第3話 自称執事の護衛
氷翠に面会を拒絶された楯は、与えられた部屋で頭を痛めていた。
「どうしたものでしょうかね……」
どうあれ、信用してもらわないことには護衛どころではない。
念のため、優人に屋敷の護衛に回って良いかと確認を取ったが、
『やはりそうなったか。無理を言って申し訳ないが、それでも氷翠の護衛を頼めるかい?』
と、申し訳なさそうにしながらもお願いされてしまった。
解答のない問題に直面した学者のように眉間に皺を寄せていると、睦葉が紅茶を出してくれる。
「ありがとうございます」
「いえ。このような無理をお願いしてしまい申し訳ありません。どうにかなりますでしょうか?」
「お手上げと投げ出したくなる状況ですけどね……」
紅茶で口の中を濡らす。
部屋から出てこない理由は分からない。十二歳からの引き籠り。現在の彼女の年齢が十七歳のため、およそ五年間屋敷から出ていないことになる。
そんな相手の信用を得るにはどうすればいいのか。
ちらりと見るのは、護衛対象である氷翠のお世話をしているというメイドの睦葉。氷翠専属の侍女らしいが、彼女でも氷翠に会えるのは一日に数えるほどであるとのこと。逆に考えれば、人前に姿を見せない氷翠が日に数回でも会う程度には信頼をしているということだ。
そうして、思い出すのは楯が学生時代に指導を受けていた女性の言葉。
ふと笑みを浮かべた楯は、椅子から立ち上がる。
「命だけではなく、日常まで護ってこそ一人前ですよね」
どういう意味なのか。不思議そうにする睦葉に、楯はとある物を用意してもらうようお願いをする。
――
「……新しい護衛なんて、必要ないのに」
薄い水色のベールが掛けられた天蓋付きベッドの上で、氷翠は本物かと勘違いするほどの大きいしろくまのぬいぐるみを抱きしめて呟く。
日に当たらず、焼けることを知らない白い肌をぬいぐるみに埋め、こてんとベッドに倒れ込む。
「どうせ、私には誰も信用なんてできません……」
雪のように、空気中に溶ける氷翠の声。
起き上がる気力も湧かず、再び瞼を閉じようとした時、ノックと共に睦葉の声が聞こえる。
『氷翠お嬢様、お昼のご準備ができました』
「今開けます」
布と布の擦れる音を立て、ゆったりとした動作でベッドから降りる。
白いもふもふとしたスリッパを履き、擦るような足取りで歩くと、扉の鍵を開ける。
扉を開いて睦葉の姿を確認した後、隣に居る男性を見てぎょっとする。
屋敷で見たことのない、執事服を着た黒髪の青年が立っていたからだ。
だ、誰!?
慌てて扉の影に隠れて、片目だけを覗かせ相手を伺う。
精悍な顔をした鋭く尖った眼が印象的な男性は、威圧的な雰囲気を自覚してか優しそうな笑顔を浮かべる。
「氷翠様、失礼致し――」
バタンッ!!
