第10話 時と空をかける少女1

   時と空をかける少女1


 公立彩町高校――。

 ごく一般的な公立の高校であり、偏差値はそこそこ高いものの、かといって一番ではないし、スポーツも盛んではない。唯一、ここが注目されるのは女子のセーラー服が可愛い、という点だ。

 古くさい校舎の中では、彩りも鮮やかなセーラー服が舞う……。そんなギャップも特徴といっていいのかもしれない。


 しかし今、行々木は数学家準備室に来ていた。四畳ぐらいの縦長の部屋に、両脇の壁にはびっしりと本やファイルが並ぶ。華やかさなど微塵もない、素っ気ない部屋である。しかも目の前には、数学科の教師が仁王立ちしていて、こちらは椅子にすわらされているけれど、ほぼ目線は一緒という、奇妙な状況でもあった。

「大変だったんだからね! 大変だったんだからね! 大変だったんだからね!」

「大切なことなので、三回言いました?」

「三回言っても足りないんだから! プリント一枚渡すだけで、親を呼びだすって、どう考えても不自然じゃん。すんごく睨まれたんだからねッ!」

「事情は後で、ちゃんと八向に説明させておきますから……。事態は丸く収まって大団円でしたし……」

 屋鳥先生が怒り心頭に発する理由は、彼女が副担任をしている八向家でおきた事件を解決する際、屋鳥先生に協力してもらったからだ。詳しくはクロース・クローズドを読んでもらうこととして、その翌日、こうして呼びだされていた。


 屋鳥先生はこう見えて、数学の教師である。いわゆるリケ女であり、女子大の数理学科をでたそうだ。

 こうみえて……というのは背も低くて童顔、二年目の新米教師であり、大人というより、むしろ中学生といってもよい容姿だから。ただ、そこに巨乳という不釣り合いな体形をしており、そのギャップもあって、生徒からの人気も高い。グラビアとかやれば、絶対に人気のでるタイプである。

「その反省として、今日は私が行々木クンを独占します!」

「独占って……」

「行々木クンは、私の愚痴を聞くお仕事があるのです!」

「少なくとも仕事じゃないですから。グチぐらいなら聞きますよ。先生の場合、今は魔法もでていませんが、完全に解消されたわけじゃありませんから」

「……え? そうなの?」

「魔法を完全に解消するのは難しいんですよ。屋鳥先生の場合、ストレスが原因ですから、ストレスが溜まれば、また……」


 彼女は男性に対して免疫がなく、また言いたいことを言えず、ストレスを溜めこみやすいタイプだ。その結果、顔が半分だけ黒くなる、という魔法をかけられ、行々木に助けられた。

「そう言われることがストレスだよ」

「ストレスは意識しないうちに溜まるものですから、意識できているうちは大丈夫ですよ。それに、ストレスを自然と解消できる術を憶えたら……」

「今の私のストレス解消術は、行々木クンに愚痴を聞いてもらうことです!」

 行々木も何となく自分のタイプを心得ていた。結構ずけずけと、平気で相手の批判や嫌がることを口走ってしまう一方、元々、兄体質でもあって、自然とどこかに隙をつくっておく。その隙が、言い返せるだけの余裕が、妹体質の屋鳥にとっては殊の外居心地よいのだ。実際、彼女の家族構成については聞いたことがないけれど、甘えたがりなのに、甘える相手がいなかった、という面もあったのかもしれない。そうして面と向かって愚痴をいうばかりでなく、メールやSNSでも悩みを打ち明けるようになっているのだ。


「そういえば、何で行々木クンは、へんてこな名字なの?」

「へんてこ……。地名姓らしいです。元は行々林と書いて『おどろばやし』と読ませる地名があったそうです。どこまで行ってもおどろおどろしい林がつづく。そこから木が一本抜けて『おどろき』にした、というのが由来のようですね。近くに『驚』という地名もありましたし、驚という姓をもつ一族から分家したときに、こんな珍妙な姓を名乗った説もあるらしいですよ」

「な~んだ。ご先祖がビックリ体験をして、そのときの記憶からつけた、とか、桃の木と山椒の木を育てているから、ついでに名字も……じゃないんだ」

「そんな面白動機のはずないじゃないですか。何ですか、桃と山椒って。そもそも山椒が木と知っている人の方が少ないですし、今どき『驚き桃の木山椒の木』を知っている人が少ないですからね」


「年齢いじりは止めてよぉ。私まだ23だよ! 行々木クンとは7つ差だからね」

「年齢は引き算じゃないんですよ」

「どういうこと?」

「割り算をするんです。すると、先生はボクの1.4倍。それが十年経つと、年齢差は変わりませんが、比率は1.2倍に縮まります。1に近い方が恋愛に発展しやすいというのは分かりますよね」

