第2話 ひきこもりの令嬢

 翌日。じゅんが向かったのは依頼主である雪白家の邸宅だ。

 裕福な者が多く住む高級住宅街。和風な屋敷が多い中、目的地である雪白邸はおしゃれな洋館であった。広大な敷地に建てられた大きな洋館。その威容に楯は少しばかり圧倒される。

 これまでの依頼者にも裕福な者は多かったが、これほど大きなお屋敷も珍しい。門の正面に立ち、一瞥しただけでは全容把握できそうもない。

 鉄の正門には門番が立っており、屋敷を覆うように立てられた鉄柵の近くに生える木々には監視カメラが見える。警備の厳重さ、その一旦を覗かせている。


 やはり、外部の護衛が必要とは思えないんですけどね。


 疑問を抱きつつも、案内に現れた泣きほくろの良く似合う栗色髪のメイド、近衛睦葉このえむつはに導かれ、屋敷の一室に通される。

 恐らく執務室なのだろう。品のあるアンティークであろう家具が並ぶ部屋の執務机で、ノートPCで作業をしていた男が顔を上げる。

 和服の多い旭陽きょくようでは珍しく、皺一つない黒のスーツを着こなす男性。PCから顔を上げた男は、温和な人柄を思わせる優しい笑みを浮かべて楯へと話し掛けてくる。


「やぁ。君が今回の護衛を引き受けてくれる神門楯君かい? よく来てくれた。初めまして。私は雪白優人だ」

「宜しくお願い致します、優人様」

「硬いね。もう少し気軽に呼んでくれてもいいのだよ?」

「依頼者に対して失礼な態度を取るわけにはまいりません」


 旭陽でも屈指の名家である雪白家。その現当主の夫だとは思えない程、気さくな態度だ。彼なりのコミュニケーションなのかもしれないが、楯がそれに合わせて態度を改めることはできない。

 失礼があってはことなのはもちろん、依頼者相手に気軽に話し掛けるわけにはいかなかった。


「そうかい? 残念だ。ただ、君のようにしっかりしている者であれば、娘を安心して預けられるから、嬉しくもあるかな?」

「今回のご依頼はご息女であらせられる雪白氷翠様の護衛ということでお間違いないでしょうか?」

「そうなんだ。大事な一人娘だ。宜しく頼むよ」


 頭を下げる優人。

 どうやら間違いでも勘違いでもなく、雪白家の御令嬢の護衛であるらしい。

 そうなると、やはり訪ねなければならないことがある。緑音は意味ありげに説明を渋ったが、依頼主であれば説明義務を果たしてくれるはずだ。


「少々、お尋ねしたいことがあるのですが宜しいでしょうか?」

「構わないよ」

「ありがとうございます。では、質問なのですが、なぜ、雪白家の護衛ではなく、外部の警備会社である我が社に依頼をしたのですか?」


 快く受け入れてくれた優人にお礼を言い、楯はシルトクレーテに依頼した理由を問う。

 この部屋に案内される道すがら、屋敷を観察していたが、厳重な警備システムを導入し、警備の者も何人か見受けられた。

 その人たちが雪白家専属なのかは不明だが、外部の警備員だとしても元から付き合いのある信用のおける警備会社なのは間違いない。

 どちらであれ、要人警護に適した人材がいるはずだ。そこを無視して、一切付き合いのなかった民間の警備会社であるシルトクレーテに依頼をするというのは、どうしても納得がいかない。

 優人も、楯の抱く疑問は理解しているのだろう。肘を付いて手を組んだ彼は、悩まし気な表情を見せる。


「いくつか理由はあるんだが……。一つは妻の指示だね」

「奥様……ご当主様の?」


 雪白家は、未来予知の能力を受け継ぐ直系の者を当主とするのが習わしとなっている。

 ディユギフトと呼ばれる異能力を先天的に持つ人類。ディアギフトは人間社会の柱となり、旭陽もその恩恵を持って大きく成長してきた。

 ただ、生まれ持つディユギフトは多種多様であり、遺伝するということはまずない。……そのはずなのだが、なぜか遺伝的に似た能力を受け継ぐ血族がいる。

 その一つが雪白家であり、代々未来予知のディユギフトを受け継いでいる。遺伝する理由は判明していないが、同じ力を何代にも渡って受け継げるという意味は大きい。その能力で国に貢献してきたからこそ、雪白家は旭陽でも高い家格を有するのだ。

 それこそ、桜の大樹を神と崇め、巫女を頂点とするこの国において、巫女の次に権力を有する名家と言っても過言ではない。


 そんな、雪白家現当主の指示。それも、未来予知のディユギフトを持つ当主の、だ。実際になにかしらの未来を見たのかは定かではないが、その言葉は雪白家においてなによりも重かろう。


「そうだ。妻に考えがあるんだろう。もう一つは……これは会ってもらったほうが早いね」

「口頭では説明しづらいと?」

「うーん。そうだね。そう受け取ってもらって構わない。どちらかと言えば、口にしづらいだけどね」


 口にするのが憚られる内容。嫌な予感を覚える。

 しかし、ここまで来て引き返すこともできない。なにより、どんな状況であれ、護衛対象者を護り抜いてこそ護衛のプロフェッショナルだ。こういう時こそ、覚悟を決める必要がある。


