第1話 新たな護衛任務
天を衝くほどに大きな桜の大樹を神として崇め、栄える国・
太陽が昇り、人々が活動を始めた頃。旭陽の都市・
黒革製の豪奢な椅子の背もたれに身体を預け、好戦的にも映る尊大な態度を取る、軍服に似た制服を纏う美女が口を開く。
「くふふ。
「はぁ」
高圧的な彼女に対し、楯と呼ばれた獣のように目付きの鋭い黒髪の青年は、気のない返事をする。
心底どうでも良さそうな態度だが、彼女は気にすることなく、上機嫌に話を進めている。
「流石、我がシルトクレーテの若き
「ありがとうございます」
楯は会釈をし、素直に受け止める。ただ、その態度は変わらず気が抜けており、表情には呆れが含まれていた。
満足そうな笑顔でふんぞり返る美女に向けて、我慢がならないと楯は指摘することにした。
「で、社長はいつまでそんなふざけた喋り方してるんですか? いい加減普通に話して欲しいんですけど?」
「ふざけてないわ! 至って真面目よ! とても格好良いじゃない! 素敵でしょう!?」
冷静なツッコミに、憤慨するように女性は立ち上がる。その態度は先程まで見せていた尊大さの欠片もなく、自身の趣味を理解されず感情的になる子供のように荒ぶっている。
彼女は警備会社シルトクレーテの若き女社長、
十年前にシルトクレーテを企業し、一代で警備会社の中でも有数の企業へと育て上げた敏腕社長なのだ。
漆塗りされた器のように、美しい黒髪を長く伸ばし、吊り上がった眼は気の強さを印象付ける。胸元は薄く、身長も平均よりはやや下回っているが、全体のパーツが整っており、成長した美しさと、子供の愛らしさが同居したアンバランスな魅力があった。
優秀な能力。
類稀な美貌。
一見完璧であるが、彼女にも欠点があった。それがブリークラントという国に傾倒していることである。とある理由からブリークラントの武器類を調べていた彼女は、ブリークラントの持つ言葉や武器の格好良さに目覚めてしまう。
言動に混じるブリークラント語。警備会社シルトクレーテの制服はブリークラントの軍服をモチーフにしているせいで、どこから見ても一般企業の制服には見えない。
終いには、会社名のシルトクレーテすらブリークラントの言葉から取っているのだから、その傾倒ぶりが伺えるというもの。
楯がこの会社に入社してそろそろ二年の月日が経つが、未だに緑音の趣味は理解できないでいる。
ブリークラントにハマってさえいなければ完璧な美女。それが黒亀緑音なのである。
瞳を半眼にして楯はため息を吐き出す。
「素敵かはともかく、日常生活では接しづらいので止めて下さい」
「
「ほぼ全損じゃないですか。人類の幸福狭すぎでしょう。というか、いつも言っていますが無闇矢鱈とブリークラント語使うのを止めて下さい。鬱陶しいです」
「失礼! とても失礼よ楯!」
ぷくーっと、子供のように頬を膨らませて抗議をしてくる。
そろそろ三十代に至ろうとする大人の女性の態度ではない。それが滑稽に映らず、可愛らしいのだから美人はずるいな、と楯は感想を抱く。調子に乗るので絶対口に出して褒めはしないが。
「はー。もうやる気なくなったわ。この会社の社長なのに社員から舐められてこの扱い。帰っていい? 仕事? 部下がやります」
楯が辛辣な態度を取り続けてしまったせいで、モチベーションが下がったのかだらしなく机につっぷする。
スライムのように溶け切ってしまった見苦しい姿。
これでうちの会社のトップなのか。
呆れてしまうが、このままというわけにはいかない。機嫌を直さねば、本当になにもしないのがシルトクレーテの社長なのだ。しかも、数日に渡って尾を引くのだから質が悪い。
「あーもうはいはい。好きに喋っていいですから、呼び出した本題をお願い致します」
「Du hast guten Geschmack《いいセンスね》! くふふ。それならば貴様に新しい任務を与えましょう」
得意のブリークラント語を発し、ふふんっと薄い胸を張ってふんぞり返る。
チョロい。
社長として、成人女性としてそのチョロさはいかがなものかと心配してしまうが、楯としては都合がいいので指摘はしない。
緑音が鼻歌交じりにタブレットを操作すると、楯の持つスマートフォンが振動した。取り出して確認してみると、依頼データが送られていた。
画面に触れ、依頼データを開くと、今回の護衛対象者の簡単なプロフィールが表示される。
水色の髪に白い肌。添付された写真から伝わってくるのは儚そうな美少女だというぐらい。
ただ、気になるのは写真よりも雪白という名前。
「今回の
「と、いうか、これ、うちが護衛する必要あるんですか? 雪白家って言えば、
雪白家。
古くから国に仕えている名家であり、神樹に仕えている巫女という、旭陽では君主に当たる人物に代々重宝されている家だ。
その立場は特殊なれど、家柄・社会的地位はとても高い。
そんな雪白家が、一般企業の警備会社に護衛を依頼するというのが楯は腑に落ちなかった。雪白家に仕えている護衛はいるであろうし、外部から護衛を招くのはリスクを伴う。家格のない、また低い家ならともかく、雪代家ではありえない行いだ。
緑音も当然そのことは理解しているのだろう。楯の疑問を肯定しつつも、話を進める。
「それを踏まえて私たちに依頼がきているのよ。詳しいことは直接行けば分かるわ」
「また乱暴な」
理由を説明せず、行けば分かるという職務放棄。護衛において情報はなによりも大切だというのに、その対応はあまりにも杜撰であった。
「黙りなさい。口で説明するよりも、見たほうが早いと言っているのよ。納得しなさい」
楯の抗議には耳を貸さず、ピシャリと言い放つ。
到底納得できることではないが、なにかしらの理由があるのは明白。
説明しない理由は分からないまでも、楯を貶めようとしているわけではあるまい。
ふざけた態度を取ることも多いが、社員を家族のように大事に想っているのを楯は知っている。
「それに、貴様のやる事はいつもと変わらないわ。この少女を護ること。それだけよ」
そう言われては、これ以上の反論もできはしない。気になることは多々あれど、この件に関して再び追及することは止めた。
代わりに、緑音好みの返答を持って任務を承る。
「
胸に手を当て、深々と礼をする。
敬礼のほうが喜んだであろうが、楯のスタイルではない。
その対応に目を丸くし驚くも、ニヤリと白い歯を剥き出しにして好戦的な笑みを浮かべる。
「
緑音らしい見送りの言葉。
社長の激励を受けて向かうのは、代々未来予知の能力を受け継ぎ、国に貢献してきた雪白家。
誰が相手であろうと必ず護り抜くという決意を胸に、楯が部屋を出ようと――
「あ、喉乾いちゃった。
「…………朝からビールは止めて下さい」
「じゃあ、
「はいはい。持ってきますから大人しくしていて下さい」
「
軽く手を振り見送る緑音を背に、ため息を付きながら部屋を出る。
ゆっくりと向かうのは飲み物を保管しているキッチン。とても締まらない出発である。
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