第6話 クロース・クローズド1
クロース・クローズド1
「ちょっと、相談に乗ってくれないか?」
そう声をかけられ、行々木は嫌な予感しかしなかった。目の前に立って、こちらを見下ろすのは学校一の人気者、とされる少年であり、この目立ったところのない公立の彩町高校で、一年のときからサッカー部のエースとして活躍、県ベスト8に導いたヒーローでもある。
学校で変人とされ、忌避生物の如き扱いをうける行々木とは一線どころか、それが束になって、荒縄となるぐらいの差だった。
相談に乗って、という割に、無言のまま歩いて学校をでる。
彼の名は八向 劫――。〝劫〟というのは、白鳥が千年ごとに大きな岩の上に降りたち、そのとき羽が少し岩にふれてけずる。そうやって岩がなくなるまでの時間、とされる。つまり気の遠くなるような長大な時間という意味であり、中々に壮大な名前でもあった。
そんな名前に負けず、スポーツ万能、成績優秀、人柄もよく、これでもかとばかりのイケメン要素を詰めこんでおり、行々木とは雲泥の差でもあって。同じ学年だけれど、これまで一度も話をしたことはない。
それはイケメンと変人では、字数ぐらいしか共通点もなく、接点がまるでなかったからでもあり、卑屈を感じるまでもなく、互いに窮屈を感じるレベルで、隔たりを意識するからでもある。
八向は何も語らず、歩みを止めない。仕方なく、行々木の方から声をかけた。
「今日、サッカー部は?」
「休みだよ」
ぶっきら棒にそう応じる。彩町高校はごく一般の公立校であり、グラウンドは他の部との共有だ。毎日練習するわけにもいかず、交代制でもあって、グラウンドを使えない日も別の場所で練習するか、こうして休日を設けている部も多い。
それで唯一の会話らしい会話も終わってしまった。他人に気をつかうタイプでもない行々木も諦めてしまった、ということだ。
そうして八向が辿りついたのは、この街ではよく目立つ、大きなマンションの前である。
「君の家?」
八向は黙って頷くと、エントランスで暗証番号を押して、中に入る。十八階建てのマンションは、多少の老朽化はみられるものの、清掃はいきとどいており、その十四階で、エレベーターを降りた。
部屋のドアを開けると、少々ツンと鼻をつく匂いがする。
どこかで嗅いだことがありそうだけれど、行々木もすぐに思い出せそうにない。先に中へ入った八向につづいて「お邪魔します」と、部屋に入った。
そこは入ってすぐ左右に部屋があって、廊下をすすむと右に洗面やトイレ、お風呂があり、左手はそこからキッチン、ダイニング、リビングとつづく。リビングの右手にもう一部屋ある、という構成だ。
ファミリー向けのマンションなので、部屋数を増やす必要があったのだろう。その分、リビングが狭い気もするけれど、それ以上に違和感もあるのが、本来ならテレビが設置される場所に、装飾の施された箪笥があることだった。各家庭の事情なので、テレビがなくとも構わないとは思うけれど、開き戸となった部分は洋服を入れられるような奥行きもなく、使い勝手も悪そうであり、オシャレとも無縁でもあるので、余計に奇異に映る。
「本当はこんなこと、誰にも頼める話じゃないんだが……」
この期に及んで、八向はそう尻込みする。
「ボクをここまで連れてきたってことは、魔法使い絡みなんだろ? 今さら、それを隠してどうする?」
「だけど、親はこれを呪いや祟りといって、疑っていないんだ」
「正直、そういう可能性がないこともないと思うけれど、まずは見てみないと判断もできないよ」
八向も意を決したように、リビングからつながる開き戸を開けた、行々木も、思わず「何だ、これ?」とつぶやく。そこには、洋服やら毛布やら、あらゆる布が積み上げられており、それが天井近くまで達していたからだった。
洗濯ものだとしたら、随分とずぼらな家庭だ。
むしろ折りたたまないので、こうして束の中から着ていくものを選ぶ、と説明された方が、よほど理解できただろうし、その解釈で自分を納得させていた方が幸せだったのかもしれない。
「洗濯物が、だいぶ溜まっているな……」
そう行々木がつぶやくと、八向はため息をついて「服をめくってみてくれ」
不審そうに近づいた行々木が恐る恐る手を伸ばすと、引っ張られるような感覚を覚えて、思わず手をひっこめた。
確実に、何者かの気配がするものの、そこには服の山があるばかりだ。もしかしたら、この中に人が入っているのか……?
