第8話 クロース・クローズド3
クロース・クローズド3
行々木 直は家に帰ってきた。ただし、その隣には同じ学年で、学校のヒーローである八向 劫がおり、彼に背負われた白いマントに身をつつむ、妹の賜がいて、彼女はずっと眠っている。
先に連絡を入れておいたので、行々木の妹、救が出迎えてくれた。短髪で、小柄だけれど、その目つきの鋭さは母親ゆずりで、小学六年生にして風格をただよわすほどでもあった。
「どうするの?」
救もそういって呆れる。彼女は名前の通り、人助けを趣味としており、誰かに手を貸して助けるのも厭わないけれど、兄のノープランぶりには、いつも呆れさせられるばかりだ。
「まだはっきりしたことは分かっていないけれど、とにかくあの家に置いておくのはマズイ、と思って……」
「それで兄妹そろって家出?」
妹の冷たい視線を緩和してくれたのは、イケメンで人柄もいい八向だった。
「迷惑をかけてゴメン。でも、オレも彼と同じ意見だ」
爽やかなイケメンからそう頭を下げられ、救も渋々と「大体、事情は分かったけれど、お母さんにはどう説明する気?」
「ほら、兄妹がダブルで同じ学校なんて、これはメデタイ! ということで、今日はお泊り会ってことで……」
「そんな嘘で、お母さんが騙されると思う? それに、捜索願とかだされたら、どうするの?」
誘拐犯――。あの教祖の魔の手から逃れるため……といったところで、母親がその教祖に心酔している以上、何の説明にもならない。警察も、民事不介入の原則はあれど、子供ばかりのこちらでは、圧倒的に不利なことは自明だった。
「オレが家にもどるよ。お前のことも、この家のことも明かさない。捜索願もださせない。それで2、3日は大丈夫なはずだ」
「大丈夫か? きっと執拗に聞かれるぞ」
「これまでだって散々、勧誘をうけ、それを撥ね退けてきたんだ。母親も、オレは頑固者だって認識があるから、多分大丈夫だよ」
親がする宗教を、子供が拒絶するのだから、かなり大変なことだったろう。しかしそれを、勉強やスポーツを頑張ることで封印してきた。八向が外からうける評価は、むしろ内からのそうした勧誘の圧力を回避するため、努力してきた結果、というのが正しいのかもしれない。
八向 劫は家へともどっていった。
救のベッドには八向 賜が眠っており、いつ目を覚ましてもよいよう、その隣で話をすることにする。
「頼んでおいたことは?」
「調べたよ。でも、やっぱりトラブルの痕跡はなし。どちらかといえば、周りに気をくばるタイプだし、そういうこともあって、慕われるタイプだね。お兄さんのことも自慢するわけでもなし、むしろしっかり者って評判で、友達も多い。悩んでいたことに気づいた友達はいなかった……」
「学校を休んでいたことは?」
「だから余計に、みんな心配していたね。でも、母親が面会を断っていたらしくて、誰も会えていないって」
それはそうだろう。娘は服の中に隠れています……なんて、友達に会わせるはずもない。特に、母親はそれを恥としていたのだ。
「じゃあ、やっぱり家庭環境……その宗教っていうのが問題かな……?」
「それを知っていた友達もいなかったから、多分、上手く隠していたんでしょうね。それがバレる、もしくはバレそう……となったら、それは悩みとしてあったと思うけれど……」
八向の話では、妹はそれほど積極的に、母親に従って宗教活動をしていたわけではないそうだ。ただしそれも、積極的な母親、否定的な兄、というはざまでバランスをとっていた可能性もあるわけで、そうなると悩みも深かっただろう。
気をつかうタイプ、というのは誰の証言からもうかがえ、そういう相手に対して気をつかえる人間だからこそ、ぎくしゃくした家庭環境の中で、自分の立ち居振る舞い方にも気を使っていた、と思えるからだ。
「でも、それだとおかしくない? もしそういう家庭環境に悩んでいたのなら、家出するでしょ、ふつう?」
「しかし、それでは家族がバラバラになる。そう考えて、引きこもるという選択をしたとも考えられる」
そう説明しながら、行々木もやはりストンと落ちていかないものを感じた。自分が引きこもったら、それこそ家族がバラバラになることぐらい、小学生の賜でも容易に想像がつくはずだからだ。実際、さらに宗教へ頼るようになった母親のことを、兄は快く思っていないことがうかがえた。亀裂の入る寸前、熾烈であり、鮮烈となる諍いの元ともなっているのだ。
そして、魔法使いがそれに手を貸す、というのも矛盾を感じる。人の悩みや、負の感情につけこむことはあっても、助けようとする積極的な関与はこれまで感じたこともなかったからだ。
「引きこもっても、家族はバラバラにならない?」
「う~ん……」
「でも、もしかしたら服を集めて、入っていただけじゃないかもよ」