「数学の教師に、数字で挑む気?」

 屋鳥は何か悪いスイッチが入ったように、腕まくりを始めていた。


「積分は未来を知り、微分は過去のことを知る、というものなんだよ」

 数学の知識をひけらかすこと数十分。愚痴ではないけれど、ちょっと自慢げに話をすることでも、ストレスは解消するものだ。

「数学で、そんなことができるんですか?」

「微分は変化量を求める関数だけれど、グラフにすると、その接線として示されるって教わるよね。積分はその関数とX軸との間でつくられる面積の総和って。ふつうはそれで十分なんだけど、この世界を単純化し、特定の関数で記述されるものだとすると、時間という尺度をつかって、微分積分で計算して、過去や未来を表すことができるんだよ」

「物理学で、微分積分の数式がでてくるのも、それですか?」

「力学系だと、微分積分がつかえるね。ある力が作用しているとき、過去にはどういう作用があったのか? その力がつづくと、将来的にどうなるかを計算で解き明かせるのだよ。どう、数学をやってみたくならない?」

「一応、理系専攻ですけど、数学より物理に興味あるんですよね」

「数学は基本だよ。結局、数学をやらないと物理も理解できないから、数学をやっておいた方がいいって」

「キラキラした眼で言われても……。どうして屋鳥先生は数理学科を?」

「女子高から、女子大へとエスカレートで上がる学校だったんだけど、数理学科の希望者が少なくて……」

「動機が不純⁈」

「違うもん! 動機は不純だけど、数学に嵌ったから、先生にまでなろうと思ったんだもん!」

「でも、教師になっても生徒の方をみないって有名ですよ」

「それは……。男子も女子も、みんな胸をみてくるし……」

「そんな胸が、目の前でこれ見よがしにぶらぶらしていたら、それはみるでしょ」

 行々木は授業をうけたことがないけれど、それは健全な高校生だったら、授業どころではないだろう。学生の本分は勉強、と言われるけれど、本分は隠せても本能は隠せないものだ。

「本当は女子高の先生になりたかったのに、空きがなくて……。コンプライアンスにうるさい昨今、女子高には男性教師じゃない方がいいでしょ。数学だよ。男性教師ばっかりなんだよ。だから女性である私にも需要があるかと思っていたのに……。女子高だったら、私ももう少し前をみて話したよ」

「女子高の方が、嫉妬とか色々あって、大変そうですけどね」

 女の子同士だって、今は恋愛していい時代だ。むしろ女子高だったら、可愛い屋鳥先生はもっと人気者になっていただろう。

 いや、可愛がられる、という方が正解かもしれないけれど……。


 それから二日後の放課後、行々木が学校の校門からでてくると、待ちかねたように一人の少女が駆けよってくる姿があった。

 生憎と、そんなシチュエーションに遭遇するのは初めてのことで、行々木も戸惑ったようにたじろいでしまう。特にそれがオシャレな服をきて、大人びた女性であったら、尚更である。しかも、春先の優しい陽射しのような、包まれ感のあるゆったりとした服を着ているにも関わらず、走るとその存在を厭が上でも……否、服の下からでも主張してくる大きな胸をしていたら……。

 あ、八向 賜だ……。

 顔より、胸をみて思い出したのは理由もある。それは化粧っけもなく、髪の毛もぼさぼさのまま別れた……というばかりでなく、つい数日前まではほっそりとした女の子だったのに、いきなり胸が大きくなるなど女性っぽい体つきになった、という記憶が鮮明だったからだ。

 しかし、周りの男どもがいくら鼻の下をのばし、目を釘付けにしようと、あどけない顔をした賜は、まだ小学五年生――。

「行々木さん!」

 さらに満面の笑みで近づいたのが、学校でも変人として知られる行々木であり、釘付けにされたそれを、丸くするばかりだ。

「お兄さんに用事?」

 彼女の兄は、この高校でサッカー部のエースストライカーとして活躍する。その縁で、魔法にかかっていた彼女を助け、こうして顔見知り……もとい、胸見知りの間柄となった。

「兄は部活ですから……。今日は行々木さんに、これを……」

 差しだされた紙袋には、折り畳まれた服と、包まれたクッキーが入っていた。


「捨ててくれても良かったのに」

「そういうわけにはいきません! むしろ、私が着たものをもう一度着て欲しいっていうか……。いえいえ、返しても返し足りない恩があって、服まで借りっ放しというわけにはいきません! ただ、もっていた服がほとんど着られなくなって、しばらく借りてしまいました」

「あれだけ大量にあった服が、着られないんだ……」

 彼女は服の山に引きこもっていた。その服は肉体を変化させるためであり、大人へと脱皮した彼女には、もうその服は必要なくなったのだ。

「古着屋にもっていったり、ネットで売ったりしています。家計も大変なので……」

「新しい服も買わないとね」

「私、読者モデルをしているんですけど、体型が変化したことを伝えたら、服をいっぱいもらえて……。これもその一つです」

「読モって、そんな特典があるんだ?」

「うちは母子家庭なので、少しでも助けになれば……と始めたんですけど、最近はあまり仕事もなくて……。でも、今度新しい雑誌を紹介してくれることになって、そこではSNSで宣伝しないといけないんですけど、服をもらえるのだそうです」