彼が言い終わるのを待たず、勢い良く扉を閉める。
「な、なな、なんですか!? 誰ですか!?」
『突然、失礼致しました。午前中に一度ご挨拶させて頂きました、神門楯と申します』
どうやら、昨日追い払ったはずの新しい護衛であるらしかった。
表情はともかく、高身長で体格も良く、狼を彷彿とさせる鋭い視線という要素が集まって、とても怖い。それが格好良いという人もいるかもしれないが、人付き合いがほとんどない氷翠にとっては話すのも勇気がいる相手だ。
わたわたとしながらも鍵を掛けると、深く息を吐き出す。開けられない扉を隔てたことでちょっと余裕ができる。
「護衛はお断りしたはずです!」
『はい。ですので、執事として氷翠様のお世話をさせていただこうかと』
「なぜそうなるんですか!?」
意味がわからなかった。
護衛を断られれば帰ればいいのだ。それがどうして執事という話に変換されるというのか。全く関係ないではないか。
『護衛は必要ないということでしたので、では執事であればと』
「意味が分かりません」
早く帰って欲しい。
『護衛と執事は似たようなものですから』
「全然違いますよ!?」
同じ使用人であれ、役割は一から十まで異なる。
創作物の中であれば、護衛を兼ねた執事というのもありきたりであろうが、現実的には両方の仕事をこなすのは難しい。一流となれば猶更だ。
そもそも、氷翠にとって護衛だろうが執事だろうが関係がない。新しい人物と関係を持ちたくないのだ。
「とにかく、帰って下さい。執事も不要です」
『かしこまりました。また来させて頂きます』
「もう来ないで下さい!」
叫ぶように強い口調で追い払う。
すると、扉の向こう側から去っていく気配を感じる。
ふぅ、と息を付き扉に寄り掛かるようにずるずると崩れ落ちる。久々に叫んで、少々息が乱れている。
息を整え、扉を支えにして立ち上がった氷翠は、音を立てないよう静かに扉を少し開ける。
「……なんなんですか、あの人は」
これまで、氷翠の不況を買ってまで残る護衛はいなかった。
相手も仕事だ。護衛対象からいらないと言われているのに強硬する理由はなく、その結果解雇されたくもない。そこまでする必要だってない。
なのに、楯という青年は一度断った数時間後には、執事と言い出し戻ってくるのだから氷翠にとって意味不明な存在だ。
廊下に立っていた睦葉は、人に懐かない猫のように、うーっと唸って警戒する氷翠を見て苦笑する。
「私も分かりかねますが、ご当主様が選ばれたお方です。きっと、氷翠お嬢様のお力になって下さります」
「……必要ないです」
それは氷翠の本音。
例え母の言葉であろうと、氷翠は誰一人として信じられはしない。
――
それだけで終われば、氷翠はこれまで通り静かな引き籠りライフを過ごしていられたのだが、敵は諦めなかった。
『氷翠様。紅茶はいかがでしょうか?』
「いりません!」
十五時になれば、ティータイムの時間だと紅茶の準備をし、
『氷翠様。ご夕食の準備が整いました。お部屋ではなく、食堂で取るのはいかがでしょうか?』
「ほっといて下さい! 部屋で食べます!」
夕食の時間となれば、食堂までの案内を申し出る。
『氷翠様。ご入浴の準備が整いました。お着替えを――』
「持ってきているんですか!?」
男性に服を、ましてや下着を触れられていると思い慌てて飛び出すも、楯の手にはなにもない。
「――睦葉様が脱衣所に運んでおりますので、お時間の宜しい時に向かって頂きますようお願い致します。それとも、私がご案内致しましょうか?」
「~~っ! 必要ありません!」
にこりと笑う楯を見て、氷翠は顔を真っ赤にして扉を閉じる。
ベッドに頭から突っ込み、しろくまのぬいぐるみを抱きしめてじたばた。
完全にペースを乱されていた。
――
楯が去った後、ベッドでうーうーと鳴くように唸っていると、今度は睦葉が呼びに来た。
氷翠としても、お風呂に入らないのは気持ち悪い。たとえ、外出はおろか部屋から出ずとも、女の子として清潔さを保ちたい。
広い浴場で、氷翠は一人湯舟に浸かる。
かつては多くの侍女によって隅々まで洗われていたが、引き籠りを機に誰一人として一緒に入ることを受け付けなくなった。それは、唯一氷翠のお世話係として残っている睦葉も変わらない。
湯に浮かぶ豊かに実ってしまった胸を沈める。
透き通るような白い肌は、熱によって火照っているのが見て取れるほどに赤い。上せたように赤らむ頬を指先で触れ、思い出すのは自称執事の楯という男性だ。
「なんなんですか、あの人は……」
正直、見た目が怖い。率先して関わり合いになりたいタイプではない。
会話が通じているようで、もう来るなという言葉を完全に無視しているのも頂けない。
大方、氷翠のお世話をして絆そうとしているのだろうが、無駄なことだ。
彼女が他人を信用することは、五年前のあの日からありえなくなった。
「誰かを信用なんて、できるわけないじゃないですか……」
その声は、湯舟に落ちる水滴の音によって掻き消えた。
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