第11話 時と空をかける少女2

   時と空をかける少女2


 マンションの十四階、八向家にて。

 このマンションの前で気を失ってしまった行々木 直の妹、薄を介抱するため、運びこんだ次第である。この部屋の住人である、小学五年生の八向 賜も「ぜひ、うちに」と言ってくれたので、彼女の部屋で薄は寝ている。

「引っ越し直後?」

 一緒についてきた有栖がびっくりするのもムリはない。ちなみに有栖は道に迷っていた薄を、ここまで連れてきてくれた御仁で、かつて行々木を巻きこんで、魔法にかかっていた友人を助けようと画策した少女でもある。

 リビングには山のように段ボールが積まれる。その中身はすべて、賜が魔法にかかり、身を隠そうと集めた服の山だけれど、それをわざわざ説明するのは面倒だし、八向家の諸事情にも関わるので、行々木も黙っていることにした。ただリビングからは母親が宗教をするときにつかっていた祭壇が消えているので、行々木もホッとするものを感じた。


「涸井戸公園って?」

 行々木が、薄を発見した場所について、有栖に尋ねる。

「桜リアム学園の方だから、学園前駅の近くだね。大きくはないけれど、うちの学園からだと駅まで行く途中にあって、休憩所としてはちょうどいいから、結構知られているよ。その公園で、見慣れない制服をきた中学生がベンチにすわって戸惑った様子だったから、声をかけたのだよ」

 有栖はボッチ傾向の強い飛龍院という少女とも、そこそこ親しいように、人見知りせず、また人付き合いにも長けた性格のようだ。初対面の薄から、名前と状況を聞きだしてここまで連れてきてくれたのだから。

「私も直ッちの家を知らないから、バスでこの付近まで連れてきたんだけど、この辺りの街並みを見たことないっていうからね。そこでしばらく歩いていたら、ばったりって感じ?」

「ゴメン、迷惑をかけた」

「いやいや、直ッちには借りがあるからね。それに、薄ッちもいい子だったし。タピオカは道連れ、世は唐揚げっていうじゃん」

 流行の話……? 糖質多めのタピオカからみて、決して甘くない、ちえそうだけれど、彼女はいつもカップを手にしており、今日もそうだ。もうほとんど残っていないけれど、中身はタピオカだったのか?

 事情は分かってきたけれど、それでも病弱な薄が、そんな遠くまで一人で行ったということが、未だに信じられずにいる。


「魔法使い関係で知り合った方ですか?」

 賜にそう尋ねられ、行々木も有栖のことを紹介する。

「魔法にかかっていた子の、友人だ。その子をたすける際に知り合った。有栖 零央名さん。桜リアム学園の二年生だ」

 自己紹介に合わせ、有栖は小刻みにポーズを変える。お嬢様学校としても知られる桜リアム学園で髪を染めるなど、彼女は少々異質であることもあって、賜も目を丸くしている。

「こちらは可愛い恋人ちゃん?」

「はい!」

 有栖の問いかけに、行々木より早く賜がそう応じた。恐らくその「可愛い」は、歳の離れた方の意味ではあるけれど、それが嬉しかったのか? それとも妙な対抗心でもあるのか? ただ、有栖が笑って「あはは、そうなんだぁ」と軽く流さなければ、変な空気になっていたところだった。こういう点でも、有栖という少女は空気をよむ能力にたけるようだ。


「でも、薄ッちはどうするの? このまま眠りつづけたら……」

 有栖はそういって、眠っている薄の顔を覗きこんでから、行々木に尋ねてくる。

「ボクが背負って家に連れて帰るよ。昔からボクら兄妹はそうしてきたからね。救も呼んでおくかな……」

 薄のカバンもあるし、何よりこれも昔からの、兄妹のことでもあった。

「昔から体が弱かったんですか?」

 これは八向からの問い。ついこの前まで同じ小学校に通っていたけれど、休みがちな薄のことは、二つ歳が離れていることもあって、知る由もないだろう。末っ子の救は有名人だけれど、そういう点でも姉妹の明暗はくっきりと分かれていた。

「昔から……というか、小学校に上がるころから、かな。小学校も、お情けで卒業できたぐらい休みがちだったけれど、幼稚園には毎日通えていたからね」

 行々木とは4つも歳が離れているので、そのころのことは憶えている。小学校に上がっても、しばらくはふつうに通えていたけれど、二年生になるころには、休みが多くなり、三年生になったら、通うことも難しくなっていた。まるで成長するたび体が弱っていくかのように……。


 妹の救が来たのをきっかけに、八向家を後にすることにした。背負うのに安心なよう、抱っこ紐をもってきてくれたので、行々木はまだ気を失ったままの薄を抱っこ紐で縛って背中に負ぶった。

