第4話 ハンメン教師

   ハンメン教師


 公立彩町高校――。

 かつては織物の、染色を生業とする者が多くいたことで、こうした町名になったらしい。ただし、市の名になるほどではなく、こうして一部の校名や、バス停にその名残をとどめるばかりだ。


 四月十六日、そろそろGWが待ち遠しくなるころ、放課後の教室に残っていた行々木 直の前に、一人の少女がやってきた。

「ちょっと、顔を貸してくれる?」

 彼女の名は、羽二重、衣――。細身のメガネを、右手で支えるようにして直すしぐさが特徴であり、そのとき指を拳銃のようにするところから、あれは誰かの心臓を撃ち抜くための動作では? などとも揶揄される。しかしそれは、その魅力で……ではなく、あくまで殺人鬼としてのそれである。

 この学園は男子が学生服で、女子がセーラー服、と決まっているけれど、染色の伝統を継ぐ、として、女子のセーラー服のみ彩り鮮やかなスカートにするなど、かなりオシャレであり、制服目当てでこの高校にくる者もいるほどである。ただし、羽二重はそれを台無しにするよう、ヒザ丈ほどの白いロングセーターを着ており、わずかに襟とスカーフが覗くのみだ。

「嫌だよ。面倒ごとに巻きこむつもりだろ?」

「魔法使い絡みでも?」

 羽二重のメガネの奥にある一重瞼は、重たくこちらを睨む。身長は高く、男子にまじっても引けをとらないほどで、男子の中でそれほど低くない行々木と並ぶと、ほぼ同じぐらいだ。

 そう言っておけば行々木が引き受ける、と高をくくられているのは癪だけれど、ここは腰を上げざるをえない。木で鼻をくくられるのを覚悟で、ついていく。


 羽二重は一年のときから学級委員長であり、二年生になってもそうだった。むしろ生まれたときから学級委員長、と説明をうけた方が、より彼女のことを理解できるかもしれない。

 ただし、二年になってちがうクラスとなり、行々木とは接点もない……はずだ。

 生真面目で、気丈で、気位が高くて、成績優秀で、品行方正で、おおよそ考えつく限りの誉め言葉でたたえようと、彼女のことは言い尽くしきれないだろう。ただし、それは学級委員長としての彼女と対したとき、感じるすべてだ。行々木からすると、彼女とは、とある事件で知り合い、そして魔法使いを追う行々木のことも、よく知るようになった次第である。


 羽二重は屋上へと通じるドアへと至る。

「おいおい。屋上に出ちゃいけないはずだろ?」

「当たり前じゃない」

 事もなげに、羽二重はそういった。よく漫画やアニメで、屋上で昼食をとっているシーンが出てくるけれど、あり得ない話であって。飛び降り自殺防止のために、高いフェンスと施錠が義務づけられる。つまり違法であり、違反であり、それを平気でする連中が、善だの、正義だの、正論だのを語っているのを見ると、片腹がねじ切れるほどにおかしくなる。この学校も当然のように施錠されているはずで、それをお堅い羽二重が破ることが意外だった。

 しかし、羽二重はそこを躊躇うことなく、ガチャリと開けた。カギはかかっていなかった。

 行々木にとっては初めての屋上ではあったけれど、感動するほどの感慨はない。ただ、そこに一人の女性が背中をみせて立っているのをみて、案外すぎて、論外すぎて嫌な予感しかしなかった。


「ボクに用があるのは、屋鳥先生か……」

 屋鳥 英――。二年目の教師であり、新米だった一年目から、行々木たちの学年の副担任として赴任していた。

 ただ生憎、行々木は授業をうけたことがなく、副担任でもなかったため、ほとんど接点もない。しかし名を知り、後ろ姿だけでもそれを屋鳥だと気づくのは、まだ若くて愛らしい女性教師として、校内でも有名人だからだ。

 公称百五十二センチ、体重は非公表であるけれど、服の上からでも分かるわがままボディは、反則でもあって……。


「屋鳥先生。連れてきましたよ」

 羽二重にそう声をかけられると、屋鳥はやっとふり返った。ただし、手すりに手をおいて、体半分だけこちらを向いただけで、遠くをみて、こちらと目線を合わせようともしない。

