽。実を言うと今回が初めてなのだ。「いつか行ってみたい」と前に零していたのをライナス様が覚えていてくれたみたい。


 先日お誘いのお手紙を頂いた時は舞い上がった。あの手紙は家宝にしようと思う。

 

「今日の舞台は隣国の王太子妃をモデルにした物語になっているそうだよ」

「最近ご結婚されたっていう……あの?」

 

 以前、お母様から噂話を聞いたことがある。隣国では、とても気の強い方が王太子妃になられたとか。

 

 あの時お母様が含みのある笑いを見せながら言っていたから、あまり良い意味ではないのだけはわかる。

 

「そう。名前は何だったかな……イライザ……いや、イザベラだったか」

「その方がモデルになっているなんて、お隣の国で何かあったのかしら?」

 

 こういう社交場で行われる劇は、旬の噂話を題材にされるという話は有名だ。


 わざわざ隣国の王太子妃を話の種にしようっていうんだから、きっと意味があるはず。

 

「良くも悪くも王太子との結婚は目立つからね。それに、下級貴族の娘と王太子の取り合いをしたらしい」

「取り合い?! あ……だから『気の強い』なんて言われているのかしら?」

「私もまだわからないことだらけなんだ。きっと詳しくは劇を見ればわかると思うよ」

 

 ライナス様の言うことが本当なら、好きな人を取り合う話ってこと? なんかちょっと怖い。もしもライナス様の前に別の女性が現れたら……。なんて考えてしまう。

 

 他の人の手を取る彼の姿を想像するだけで胸が痛い。


「不安な顔をしているね」

「ごめんなさい」

 

 折角のお出かけなのに、こんな顔してたらライナス様にがっかりされてしまう。

 

 けど、彼は嫌な顔一つせず優しく私の頭を撫でる。そして眉尻を下げた。

 

「謝らなくて良いんだよ。でも、エレナには笑っていて欲しい」

「……うん。ありがとう」

 

 どうにか口角を上げることができた。きっとぎこちなかったことだろう。彼はもう一度頭を撫でた。それで終わりと思いきや、突然腕に力を込められて、気づけば私の上半身は彼の腕の中に閉じ込められていた。


 ええっと……! これはどういうことだろう?


 何度か目を瞬かせたけど、答えは返ってこない。


 風の通る隙間がなくなったせいか、体温が上がった気がする。ぴったりとくっついているから、今にも彼の胸の音が聴こえてきそう。それが聴こえてこないのは多分、私の中の音がうるさいせいだ。

 

「隣国の王太子妃本人が来るわけではないのだから安心して」

 

 ライナス様の優しい声に胸が跳ねたと同時に、彼の言葉に思わず見上げてしまった。

 

「そんなこと心配してないよ……!」

「ああ、分かっている」

 

 訳知り顔で笑顔を向けられる。まるで子供を宥めるようだった。ああ、完全に勘違いされている。

 

 違うの! 私は他の人にライナス様を奪われたらって考えたら怖くなっただけで、件の王太子妃のことを気にしていたわけじゃないの。

 

「今の絶対、分かってないよ……!」

 

 唇を尖らせる。けど、彼は「はいはい」と言って私の頭を撫でるばかり。これ以上は聞き入れてくれなかった。

 

 なんか、すっごく理不尽。


 でも、彼の腕の中は慣れると心地良くて、次第にどうでも良くなった。

 

「今日は殿下がいらっしゃるんだ。エレナに会いたがっていたから、観劇が終わったら挨拶に付き合ってくれる?」

「ええ、勿論。……粗相をしないように気をつけなくちゃ……!」

「気負わなくても大丈夫だよ」

「そんなのいけないわ。だって、相手は王太子殿下でしょう?」

 

 王族で、しかもそのうち国王陛下になる方だ。そんな方の前で変なことをしたら我が家の恥だし、そんな婚約者をもったライナス様の恥になる。

 

 それだけは絶対避けないと。

 

 それに、私だってもう立派な淑女だってことを分かってもらいたい。

 

 小さく拳を作ると、彼が目を細めて笑った。多分、子供っぽいとか思ってるんだと思う。

 

「あいつとの挨拶はサッと済ませるつもりだから、気張る必要はないよ」

「あいつ……」

 

 王太子殿下のことを「あいつ」呼ばわりできるのはこの国に何人いるかしら?

 

 ライナス様と殿下は血の繋がりのある親戚だから、子供の頃からよく一緒にいるとは聞いていた。

 

 今は側近……というより、話し相手に近いと前に教えてもらったことがある。

 

「でも、やっぱり人の目はあるでしょう? 私の評価が下がると、ライナス様の評価も下がっちゃうもの」

「エレナは良い子だね。私のことを心配してくれていた?」

「だ、だって! こ、婚約者だもの……」

 

 ライナス様の笑顔があまりにも神々しくて、言葉が尻すぼみになってしまった。何年たっても慣れない麗しさ。

 

 結婚して毎日顔を合わせたら慣れるのかな?

 

 熱を冷ますために、手の甲をペタペタと両頬に押し付ける。きっと、頬が林檎みたいに赤くなっていると思う。熱と間違われて、観劇を中止になんてことになりかねない。

 

「ありがとう。可愛い婚約者にこんなに気遣って貰える私は幸せ者だ」

 

 ライナス様は甘い声で言うと、ますます顔を綻ばせた。それ以上は目が潰れてしまう。

 

 国宝のサファイアと遜色ない瞳は私ばかりをうつす。

 

 馬車には彼と二人きりで、まるで世界に私達だけのような気分にすらなってくるから困る。

 

 馬車が揺れるたびに彼の髪の毛が微かに揺れて、私の胸元のサファイアが揺れて。

 

 観劇なんかせずに、このままずっと見ていたい。

 

 やはり、この美しい顔は飽きることも慣れることもないと思うのだ。

 

 しかし、意地悪な馬車は終わりを告げるように、ゆっくりと速度を落とし止まった。

 

「着いたね。行こうか」

 

 ライナス様は爽やかに微笑む。名残惜しさすら感じない。

 

 うーむ。このままずっと二人で……なんて思っていたのは私だけ?

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