救はそういって、自分のスマホをさしだす。
「これ、役に立つかと思って、送ってもらった写真」
スマホを覗きこんで、行々木はふたたび「う~ん……」と唸ってしまった。
何しろ、そこに映っているのは、全然ふくよかなどではない。むしろ、ほっそりとした細身の少女だったからだ。彼女が姿をかくす直前、友達ととったスナップ写真であり、そこには笑っている賜がいた。
2週間、服の中に引きこもっていただけで、これほどまでに体形が変わるものだろうか? お菓子の家なのに、それを食べるでもなく、逃げこんできたヘンゼルを太らせてから食べようとした魔法使いのおばあさんだって、ここまで太らせようとは思っていまい。
同一人物であることは間違いないけれど、まるでダイエットの広告で使用前、使用後の写真をみせられているような、そんな気分にさせられる。結果にコミットした……そんな感じだ。
「もしかして、太らせる魔法……?」
ヘンゼルを太らせたかったら、その魔法使いのおばあさんは、魔法でそれをすればよかったのだ。食べて太らせようとしたから失敗し、グレーテルに殺された。魔法使いがそんなマヌケだったら、今回の件ももっと楽だったろうに……。
ここから、行々木と八向とのスマホでのやり取り――。
「大丈夫だったか?」
「何とか」
「聞きたいんことがある。妹は太っていた」
「否! 細かった」
「あの姿をみて驚いた?」
「うそだろ? だな」
「食事はとっていたんだよな?」
「そのはずだ。食べているところをみていないけど」
「ちなみに、ネコは飼っていたか?」
「いや。ここは動物を飼うのに許可がいる。許可はとっていない」
マンションなので、他の住民に迷惑をかけないよう、動物を飼うときは許可をとらなければいけないらしい。気にしているのは、服の束が崩れた後、教祖が入ってきたときに、一匹のネコがいたことだ。黒猫だったけれど、飼い猫でないとしたら、どこから入ってきたのだろう?
その日の晩、行々木は仕事から帰ってきた母親から、よびだしをうけた。妹の救が協力してくれる、といっても、母親の理解を得ないといけない。
父親はほとんど家族のことに口をだしてこない。放任、というと聞こえはよいけれど、いわば無関心だ。なので、行々木家のことは、ほとんど母親の裁可により、良し悪しが決められる。母親を説得できれば、八向 賜をしばらくこの家に置いておくことができる。
「救からも聞いているから、大体の事情は分かりました。向こうの家の親御さんに了解をとらず、匿った理由もね。でも、アナタはどうするつもりですか?」
落ち着いた口調ではあるけれど、逆に感情の起伏がない点が怖さでもあった。相手の話をよく聞く、というのは反対からみると、嘘や誤魔化しが通じにくい、ということでもある。行々木も腹をくくった。
「彼女は、まだ魔法使いからかけられた魔法が解けていない。また、あの家にもどると再発する可能性がある。一先ず、彼女が目を覚まして、話をすることで何が原因かを知ることで、家に帰せるのかどうか、判断したい」
「ふ~……」
ため息でもなく、呆れたような吐息は、息子である直の主張をまだ受け入れていないことの表れだった。
「アナタがよくいう、その魔法使いですが、本当にそんなものがいるのですか?」
魔法使いがいる――。それは主に子供たちが騒いでいるだけであって、大人たちは懐疑的だ。魔法使いは子供にしか魔法をかけないし、大人はそれを理解しようともしない。自分たちの知る範囲の常識で、それを説明しようとする。今さら、その当たり前を崩すのは難しい。
「いる……と思います。その姿をみたことはありませんが、魔法によるとみられる、不可思議な事象には遭遇しています」
「誤解や、見間違いではなく?」
「はい」
そこは断言できる。ただ、母親のスタンスは〝黙認〟であって、決して〝賛成〟ではない。息子が魔法使いなどという、怪しげな存在を追うことを快し、としているのではないのだ。
「そして、あの女の子が魔法をかけられていた、というのは間違いないのね?」
「それは間違いなく……。何なら、彼女のお兄さんに聞いてもらえば、証言してくれるはずです」
母親は今一度「ふ~……」とため息をつくと「分かりました。なら、一先ず預かることには同意しましょう。ただし、向こうの親御さんのこともありますから、明日にはもどすこと。いいですね?」
これは同意ではない。妥協だ。要するに、一日は辛抱するから、あなたもその条件を受け入れなさい、という同意を結ばせるための圧力である。ここから一日というのはかなり厳しい条件であるけれど、今はそれを受け入れざるを得ないことが、力関係からみても明らかだった。
「目を覚まさないねぇ……」
