第9話 クロース・クローズド4

   クロース・クローズド4


 すでに訪問するのは失礼にあたる時間だったけれど、行々木は八向の家を訪ねることにして、劫に連絡をとっておいた、

「アナタの娘を誘拐した者です」というわけにもいかず、とにかく話をしたいと伝えると、母親は待っていたし、教祖とされるガタイのいい男も残っていた。教祖は鼻に絆創膏を貼っており、敵意をもって行々木を睨んでくるけれど、自分のせいではないと行々木は無視することにした。

「妹をつれだしたのは、アナタね」

「その通りですが、正確にいえば、そこにいる劫も納得してくれていますし、そもそもは妹さん、賜さんと約束したことです」

「約束?」

「ボクが服の山の中に入って、話をしたのです。どうすればここから出て来てくれるのか? と。その結果、ボクの家に行くことで合意しました」

「そんなこと、信じられません!」

 ぴしゃりと決めつけるような言い方だ。しかしこれは予想していたことで、大人のこういう決めつけには慣れっこだった。

「信じるか、信じないかはアナタ次第です。ただし、一つの事実として、その結果、妹さんは服の山からでてきました。アナタがいくら呼びかけても、出てこなかったのに、です。未だに眠ったままですが……」

「眠っていたなら、話などできるはずないじゃないの!」


 鋭いな……。そう思ったけれど、こんなことで怯むはずもない。

「できますよ。ただし、それは魔法使いという存在をみとめるところから始めないといけません」

「魔法使い? いるわけないじゃない」

 大人は魔法使いというと、決まってこういう態度をとる。だから、魔法使いを追う行々木は、いつもそれに反論しないといけない。

「でも、服を引きずり込まれる現象を、あなたも見た。体験しましたよね?」

「それは……。悪魔が……」

「悪魔を信じるのに、魔法使いを信じないのですか?」

「手品です。あれば……、賜が手品をつかっていたんです!」

「目が覚めたら、聞いてあげて下さい。きっと手品はつかっていない、というと思いますよ。それに、悪魔はアナタの隣の……誰でしたっけ?」

「源だ。源 光」

 ヒカル感はゼロだけれど、源氏名かもしれない。宗教の教祖様なんて、大体名前を偽っているものだ。

「源さんも『悪魔』の存在はみとめていましたよね? 魔法使いは、悪魔の手先なんて話もあります。別に、そう強く否定するものではないはずです」


 源も渋々、といった感じで頷く。宗教をする上で、明確な敵、攻撃の対象がある方が布教もしやすく、そこに悪魔という存在を置いた以上、魔法使いとてその存在を認めざるを得ない。

「魔法使いが、彼女に魔法をかけました。その結果がこれです」

 彼らが話をしている隣の部屋では、未だに服が山盛りだった。

「何であんな魔法を?」

 自らの信じる教祖様が、魔法使いを認めた以上、母親もそれに沿って話をしてくるようだ。


「小学五年生、色々と悩みもあるでしょう。その中でも、恐らく彼女は、自分の体が未成熟であることに悩んでいた。そこで、魔法使いは魔法をかけたんですよ。彼女が大人の女に脱皮できるよう……」

「大人の女?」

「母親、それに兄に囲まれ、自分も早く大人にならなくっちゃ……そうした焦りが彼女にあったのでしょう」

「そんなことに悩んでいたのか?」

 これは劫が尋ねてくる。

「ボクも男だから、今ひとつ理解できなかったんだけれど、肉体的にも変化する女性の方が、よほど切実さ。しかも、しっかり者の彼女であれば尚更、その根拠としての女性らしさ、大人っぽさにこだわったのかもしれない。魔法使いは、そんな彼女に魔法をかけた。早く大人の女性になれる魔法を……」

「それが、あの服の山だったのか……」

「そうじゃない」

 劫のつぶやきを、言下に否定したのも行々木だった。


「ここで、彼女にとって予測しない事態が起きてしまった。第三者がづかづかと家に入ってくるようになり、しかも彼女に色目をつかってくる……と」

「色目?」

「アナタですよ。源さん」

 源も、自分のことを指していることは、話の流れから察していたのだろう。先ほどよりも険しい目つきで、行々木を睨みつける。

「彼女にとって、それが恐怖だった。脅かされる日常……というばかりでなく、貞操の危機も感じていた。今、大人になっては危険だと。それとも、自分の意志とは関係なく、大人にさせられるかもしれない……と。そして、そんな両者の悩みが重なって生みだされた、つくりだされたのが、あの服の山であり、その中に自分を隠す……という行為だった」

