第2話

 約束の時間を示す鐘が鳴り始める。

 

「ライナス様は時間に遅れたことがないのよ」

「そうでないと、王太子殿下の側近なんてなれるものでもないのかもしれません」

「そうかも。さあ、ケリー! お出迎えに行かなくちゃ!」

 

 飛ぶように部屋を出た。ケリーの大きな声が後を追ったけど、そんなことよりも早く広間に行きたかったんだもの。

 

 私の部屋は屋敷の二階、広間からは随分遠いところにある。昔戦果を挙げたご先祖様のお陰で屋敷だけはやけに立派なせいだ。

 

 足音が廊下に響く。ドレスの裾が足にまとわりついてとっても邪魔だった。でも、裾を高く持ち上げるとはしたないと怒られるのだ。少し足首が見えるくらいどうってことないとおもうのだけれど。

 

 私が広間に続く階段にたどり着いた時には既に外からの扉は開いていて、金の髪が太陽の光を浴びキラキラと輝いていた。

 

「ライナス様!」

 

 思わず声を上げる。彼は二度目を瞬かせると顔を上げた。美しいサファイアが向けられて胸が跳ねる。同時に彼はその宝石を隠すように目を細め笑った。

 

「エレナ」

 

 甘さの含む声で名前を呼ばれるだけで心が躍る。気づけば広間の階段を駆け下りていた。

 

「いらっしゃいませ」

 

 飛びつくように抱きつけば、ライナス様の腕がしっかりと抱きとめてくれる。いつも私を受け止めてくれる腕。私はこの腕が大好きだ。

 

「こらこら、エレナ。もう十六なんだ。少しは落ち着きなさい」

 

 後ろからお父様の声が降ってきて肩が震えた。ゆっくりと振り返る。お父様は笑顔を携えたまま、私を見つめていた。

 

「お父様……いらしたの……?」

「なんだ。ずっとライナス君の側に居たじゃないか」

「だって、いつもはいらっしゃらないから……」

 

 居ないと思っていたの。お父様がいると分かっていたら、もう少し落ちついた行動を取っていたと思う。ちょっと走るだけでお母様よりも怒るのだ。しかも、静かに笑顔で怒るからとっても怖い。


 この時間はいつもお仕事でしょ?

 

「エレナ、お転婆が直らないようでは嫁になど出せないよ」

「これはちょっと慌てていたから……! いつもはもっと落ち着いているのよ!」

「伯爵、構いません。エレナは今のままで十分魅力的ですから」

 

 すかさず私の頭を撫でるのは、ライナス様の優しい手のひら。また子供みたいな扱いをされてしまった。いつもこうやって、これ以上私がお父様に叱られないように庇ってくれる。

 

 おずおずと顔を上げれば、優しい彼の瞳とぶつかって思わず身を縮める。ずっと笑顔のままだけど、怒っている? ううん、呆れているのかも。

 

「ごめんなさい」

「謝る必要はないよ。私はそのままの君が好きなのだから」

 

 また子供をあやすように頭を撫でられた。嫌な気はしないけど、なんとなくちょっと悔しい。


 これでは婚約者ではなくて、まるで兄妹だ。

 

「ほら、いつまでここで時間を潰している気だい? 仲が良いことは良いことだが、このままでは劇に遅れてしまう。これからの公爵家を担う君達が遅れては皆がっかりすることだろう」

「……そうですね。ここでエレナを独り占めしているのも魅力的ですが、未来の妻を自慢したい気持ちも大きい……。そろそろ出かけます」

 

 人形みたいに綺麗な顔が優しく微笑む。本当に綺麗な顔。もう八年の付き合いなのだから、慣れても良いのに彼の美しさは飽きもしなければ慣れもしない。


 何せ彼の美しさは年を追うごとに増しているのだ。慣れるわけがない。

 

 その輝かしい笑みを目を細めて見つめてしまうのはいつものことだ。

 

「エレナ、行こうか」

 

 ライナス様の声に慌てて頷いた。いけない。また見惚れていた。

 

 私は彼から少し離れると全身を確認する。綺麗な彼の隣にいる時には少しでも綺麗でいたいから。それが大して変わらない努力でも、少しでも見栄を張りたいという女心だ。

 

 目が合うと微笑まれた。なんだか心の中を見透かされているみたいで恥ずかしい。

 

「今日のエレナも可愛いよ。そのドレス、この前贈ったものだろう?」

「うん、そうなの。似合うかな……?」

「とても似合っている。悩んだ甲斐があった。明るい色が似合うと思っていたからね。花が咲いたように綺麗だ。あと、そのネックレス。まだ大切にしてくれていたんだね」

 

 ライナス様の少し節ばった綺麗な指先が首筋を撫でる。ただ首に掛かっているネックレスに触れただけだというのに、恥ずかしくて肩が震えてしまった。

 

「うん、これもお気に入りだから……」

 

 ライナス様が三年前の誕生日に贈ってくれたサファイアのネックレスだ。それまでは花とかお菓子ばかりだったのが、初めて身につける物を貰ってとても嬉しかったのを覚えている。

 

 アクセサリーを貰うというのは、何か特別なことのような気がしたのだ。少しだけ、私の望む関係になったのではないかと胸が踊った記憶がある。

 

 それに、彼と同じ色をしているんだもん。

 

「はいはい。二人とも。こんなところで見つめ合わない。本当に遅れてしまうよ。今日は殿下もいらっしゃるんだろう? 遅れたら目立つよ。公爵家のボックスは彼らの隣だからね」

「……それは嫌だわ!」

 

 ライナス様は少し肩をすくめるだけ。目立つのは気にならないみたい。でも、私は嫌だ! だって、「あの子、大して可愛くもない癖にどれだけ準備に時間が掛かっているのかしら? クスクス」とか影で言われてしまうかもしれないじゃない。

 

 そうなったら、ライナス様が迷惑しちゃうもの。

 

 私は慌ててくるりと振り向いてお父様に礼をする。

 

「お父様、行ってまいります」

「うん、あまりはしゃいじゃ駄目だからね」

「もうっ! もう十六なのよ? ノーベン家の名に恥じないように行動します」

「我が家の恥になるくらいは問題ないんだけどね。公爵家には迷惑をかけないようにね」

「はぁい」

 

 お父様はいつもそう。私が外に出るときは『公爵家には迷惑をかけないように』が口癖だ。それじゃ、うちになら迷惑をかけても良いみたいじゃない。

 

 私が唇を尖らせると、お父様は目を細めて笑った。それ以上何か言うこともなく、ライナス様に目を向ける。

 

「ライナス君。今日も娘をよろしく頼むよ」

「勿論です。しっかり送り届けますので、ご安心ください」

 

 やっぱり子供扱いされている気がする。文句の一つでも言おうかと口を開きかけた時、後ろから肩を抱かれ言いたいことも喉の奥に引っ込んでいった。

 

「行こうか」

 

 耳元で囁くのは禁止です……! 

 

 彼の甘い香りが鼻腔を擽る。言葉を返すことができず、私はどうにか頷くことで返事をした。


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