「紹介するよ。妹の賜だ」
これを紹介というのだろうか? それは友人の家を訪ねて「うちの娘です」とネコを紹介され、困ったケースと似るのかもしれなかった。
「妹は2週間前から、洋服の束の中に入って、出て来なくなった……というか、恐らくその前から、ずっと様子がおかしかったんだ。洋服を買い漁るようになり、結果的にそれが今、ああして溜まっている服の一部となっているよ。両親のものも、オレの服もまじっている。そうして、あの中で引きこもっているんだ」
「精神疾患の可能性は?」
「精神科の先生にも来てもらったけれど、判断つかないそうだ。話しかけても答えてくれないし……。そもそも服の中に引きこもるなんて、どんな症状だよ。得体が知れないだろ?」
得体どころか、衣体が知れない。元々僧侶のきる衣体には、宗派ごとに違いがあるので、すぐに相手のことを判別できるのだ。しかし、その衣体をみても判断できない相手を『得体(衣体)が知れない』と言ったことに由来する。
彼女の場合、衣体が多すぎて何者か、判断できそうになかった。
「服に包まれていると安心する……というなら、依存も考えられるけれど、それには異存もある。
恐らく中はかなりの高温だろうし、呼吸だってしにくいはず。あれだけの服、重量だって半端ないから、圧力もすごいだろう。それでも平気というなら、魔法使いの介在を疑ってもおかしくないな……」
行々木と八向の二人は、今は隣のダイニングテーブルに座っていた。
「エアコンはついていないのか……。4月といっても、昼間にはこの南向きの部屋だと、かなりの暑さになるだろうから、それに耐えているのか? 昼間、服の外にでてくるというなら別だけれど……」
「妹がこの状況になってから、母親は会社を休んでずっと付き添っているから、出てくれば分かる」
「食事は? 生理現象は?」
「食事は近くに置いておくと、自然になくなっているよ、生理現象については分からない……」
首をかしげる。食事はともかく、生理現象だけは止めようがないはずだ。中でしているのなら、匂いが漏れて然るべきだろう。2週間、もし便秘の人であっても耐え切れるレベルと思えず、衣服を外したら異物、という笑えない状況もある程度覚悟する必要がありそうだった。
「話はできるのか?」
「何を話しかけても、答えてはくれないよ」
聞こえているかどうかすら、謎である。しかも、先ほどの引っ張られる感覚は、不思議なものを感じた。
「服を引き剥がせばいいんじゃないか?」
「あの山に手をだすと、実は……」
八向がそう言いかけたとき、玄関の開く音がして、どかどかと多くの足音が聞こえてきた。戸惑っていると、LDKに入ってきたのは、中年の男女を先頭にした、白いマントの集団である。
中年以外の者は、頭からすっぽりと、まるでKKK団のような全身を覆うマントを身に着けており、不気味さはそこはかとなく、そんな連中が十人近くも入ってきたのだから、怪しさ満載でもあった。
「劫、この人は?」
恐らく先頭にいた中年の女性が、八向の母親だろう。ただ、八向は「ちッ!」と小さく舌打ちしてから「友達だよ」と応じた。
その舌打ちは、行々木のような輩を「友達」呼ばわりしたことに対する、自虐なのか? ただ、母親の視線が冷たく、それだけでも部外者である行々木を、邪魔者扱いしていることが伝わってきた。
「我が家の恥を、そうやって誰かに話すものではありません!」
ぴしゃりとそう告げた。恥……というのは、妹の賜のことか。もしかしたら、彼女のことを単なる引きこもり、とでも考えているのだろうか?
すぐに行々木に向き直って「帰ってもらえますか?」と、有無をいわさぬ口調で声をかけてきた。
しかし、ここで退くぐらいでは、魔法使いを追うことなどできない。行々木は愛想よく「差し支えなければ、ここで見学していていいですか? アナタたちの活動にも興味がありますので」
「興味? おやおや、それは入信する、ということかな?」
母親の後ろにいた、ガタイのいい男性が前に出てきてそう言った。
「今は何とも……。だって興味があるって、そういうことでしょ? 興味を抱いた結果として、それが関心となり、入信につながっていく。ちがいますか? 今の段階なら、興味止まりです」
なるほど、道理だと考えたのだろう。いい、とも言わなかったけれど、出ていけとも言われなかったので、行々木もそこにいることにした。
白いマントの人物らは、手袋をはめ、何かの作業をするつもりのようだ。そして、服がうず高く積み上げられた隣の部屋へと入っていく。恐らく、そのまま服を引き剥がして中から少女をひっぱりだすつもりだ。
しかし、すぐに悲鳴を上げたのは彼らの方だった。何しろ、近づいた彼らに積まれた服がまとわりつき、しかも羽織っているマントに絡みついてくると、身動きがとれなくなったのだ。