「それで、両方の悩みが解決されるのか?」

「イヤ……。ただ、彼女は時間をかけようとした。自分の体を、その間に大人のそれにつくり変えることによって、大人とみとめられることによって、自分の身を守ろうとした。

 あれはミノムシ……、もしくは蚕が蛹になるときつくる、繭と同じだよ」


「繭……ですって?」

 そうつぶやいた母親の方を向いて、しっかりと頷く。

「ボクがあの服の束に入って感じたのは、まるで母体に包まれているような感覚、つまりバース・メモリーです。つまり生まれ変わり。彼女はあの中で、大人に生まれ変わろうとした。だから蛹になった。太っていた。あの殻を破ると、脱皮すると大人の体になるはずだったのさ、彼女は」

 最後は、太った姿の彼女をみている劫に話しかけた。確かに、それまで子供っぽい未成熟な体だったのが、太っているといっても胸も大きくなり、急に女性っぽい体になっていた。それは兄にとっても驚きだったろう。


「服というのは自分の体を守るもの。外に曝さず、隠しておくもの。同じように繭も蛹となって、動けなくなる間の自分を守り、その身を曝しておかないためにつくるものだ。

 彼女は服を大量にまとうことによって、自分を守るのと同時に、その間に自分が大人になって、自分で身を守れるようになろう、と考えた。考えざるを得なかった。その結果、魔法使いのかけた魔法がそういう形で発現したんだ。

 相手の服を奪ったのも魔法の影響だろう。家の中が安寧でなくなり、服しか守ってくれるものがなかったんだ」

 母親も、八向も、今の話を斟酌するのに、少し時間がかかりそうで、じっと考えている。自分たちが遭遇したことに、今の話のどこかに矛盾があるのでは? それを考えているのだ。


 ただ一人、この中でいかめしい顔をしているのが、教祖である源だった。

「私のことを勘違いしているようだが、彼女の貞操を脅かそうとするなんて、そんなことはしない。信者である鼎氏の子女であるからこそ、大切に思っていた。それを、もしかしたら誤解されたのかもしれないが……」

「誤解? 女の子は敏感だよ。自分に好意を向けてくるのか? それとも悪意をもっているのか? 彼女にとって、アンタは敵だ。だから、アンタは服の山に入ることができなかったんだろ? 何度もチャレンジしたのに。

 それに、どうして今日、母親を学校に送り届けた後、ここにもどってきた? アンタにとって、ただの信者の一人、なんだろ? しかもその娘のことで、どうしてそこまで入れこむ?

 もどってきたオマエは、母親のいない間に娘をひっぱりだして、イタズラでもしようと思っていたんじゃないか? どうせ、自分がいるときは兄が嫌がって部屋から出てこないし、二人きりになれるからな」


 こういう、人の嫌がることを語らせたら、行々木には天賦の才がある。畳み掛けられ、源は反論もできずに、怒りでわなわなと震えだす。恐らく、心にやましいことがなかったら、それを見透かされたのでなかったら、こうした怒りにつながることもないはずだった。

 源は立ち上がると、顔を真っ赤に怒らせて、行々木に近づく。ここはあえて、その攻撃を受けるべきだと、行々木も腹を決めていた。


 殴られる! そう思って歯を食いしばったのだけれど、その拳が彼にとどくことはない。それを遮ったのは、八向 劫だった。

「オレの友達を殴るのは赦さない。それに、オレの妹に近づくことも……」

 声を荒げるわけではなかったけれど、それが逆に彼の怒りを示していた。しかも、行々木に向ける暴力は、まだイイワケができるかもしれないけれど、もしそれを八向家の誰かに向けたら……。それぐらいの判断は、怒りに我を忘れているといっても、彼にもできたのだろう。

 唾棄せんばかりの形相で、大股で部屋を出て行ってしまった。


「今の行動をみても分かるでしょう。ボクの言葉が信じられなくとも、娘さんの行動を信じてあげて下さい。どうして娘さんが引きこもったのか? それがどのタイミングと符合するのか? そして、小学校五年生というのが、女の子にとって如何に大切なのかを……」

 八向も「オレからも言わせてくれ。妹にとって、家族が大切だってことが、今回のことでよく分かった。だから、あんな男をこの家に入れないでくれ。母さんがどんな宗教をやっていようと、それは何も言わない。だから、この家にそれを持ちこまないでくれ。オレたちが、安心して暮らせる家にしてくれ」

 そういって、母親にむけて深々と頭を下げた。きっと、対立していた親子関係だったのだろう。その訴えが、母親にとどかないはずもなかった。


 とりあえず、夜中に移動させるのはよくない、ということで、その日は八向 賜も行々木の家に泊まった。

 翌朝、起きてきた賜をみて、行々木も目を見張った。何しろ、一夜にして細身の、以前の姿にもどっていたからだ。ただし、胸のふくらみは残っており、そこからお腹がくびれているので、まるで某怪盗の友人の、女盗人のそれに見えるほどの、ナイスバディに見えた。