「慣れているんですね」

 八向 賜はそう感心するけれど、行々木は苦笑しつつ「うちでは、もう当たり前のことだから」

 学校に迎えに行ったことは数知れず、そのためスカートでもめくり上がらないように、お腹に巻いて固定するものを救が自作した。救に手を貸してもらって背負っている間も、薄は目覚める様子もなく、今も全身を兄にあずけている。お腹同士を固定して、腕もずれないように縛った。

「今日のことは、いずれお礼するよ」

「気にしないで下さい。私はいつでも、いつだって行々木さんのお手伝いをするつもりですから」

 賜のそんな前向きな言葉をうけて、そのマンションを後にした。


「じゃあ、うちも帰るね。アディオ~」

 そういって、有栖は去っていった。また連絡先を聞き忘れた……と思ったけれど、飛龍院経由で連絡をとれることもあって、あまり気にしないことにした。

 兄妹だけになり、家に帰ろうと歩く中で、救がぼそりとつぶやく。

「もしかして、お姉はまた魔法に……」

 前を向いて歩みを止めず、行々木も応じた。

「分からない……。でも、薄の体力で桜リアム学園の近くまで行けるとは、到底思えない。きっとそれは、何かおかしな力が働いた、としか思えない……」

「やっぱり……」

 救はそう呟いたきり、しばらく兄妹は黙って歩く。それぞれの胸に去来するのは、あの日の思い出――。


 兄妹は三人で公園に来ていた。

 四つ上の行々木にとって、下の妹二人は一緒に遊ぶ、という感じではない。どちらかといえば、親にその世話を押し付けられる、厄介な存在でもあった。それはすでに小学校でも高学年にある兄と、まだ小学校に上がったばかりの妹では、遊びが合うはずもない。

 だから公園でも、妹二人だけで遊ばせて、兄は離れたところで別のことをしていることが多かった。そのときも兄は一人で鉄棒をしていて、妹たちは砂場にいた。歳の近い妹が二人なので、よく一緒にいるし、小さい子にありがちな無理やり年上の人間を遊びに誘ってくることもない。そういう点からも、兄としては子守というより見守りに近かった。

 もし何かあれば、いざということがあれば、兄が出て行って助ける。それだけで十分なはず……だった。

 穏やかにしてささやかな夕刻の公園――。

 憶えているのは、そこまでだ。気づけば、公園の入り口付近に薄が倒れていて、兄である直はそんな薄を庇うように、覆いかぶさるようにしており、砂場では救も意識を失っていた。

 何が起きたのか……? 三人には分からなかったけれど、とにかく薄が目を覚まさない。救はすぐに目を覚ましたものの、眠ったままの薄を背負って、家まで帰ることにした。それからだった。薄がみるみる病弱となり、生きていることさえ窮屈になったのは……。


「お兄ぃが魔法使いを追いかけるようになったのは、それからだよね……」

「救が、人助けをするようになったのも……な」

 この兄妹にとって、そうすることが自然であるかのように、兄は魔法使いの仕業を疑い、魔法使いを追いかけることによって、妹にかけられた魔法の解消を願い、妹は人助けを目標とすることにより、姉と関わろうとしてきた。

 あの日、あの時、何が起こったのか? 二人とも分からなかったけれど、薄のことを何とかしたいと考えている。それが二人の行動原理だった。


 しかし未だに行々木にも、もし魔法使いが薄に魔法をかけたとして、一体どんな魔王をかけたのか? それが分かっていなかった。

 どんどん病弱になる……。弱っていく……。そんな魔法を、どうして薄にかけたのか?

 これまででも分かったように、魔法使いは生粋の悪党、というものではない。人間のような判断を下し、倫理観も道徳も、人間のそれを踏襲する。ただ一点だけ厄介な点があるとすれば、とてもイタズラ者で、しかも他人の不幸を嗤い、不安につけこむといった横暴をすることだ。ただ、そうやってかけられた魔法を解消することも可能であるように、魔法使いはただ相手を困らせるだけでなく、逃げ道を用意しておくもの……。行々木はそう理解していた。

 しかし、薄にかけられた魔法は、どうすれば解消するのか? これだけ魔法使いのことに詳しくなっても、未だに分からない。だから魔法使いを追っている。どんな魔法をかけたのか? どうすれば解消するのか? それを聞くために……。


 家に帰りつくと、やっと薄が目覚める。

「ゴメン、お兄さん。それに救……」

「気にするな。大丈夫か?」

「うん……」

 幼い頃から、自己主張をしない子だった。我慢強くて、泣き喚いて駄々をこねたりすることもなく、周りを困らせることがなかった子だ。だから、どんな魔法をかけられたか、それが分からない。本人にもその自覚はないようだった。何が不満だったのか、不安だったのか、そうしたことも本人は分からない。だから今でも、対策をとれずにいた。