 前までは小学生向け、これからはティーンズ向け……。ここまで完璧なボディを手に入れたのだから、引く手数多、服を無料で送ってもがっちりつなぎ留めておきたいはずだった。


「クッキーは自分で焼いたの?」 彼女を送っていきがてら、そう尋ねる。

「家では家事全般が私の担当なので、料理も一通りこなせますよ」

 そう、八向家は母子家庭、母親は働いていて、兄はサッカーに情熱を傾けており、必然的に家事の負担が彼女にかかる。だから早く大人になりたくて、そこを魔法使いにつけこまれた。そして母親のやっていた宗教により、彼女は引きこもってしまったのだ。しかしそんな中でも、読モをするなど、しっかりと自分をみつけようとしていたことには、頭が下がる。

「今度、お弁当でもつくりましょうか? 兄の分もつくっているので」

「君のお兄さんにバレたら、お弁当を食べる前に、強烈な蹴りを喰らいそうだから、遠慮しておくよ」

 若干シスコンの匂いもするけれど、妹が魔法にかかって、さらに敏感になっているはずで、手をだすと「殺す」宣言されている。刺された釘は、吸血鬼でいうところの心臓に打ち込まれた杭のようなものだ。

「でも、私は行々木さんに恩返しをしないと……」

「魔法使いに関する件なら、気にしなくていいよ。ボクとしては魔法使いがまだこの付近にいる、と知れただけでも報酬だから」

「魔法使い……まだいるんですか?」

「少なくとも、君への魔法はそんな前のことじゃない。何でこの街にとどまり、うろうろするのか分からないけれど、ここ最近、その動きが活発になっていることもあって、警戒した方がいいだろうね」

「季節性……ですか?」

「啓蟄を超えると虫が動きだす、と同じではないけれど、ここ数年は大人しくしていた魔法使いが、ここ一ヶ月ほどで、急速に活発化している。魔法使いが関わったとみられる事象が相次いでいる」

「じゃあ、また私も……?」

「君の場合は大丈夫だよ。だって……」

 結果がでている。というか、出るところがでている。早く大人になりたかった、彼女の体はもう目に見えるほど、見て分かるほどに大人になっているのだから。


 八向 賜の暮らすマンションの近くまできたとき、ふと行々木が目を留めた。遠くから二人の少女が歩いてくる。一人は桜リアム学園の制服を着ており、もう一人は近くの糸寿中学校の制服を着ている。

 行々木の視線に気づいて、八向 賜もちょっと怒った様子で「どうしました?」

「妹……だよ」

「あれ? 救さんじゃなくて?」

「救は末っ子で、その上にもう一人いるんだ。救からみると姉にあたる……」

 行々木家は兄である直に、妹二人という構成だ。ただ、行々木が目を留めたのは、不安を覚えたのは、街中で妹にばったりと、しかも可愛い女の子と二人きりのときに巡り合ったからではない。中学校からの帰り道でもない、こんな遠回りしてまで妹がここを通るはずもなかったからだった。


 行々木 薄――。

 中学一年生で、妹の救とは年子の関係になる。ただ、活発で何ごとにも前向きな救とちがって、内向的な性格で、病弱でもあり、健康体とは無縁の少女であった。学校も休みがちであり、学校が終わっても寄り道しようとか、ちょっと回り道して冒険しよう、とはしないはずだ。

 しかも隣にいて、こちらに気づいて手を振ってくるのは……。

「ごー、あへッ! 直ッち!」

 それは有栖 零央名――。友人である飛龍院 美槍が魔法使いによって逆さになる魔法をかけられたとき、行々木に助けを求めてきた少女である。

 髪の毛の一部を三色に染め上げており、所々にリボンもむすぶなど、色が渋滞しているのが特徴であり、手にはストローの刺さった飲み物をもつ。

「いやぁ、涸井戸公園で困った様子だったから声をかけてみたら、行々木っていうじゃん。そんな珍名、絶対に直ッちの関係者だと思って、近くまで連れていってあげるっていって、連れてきたのだよ」

「連絡をくれれば……」

 そう思ったけれど、あの時に連絡先を交換したのは、飛龍院とだけだった、と思い至った。魔法使いとかかわったのは飛龍院だけで、有栖はただの友達、そう考えていたからでもあった。


 行々木 薄は痩せこけていて、手足などはやっと骨に肉と川がへばりついている、と見えるほどだ。拒食症にも見えるほどだけれど、食は細くても、ふつうには食べているはずなのに、太れない。体にも、どこにも異常はないのに、ずっと細くて病弱なまま……。

 そんな薄が、兄の姿をみてホッとしたのだろう。駆けよろうとして「兄さ……」とつぶやくと、そこで意識が遠のいてしまったらしく、ゆっくりと前のめりに倒れてしまった。

 行々木は駆け寄って、その体を受け止めた。あまりに細くて、熱が産生できずに、いつも冷たい体をしているけれど、このときの彼女は、特に冷たく感じられた。

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