 しかも、救の服も入らなかったので、今は行々木のシャツと、下はジャージを穿くため、まるで男の部屋に遊びに来た女の子――。そういうシチュエーションも、妙に色香をただよわせてくる。

 これで、隣に妹の救がいて、兄の目線をじとっとした目で追いかけてこなければ、モジモジする超絶ボディ少女をもっと愛でていたいところだ。

「昨日のことは憶えている?」

「はい。うっすらと、ですけど……」

「ボクと会話したことは?」

「憶えています。ただ会話した、というより、心で通じ合った、というか……」

「ダメだよ、賜ちゃん。こんな変人と気持ちが通じちゃ……」

「変人……なんですか?」

「魔法使いを追いかけて、おかしなことに首をつっこんでは、危ない目に遭っている変人だからね」

「でも、そのお陰で私はどうしようか、分からなくなっていたとき、答えをみつけることができたんです」

「最終的には、救の名前をだして、決断してもらったんだけど……」

「ひどいよね。私に了解もとっていないんだよ」

 救はそういうけれど、人助けと言えば彼女は絶対に断らないはずで、今回も後付けであっても「家に連れていく」というと、四の五の言わず、その準備をすすめてくれたのだ。

 そして眠っていた彼女に、家にもどった行々木が顛末を伝えると、眠れる彼女が目覚めたのだった。


 その後、母親と八向 劫の二人で迎えに来た。

「あの祭壇は、撤去することになったよ。あれがあると、またあの教祖がやってくるからな。子供の幸せを願ってはじめたはずの宗教が、子供たちを害するものだとわかって、やっと母親も目を覚ましてくれた。オレたち家族、全員が目を覚ますことができたんだ」

 抱き合って再会を喜ぶ母親と娘をみて、劫も涙ぐんでいた。一家にのしかかっていた問題が、ここで一気に解決することになった。それは彼にとっても、最良の結果となったはずだ。

「これまでオレは、魔法使いなんて正直、信じていなかった。でも、妹のあの様子をみて、考えを変えたよ。魔法使いはいる。オレたちの近くにいるって……。そして、お前のように『魔法使いを追う』なんて言っている奴のことを、バカにしていた自分が恥ずかしくなった」

「恥ずかしがる必要はないさ。魔法使いなんて、実際にそれを体験したことがない人間にとっては、ただの与太話だ。でも、確実におかしなことは起こっていて、それを調べる者も必要ってだけのことさ。

 必要は、発明の母っていうけれど、不思議なことが、ボクのような存在を必要としている。発明家が、有用な発明をできない間はただの変人、さげすまれてみられるように、魔法使いが発見されるまで、その存在が明らかにされるまで、ボクを理解するのも難しいんだよ……」

 だから変人扱いされる。でもそれをしていないと、ずっとつづけている者がいないと、きっと困る人間がいる。だから、行々木は魔法使いを追い続けているのだ。


「その達観があるから、そんなことをやっていられるんだろうな」

「達観じゃなく、達成感がないから、何も成していないから、ずっとやっているって感じかな」

 八向は笑って「オマエの、そんなひねくれたところが、周りから変人扱いされる理由かもしれないよ」

 すぐに真顔にもどって「でも、オレたちの家族を救ってくれたのは、間違いなくオマエだ。オレは感謝している」

「人助けの功績は、妹の救にゆずっておくよ。もう魔法は現れないと思うけれど、小学生だったら、色々と悩みもあるだろうからな。オマエの妹も、救の方が何かと相談しやすいだろう」

 そのとき、賜が行々木のところに走ってきて、その手をぎゅっと握ってきた。

「この服、絶対に洗って返しますからね」

「ダサいオレの服なんか、捨ててくれてもいいよ。でも、あれだけの服を処分するのも大変だろうから、救の方が小さいし、何ならお下がりをもらっても……」

「ちょっと! お兄ぃはホント、女心が分からないなぁ。一つ年下の賜ちゃんの方が大きいって、かなりショックなんだからね!」

 しかも背だけでなく、見た目の女性らしさでも完敗しているのだから、先輩としては立つ背も……否、立つ瀬もない。

 そのとき、ふと八向が顔を寄せてきて「オマエには本当に感謝しているけれど、賜に手をだしたら、ただじゃおかないから」と、怖い顔で詰め寄られた。

 相手は小学生、色恋を云々するレベルではないはずだけれど、異性を遠ざけておきたい、シスコンかもしれない。それこそ裸をみてしまった行々木だけに、服ではなく身を挺してでも食い止めるつもりのようだ。同じ妹をもつ身として、行々木もそこは服従するしかなさそうだ。


 結局、あそこにいた黒猫は、あれ以来姿をみせていない。ただ、ただの野良ネコとは思えない。何しろ、魔法使いに服属するのが、黒猫だからだ。

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