 ソファに下ろすと、その細くて軽い体ではほとんどクッションに沈まず、その凹凸で虚しく体が転がった。

 救が隣にすわってサポートすると、やっと安定して座れるようになった。

「離れた公園にいたそうだけど……?」

「分からない……。学校をでたところまでは、憶えているんだけど……」

 糸寿中学校は、有栖の通う桜リアム学園や、その近くにあるという涸井戸公園からはだいぶ離れている。車でも二十分以上はかかるだろう。そこを移動しても、彼女には自覚も記憶もないのだ。

 病弱であることと同時に、異なった魔法が現れたのか……? それもまだ判断できずにいた。


 隻眼の少女、飛龍院 美槍――。

 彼女もまた、魔法使いによっておかしなことに巻きこまれた一人だ。それは廃校でひっくり返っていた、天井に立っていた。行々木の協力もあってその魔法は解消したけれど、まだ片目は失われたままとなっていた。

 彼女はあまり家に帰りたがらない。一ヶ月、家をでていたのは例外だとしても、今も外にいて、スマホの着信をうけた。

「美槍様、ごー、あへッ!」

「何、有栖?」

「今日、あの行々木の妹って子に会ってさ」

「妹がいるのね……。で、それがどうしたの?」

「何か、その妹って子も魔法にかかっているっぽいんだよね。直接は言わなかったんだけど……」

「魔法? どんな?」

「分からないけど、でもすっごく体が弱いみたいで、すぐに倒れちゃうの。それなのに涸井戸公園まで一人で来ていたんだよね。しかも、公共交通機関もつかった形跡がないのにね……」

 飛龍院は「ふ~ん……」と興味なさそうにつぶやいたものの、その顔は珍しく、怪しい笑みを浮かべていた。


 その日、家に帰ってきた母親に、行々木 直と救の二人は、薄のことを報告する。これも、この兄妹にとっては常のことであり、状態がよいときは薄も一緒に行うこととなっている。今回は、薄も部屋で横になっており、それはしばらく歩いて疲れたことが影響するのだろう。

「また……ですか」

 母親はそうつぶやく。薄が病弱になってから、それこそいくつも病院を訪ねたけれど、その原因は不明だった。母親はすでに完治が難しい、と諦めた部分もあり、対症療法として、その都度こうして対応するよう、子供たちに指示をだすにとどまっている。ただこうして報告するよう義務付けてもおり、それが放置でないというスタンスのためだけなのか、それとも真に心配してのことか? それは行々木にも判断がつきかねた。

「今回は、少し離れたところに行っていた、という。その原因や方法については、まだ分かっていません。偶々、ボクの知り合いと出会って、近くまで連れてきてもらいましたが、ボクと会ってすぐに倒れました」

「どうせタクシーでも使ったのでしょう。とにかく、また倒れたということは、しばらく学校にも通わせられませんね。もう救のサポートも期待できませんし……」

 そう、これまでは同じ小学校に通う救が、薄に異変があれば、すぐに兄に連絡をとることができた。しかし中学に上がったことで、二人が離れてしまった。どうしてもワンテンポ、救の手が遅れることになる。それは病弱な薄にとって、致命傷にもなりうる変化だった。


「薄を、学校に通わせてあげて下さい」

 このとき、直がそう進言する。

「その根拠は?」

 母親の反応は冷たく、そう尋ねてくる。

「体が弱いということは、同級生なら誰でも知っています。そちらからのサポートを受けられたら、ボクでも、救でも連絡をくれるでしょう。今、彼女を同級の友人から遠ざけることは、決して得策とはいえません」

「しかし、取り返しのつかない結果を招くこともあります。特にそれを他者に委ねることになれば、善意の他者に、深く傷をつけることになってしまうこともあるでしょう。それでもいいのですか?」


 母親のいうことは正論だった。しかし、それはある側面からみた正論であり、正論など山のように、また多面的に色々とあるものだ。

「それは傷となる人もいるでしょうが、糧になる人もいる。救を見て下さい。姉のことを守ろうと、人助けをするようになった子もいる。人との付き合い方はそれぞれです。時には哀しい別れを迎えることだってある。でも、それを恐れていたら、誰とも付き合えませんよ」


 母親も、たとえそれが子供だろうと、意見を聞く度量はある。ただし、それを冷徹に斟酌した上で、自分が負けない結論をだす人だ。

「私は救の〝人助け〟にも懐疑的です。自分のこともしっかりとできていないのに、他人を助けられるとは思えませんからね。ですが、そうまでいうなら、薄が中学に通うことはみとめましょう。ただし、これからアナタたちは違う学校に通いながら、何かあったらサポートするという、さらに大変な作業が待っています。それでもよいのですね?」

 そう、小学校のころから、薄が学校に通う条件は、兄妹がしっかりサポートすること、だった。直は救と目を見かわして、すぐに頷く。

「勿論、その条件で結構です」

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