「近衛さん、彼を氷翠の部屋まで案内してくれ」

「かしこまりました」


 ここまで楯を案内した睦葉が部屋の扉を開ける。

 案内されるがままに部屋を出ようとすると、優人に呼び止められた。


「神門君」


 振り向くと、椅子から立ち上がった優人が真剣な表情を楯に向けて、深く頭を下げた。


「娘を、宜しく頼む」


 ――


 赤い絨毯の通路を睦葉の案内に従って歩いていく。

 美術館に飾られているような絵画や、目を楽しませる花々が飾られた通路。一つひとつがどれも高価であろう品々に、楯は顔をしかめる。


 ない……とは思いたいですけど、屋敷を襲われた場合、壊さないように気を付けないといけないですよね。


 無論、最優先は護衛対象者の命だ。物を惜しんで護衛対象者を危険に晒すのは護衛失格。

 しかし、だ。名のある家に飾られている物品は、希少な物も多い。場所によっては、国宝が平然と飾られていることもある。

 そのことを意識せず『護衛の命が大切』といって、護衛対象者以外の全てを蔑ろにするわけにもいかない。下手な物を壊せば自分だけでなく、会社にまで被害が及ぶ。実際、依頼者の命は護ったが屋敷は全焼したなんてことをした護衛を派遣した会社は、依頼者の怒りを勝って倒産にまで追い込まれている。


 屋敷を歩きながら、護衛に必要な情報を集めていると、一つの扉の前で睦葉が足を止める。


「こちらが氷翠様のお部屋となります」


 精巧な装飾が施されている木彫りの扉。ここが護衛対象の部屋らしい。

 楯が勝手に開けるわけにはいかず、睦葉が開けるのを待っていると、スカートの前で手を合わせ、先程の優人と同じように深々と頭を下げてきた。


「神門様。どうか、氷翠お嬢様を宜しくお願い致します」


 大事にされているんですね。


 父だけでなく、雇われであろう侍女にも愛されている御令嬢。楯も護ろうという気持ちが強くなる。


「氷翠お嬢様。新しい護衛の方がいらっしゃいました。お部屋に入っても宜しいでしょうか?」

『……護衛?』

「はい。ですので、お顔を見せて頂けますか?」

『いいです。会いません』

「お嬢様……」


 扉越しから聞こえる、澄んだ女性の声が拒絶する。

 まさかの護衛対象からの拒否に楯が困惑していると、睦葉が困った表情を楯へと向ける。


 正直、こっちに振られても困るんですけど。


 普段、お世話をしている侍女に会わないと言っているのに、顔すら会わせたことのない楯にどうこうできるとは思えない。

 とはいえ、やらないわけにもいかず、駄目元で声を掛ける。

 咳払いをし、優しい声音を作る。


「氷翠様。私は、警備会社シルトクレーテから参りました、神門楯と申します。これより、貴女様を御護りさせて頂きます」

『……要りません。帰って頂いて結構です』

「氷翠様、少しでも構いませんので顔を合わせてお話することはできませんでしょうか?」

『……嫌です』


 取り付く島もない。

 御手上げだと両手を上げれば、申し訳なさそう睦葉が謝罪をする。


「申し訳ございません、神門様。氷翠お嬢様は、十二の頃より部屋に引き籠っておりまして、ほとんど部屋から出てくることがないのです。護衛を付けようにも、氷翠お嬢様が拒絶をしてしまい、受け入れることがなく……」

「部屋から出ない? 護衛を拒絶?」


 十二歳の頃からの引き籠り。しかも、護衛を付けることさえ拒絶する。

 どうしてそんな状態で護衛の依頼を出したのか、楯は疑問を覚える。

 前提として、護衛を受け入れる準備ができていない。楯からすれば、まずその意識を変えてもらわなければ、護衛のしようがない。

 本来、このような状況であれば、護衛不能。屋敷の警備に当たるか、そもそも依頼を取り下げてもらうかしかない。


 いや待て? 最初からこうなっていることが分かってて依頼を出したんですよね? その上で社長が受けたということは……。


 とても嫌な予感。それもほぼ間違いのない予想に頬が引き攣る。

 その予感が正しいと証明するかのように、睦葉が縋るように頭を下げてきた。


「神門様、改めて申し上げます。どうか、氷翠お嬢様のことを、御護り下さいませ」


 ここでようやく、この依頼がただの護衛ではないことを悟る。

 雪白家の護衛を使わないのは、既に全員が拒絶されたため。しかも、顔を合わすことすらできない。

 先んじて楯にその旨を説明しなかったのは、雪白家の御令嬢が引き籠りという風評を快く思わなかったためもあるだろうが、こと緑音に限っては思惑が違う。


 あんのブリークラント被れのクソ社長! なにが私のやることは『この少女を護ること』だけ、だ! そもそも護衛として認めてもらうところから始めなきゃならんじゃないですか! 絶対、私が断らないように情報を隠していましたね!? 今度会ったらたたじゃおかないですからね!


 面倒を押し付けた社長に向けて内心呪詛を吐き散らしながら、固く閉ざされた扉の向こうの護衛対象にどうやって護衛と認めてもらうか、楯は額に手を当て頭を悩ませる。

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