ひきこもり令嬢の護衛任務

ななよ廻る

プロローグ 警備会社シルトクレーテ


「ひぃっ!? 怪物だ! 鬼の怪物が出たぞぉおおおおおおっ!?」


 街へと続く自然豊かな草原地帯を進むトラックから、悲鳴を上げながら一人の男が転げ落ちてくる。

 彼が降りたトラックは、トラックと同等の大きさを誇る凶悪な角の生えた怪物によって横転させられる。

 どれだけの力を込めればそうなるのか。トラックの荷台は、空き缶を踏ん付けたようにひしゃげている。


『グルァアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』


 雄叫びを上げて、その狂暴性を遺憾なく発揮し暴れる鬼の怪物。

 先頭のトラックから降りた年若い女性が鬼を睨み付けて悔しそうに叫ぶ。


「あぁもうっ! これから都会で稼ぐって時に! さいってい!」


 地団駄を踏み、暴れる鬼に罵詈雑言をまき散らすも、鬼が止まることはない。

 ただただ、本能のまま暴力をまき散らす巨鬼。このまま蹂躙続けるのかと思われた時、黒い集団が鬼に立ち向かう。


「これ以上怪物の好きにさせるな! 囲んで撃ち殺せ!」


 リーダーと思わしき人物が叫ぶと、鬼の周囲で銃を構えた者たちが一斉に銃撃を開始する。

 鼓膜が破れるのではないかと思うほどの銃声。断続なく放たれる銃弾の雨にさらされ、身体中から血が滴り落ちる。


『ッァアアアアアアアアアアアアアアアッ!?』


 悲痛な声を上げ、嫌がるように無我夢中で大木のような両腕を振るう。

 しかし、暴れるのも想定のうちと、黒服の集団は一定の距離を取りつつ攻撃を続ける。

 中には、鬼の身体の一部を凍らせたり、火球を放つ者までいる。

 耳を襲う轟音は激しくなれど、散々暴れ回った鬼が蹂躙される様は、トラックや商品を台無しにされた女商人にとっては胸のすく気分である。


「はっはー! いやぁ、雇っておいてよかったわ。やっぱり、街外地がいかいちは危険だわ。ケチらないでよかった~」


 護衛を雇って良かったと、女商人は安堵する。

 街壁で囲まれた人の住む街、その外側である街外地は特殊な能力を持った怪物・ビーステッドが蔓延っている。

 人の手によってある程度街道が整備されているとはいえ、護衛もなしに街から街への移動は成り立たない。

 彼女は商人として、お金で安全を買うか、一か八かで突き進むか悩むも、安全を取った過去の自分を称賛したい気分であった。


「ふふん! 鬼がなんだってのよ! 安全はお金で買える! 桃太郎もお金で雇える時代なのよね――って、あ」


 薄い胸を張り、調子に乗っていたのがいけなかった。雇った護衛が戦っているとはいえ、戦闘中の傍で立っているのは危機管理能力が足りていない。

 もがき苦しむ鬼の腕が、女社長の近くで停まっていたトラックに当たったのだ。壊すほどの衝撃ではなかったが、傾けるには十分な力。

 ぐらり、と傾いた先には、迫る荷台を見て顔を青くした女商人。


「……やば――」


 咄嗟に身動きも取れず、目をぎゅっと瞑って固まってしまう。

 

 死んだわ、これ。


 客観的な思考が自身の死を感じ取る。

 トマトのように弾け飛ぶ未来を幻視し、衝撃に備える。一秒、二秒と長い体感時間の時を刻む。

 けれども、いつまで経っても痛みはない。痛みも感じず死んだというには、意識も連続している。


 目を開けたら三途の川でしたなんて止めてよね……?


 恐る恐る瞼を開けていく、いつの間にか戦場から離れた草原に尻餅を付いていた。


「――大丈夫ですか?」


 突然のことに呆けていると、若い男の声が近くから届いた。

 驚き過ぎて、どこかに飛んでいた意識を取り戻すと、両肩を支えられていることに気が付く。

 誰だろうと振り返れば、黒髪の、狼のように鋭い目付きの青年が伺うように見下ろしていた。

 顔つきは精悍で少々威圧的だが、女商人を案じていることは理解できた。


「え、ええ……大丈夫。ありがとう」

「いえ。こちらこそ、危険に晒してしまい申し訳ありません」


 どうやってかはわからないが、女社長を助けてくれたはずの青年が謝罪する。

 どうして謝るのかと女社長が不思議に思っていると、彼の着ている軍服に似た服が視界に映る。それは、今も鬼たちと戦っている護衛たちと同じ制服であった。

 そこで初めて、青年が女商人が雇った護衛の一人であることを知った。


 護衛対象者を危険な目に合わせたから謝っていたのね。


 わかれば単純だが、そもそも危険な場所にいつまでも突っ立ていた女商人が悪い。彼が気に病むことではなかった。


「あははー。謝ることじゃないって。助かった、ありがとう、どういたしまして、でいいでしょう? お礼を言っているのに、謝罪をするのは失礼じゃない?」

「そう、でしょうか?」

「そうそう。じゃないと、強欲商人に足元見られるわよ?」


 けらけらと声を上げて笑う。


 商売は信用と信頼。いくら雇っているからって、恩を仇で返すようじゃ商売人としてやっていけないでしょうけどねー。


 よし、と女商人は勢い良く立ち上がると、青年に向き直りピッと人差し指を立てる。


「はい、では、もう一度。助けてくれてありがとう」

「……謹んでお受けいたします」

「硬い! けど、まあ、及第点!」


 にっこりと笑う。

 しかし、彼の顔をしっかり見ることで新しい問題が発生した。

 あははーと、なんでもない風を装い、後頭部に手を当てる。


「で、悪いんだけど、名前……なんだっけ?」


 いくら人数が居たとはいえ、命を預ける相手の名前を知らないというのは、商人としては落第だと内心落ち込む。取引相手の名前と役職を覚えるのは、交渉の初歩の初歩だ。

 青年は特に不快感を示すことなく、まるで礼服を身に纏っているかのように胸に手を当て、綺麗な所作で頭を下げた。


「警備会社シルトクレーテの社員、神門楯みかどじゅんでございます」

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