自分の肉体が服の塊に引きずり込まれそうになり、慌てて服のからみついた白マントを脱ぎ、手袋をはぎとる。そうして服の山に残された白マントと手袋、そしてその周りで、パンツ一丁で呆然と立ち尽くす中年男たちの、完成だ。
中年男たちは「ば、化け物だ! 化け物がいるぞッ!」口々にそういって、悲鳴を上げながら逃げていく。パンツ一丁に靴下だけの男たちが、次々と部屋から飛びだしてくるのだから、シュールな光景である。
残された服の束に、白マントがずるずると引きずり込まれるのは、シュールを超えた愁訴だった。
残ったのは中年の男女二人と、八向 劫、行々木の四人だけだ。
「悪魔だ。悪魔にとり憑かれている!」
中年の男は、リビングにあった箪笥の開き戸を開けた。そこは祭壇のようになっており、篆書体のようなもので書かれたお札が中央にはりつけられ、その周りも文字でびっしりと埋め尽くされる。その前に立った中年の男は、密教で行われる九字護身法を唱えるときのような印をむすびつつ、呪文のようなものを、かなり大きな声で一心不乱に唱えだす。
母親もその隣に並んで立つと、一緒に詠唱をはじめた。
これまですわったまま、横を向いていた八向 劫はため息をつくと、行々木に顎をしゃくってきた。玄関の隣にある、自分の部屋へと誘う。そこは小さく、ベッドと学習机でいっぱいというぐらいの狭さだ。八向はベッドにすわり、行々木には机の椅子をすすめてくるので、黙ってすわった。
「恥ずかしいところをみつかったな……」
「宗教をやっているのか?」
「あぁ。太古の中央アジアで信奉されていた、密儀を掘り起こして伝承し、それを広めるために活動する、とか何とか……。妹が生まれたとき大病をしたり、父親が亡くなったりして、母親はそのとき信仰に救われたとか……。今の奴らは、その信者たちだよ」
「ちょっと待て。あれは父親じゃないのか?」
「教祖……とは言わないらしいけれど、その宗教のリーダーだ。最近、うちに出入りするようになった」
「オマエは信者じゃないのか?」
「多分、信者にカウントされているだろうけれど、オレはやっていないよ。母親がのめりこんだとき、もうすでに分別のつく年頃だったからな」
子供が宗教に嵌って、そこから足抜けさせるため、といって大騒ぎすることがあるけれど、親が宗教にはまっても、子供にはどうすることもできない。親の方が分別のつくもの、判断力があるもので、子供のいうことは間違い、という意識が強いからでもある。子供がいくら訴えたところで、誰もとりあげてくれない。
「さっき、妹が大病をして……といっていたけれど、妹とは歳が離れているのか?」
「まぁ、離れているといえばそうだな。妹は今、禰圉小の5年生だ」
6歳差――。妹が大病をしたころ、劫はもう小学生だったということだ。
「2週間、ということは、四月に入ってからか?」
「そうだな。最初は、それこそ学校に行きたくないのかと思ったよ。でも、今の状況をみただろ。服をひっぱりこむような、不思議なことが起こっている。魔法としか思えないんだ。オレには……」
劫は頭をかかえた。
「ボクも今のところは、魔法使いの関与を疑っている。だけど、これまでの魔法使いの所業とはちがう、何か違和感があるんだ……」
それがまだ形になってはいない。理解できていない。だけど、目の前で起きたことから、魔法使いのそれとは違う何かをぼんやりと感じる。
「妹さんに、何か悩みは?」
「分からん……。妹はできた奴で、オレが甘えていたのもあって、あいつの悩みに気づいてやれなかった。働いている母親の代わりに夕食をつくってくれたり、洗濯や掃除、家事全般をしてくれたり、オレがサッカーを思いっきりできるように、あれこれ気を配ってくれて……。
でも、学校で虐められたり、勉強についていけなかったり、はなかったはずだ。賜は社交的で、学校でもすぐに馴染むような奴だったし、成績も優秀だったよ」
それは何の説明にもなっていない。イジメなんて、どういう立場だろうと、それをうける可能性はあるのだ。
「今のところ、魔法使いに関わりそうな部分は、一つだけか……」
行々木はそういって、今はみえないリビングに思いを馳せた。もし隣室で、あんなことをされたら、彼女はどう感じていただろう?
そのとき、部屋のドアが大きく開く。ヅカヅカと入ってきたのは、教祖と呼ばれた中年の、ガタイのいい男性だった。
「君はこの家族とは関係ない。出て行ってくれ」
「え? でも……」
反論する余裕もなさそうだった。そこは玄関の近くであり、大人から背中を押されたら、家主から退去を命じられたら、もう残ることも難しそうだった。ただ、部屋をでるときに垣間見えた、八向の顔には悔しそうな表情が浮かんでおり、それが強く印象に残った。
魔法使いを追いかけたくとも、大人にシャットダウンされたら、家族の理解が得られなかったら、どうすることもできない。行々木も玄関の前で、ただ呆然とするばかりだった。
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