救もそういって、その顔を覗きこんでため息をつく。
「目を覚まさなくとも、明日には彼女の家にはもどさないといけない。今はそうした状況を踏まえて、対策をとらなければ……」
母親に期限を切られてしまった以上、対策をとろうと再び救の部屋――。
「何か考えがあるの?」
「想定されるシナリオは、大別して二つ。あくまで魔法使いは、これまでのように、若者の悩み、苦しみにつけこんで、ちょっとした悪さをした、という前提で立てられるものだけれど、まず一つは、彼女はこの世界から消え去りたい、誰の目からも隠れていたい、と考えていた、とするものだ」
「でも、それだと服の中っておかしくない? 簡単にはがせるのに……」
「それが難しかったことは証明済みだよ。ボクが服の中に入ることができたのも、服を引き剥がそうとしなかったから……。入る分には拒絶されなかった、という事情もそうだろう。
むしろ隠れたかったのは、家族の前からだけだったのかもしれない」
「それだと、やっぱり洋服に隠れるって、意味が分からない」
「その通りだよ。このシナリオの弱点は、隠れるなら姿そのものを消してしまえばよかった点だ。
次のシナリオは、隠れたかったわけではなく、身を守る必要があった、とするものだ。その場合、家が隠れ蓑にならない、と考えていたことになり、そこにはあの宗教が影響すると思われる」
「宗教を嫌っていた?」
「嫌いだったことは間違いない。積極的でない宗教への協力なんて、大体そうだよ。ただ、それでも身を守る必要性を感じたのは、最近あの教祖が、頻繁に家を出入りするようになったこと、だったと思う」
「でも、やっぱり服に隠れても、あまり意味がないんじゃないかな。いくら服を引き剥がせないって言っても、何の解決にもなってないんじゃない?」
「確かに、自分本位な解決でしかないんだよな……。彼女の人柄、性格を聞くにつけても、そうした独りよがりな解決法をえらんだ、ということに疑問符もつく。彼女は服の束の中で『自分を守るため』といった。守らなければいけない事情があったはずだけど……」
そのとき、賜が「う、う~ん……」と寝返りを打った。かけていた布団が落ちたのだが、彼女が身に着けているのは、サイズの合っていない白マント。急にふくよかになってしまったため、仕方なくかぶせただけの代物だ。そのため胸元が開いて、そこから小学生としてはかなり大きな、立派なものがポロリしてしまった。
「お兄ぃ!」と、厳しい目でみられ、救も慌てて布団をかけ直すけれど、行々木も肩をすくめてから
「さっき服の山からでてきたとき一度みているし、その体型だと、男の子だって胸があるように見えるから……」
……あれ? 「さっきの写真、もう一度みせてくれ」
救がスマホの画面をみせると、行々木も食い入るように見える。
「ちょっと! どこを見ているの⁈」
「嫌、ほとんど胸のなかった子が、急にこれほどになるか?」
「脂肪って、女性ホルモンをだすんだよ。だから、胸が大きくなりたかったら太るしかない、っていう子もいるぐらい」
服を集めて、その中に隠れていた少女――。中ではぶくぶくに太っていた。変化していた。
「待てよ……。服をまとうことで、守れるものって何だ?」
「え? それは裸を見られないため……」
「守るって、そういうことだったんだ。裸ばかりじゃなく、性的な対象として、自分が曝されることへの恐怖……。そういったものから、彼女は身を守りたかったのかもしれない」
救も首をかしげつつ「性的な対象って……」
「あの宗教が、何を信奉しているかは分からないけれど、大抵の宗教では女性を贄としてささげてきた。教祖にね。その対象とされつつあることを、彼女も感じていたのかもしれない」
「それで、大量の服によって自分を守ろうとした?」
「彼女が服の山からでてきた原因も、ボクが家に誘ったことだ。それで自分の身を守れる、と考えた結果だとすると、説明もつく」
「でもその説明だと、魔法使いが関与した理由が分からないんでしょ」
「そうだったんだけど……。今の写真をみて、何となく理解できたよ。ボクが女心を理解できていなかったことが……」
「お兄ぃはずっと理解できていないからね、女心」
「……反論もできないけれど、彼女のように、父親がいない。母親の手で育てられ、かつ末っ子なのに、しっかり者でいることを求められた、という立場、環境を理解するだけでも難しかった。でもそれを理解すると、ますます今回のケースで魔法を解くのは難しい……と感じる。多分、彼女の家の問題を、一掃するぐらいの大仕事になりそうだ」
そういったときの行々木は、ちょっと気難しそうに頬を膨らませていた。
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