 しかし横向きの方がその凹凸も強調され、ロックオンするのは目元ではなく、胸元でもあるので、会話でなく、鑑賞するだけなら、むしろ喜ばしいともいえた。


 屋鳥は怯えているのか、おずおずと「大丈夫ですか?」と尋ねると、羽二重は「変人ですが、今は唯一の相談相手になるか、と……」そう行々木を紹介する。

 屋鳥はチラ、チラッとこちらを横目で見てくるけれど、授業中でさえ前を向こうとしない、と囁かれており、それは巨乳を隠すためでは? などとも囁かれる。

「行々木クンとは、面識がなかったわね」

「ボクからすると面識があるんですけれどね。アナタにとっては、ボクなんてその他大勢の生徒の一人、受け持ちですらないので知らない、というだけです。でも、生徒にとって教師は誰であっても、教師なんですよ」


 その理屈は、生徒として過ごしたことのある彼女だって分かっている。でも、それを立場が変わると、忘れてしまうだけだ。

「私は……教師失格なのかな……。だから、こんな……」

 屋鳥はこちらを向く。ただ、その顔をみて言葉を失った。顔の右半分が文字通りに真っ黒だったからだ。

「私、半面教師になっちゃった……」


 その〝半面〟は〝反面〟であって、でも今の彼女の場合、それが正解でもあった。

「私と話しているとき、急にこうなってね。しばらく職員用トイレに隠れていたんだけど、こういうことに詳しい人がいるってことで、屋上に避難したってわけ」

 羽二重はそういうけれど、教師である屋鳥がいれば、カギを借りるのも容易だったろう。そして、ここを会談の場としてセットし、行々木を呼んだのだ。「顔を貸して」と……。

 これは面倒なことに巻きこまれた……のではなく、面が半分だけ倒錯した人と向き合うことになった話である。


「魔法使いと会ったことは?」

「ごめんなさい。羽二重さんにも問われたけれど、全然記憶になくて……」

「魔法使いは記憶を消去するので、憶えている方が少なく、これは通過儀礼のようなものです。

 ただ顔の半分を黒く染める……なんて、屋鳥先生に後ろ暗いことがないと、こうはならないはずなんですが……」

「私に問題ある、と?」

「魔法使いは単なる嫌がらせで、こんなことはしません。ただし、魔法使いが対象とするのは、これまで少年、少女だけでした。だから大人である屋鳥先生に魔法がかけられているので、正直戸惑っています」

「それは、私が幼く見えるから……?」

「魔法使いが見た目で判断しているはずはないので、屋鳥先生の場合、中身に問題があるのか、と……」

 行々木は、相手を不快にさせることにかけては天才的であり、面罵するより厄介な面子をつぶす、といったことを、顔色も変えずにできる少年だった。


「幼く見える、それなのに平均を超えて育ってしまった肉体。そのギャップに悩んでいましたか? 教員という仕事に悩んでいましたか? いずれにしろ、そういう人のもつ負の感情に、魔法使いはつけこみます。

 半面を黒く染めるなんて、それは内面の表象としか思えません。使い分けてきた外面の良さと、内面に滾るネガティブな感情――。そうしたものが渦巻いて、顔に出てきた。顔色を変えてしまった。

 それを解消するのは、ボクじゃない。アナタが自らそれに気づき、解消するしか手がありません。溜まっているストレスなのか、恨みなのか、不満なのか、そういったものを吐きだせば……」


 屋鳥は半泣きになりながら、ずんずんと行々木に向かって歩いてくる。彼もそういった彼女の行動は予想外だったのか、慌てるものの、後退りしようとしたら、背後にいる羽二重とぶつかってしまう……と、屋鳥に追いつかれて、両腕をガシッとつかまれた。いくら大人で教師とはいえ、行々木よりだいぶ低い屋鳥だけに、恐怖心はないけれど、目にいっぱいの涙を溜めて、頬をふくらませている相手、しかも大人なので余計に対処に困ってしまう。屋鳥は頬にたまっていた空気を一気に吐きだそうとするのか、叫ぶように語りだした。


「処女で何が悪いの! いいじゃない、男の人が怖いんだから! 男と付き合ったことがないと、アナタに迷惑をかけましたか? 私は母子家庭なの! 男に免疫ないの! 嫌悪感しかないの!

 それに何! お酒は飲んで強くなるって! 遺伝的に弱い人だっているって、もう常識だよね? 殺したいの⁈ 遺伝的に弱い人が、お酒を飲めるようになったら、病気になるのを早めるだけ、死期を早めるだけだから! 私、そんなの望んでもいないしッ! あなたの価値観を押し付けないで!

 女は、男の先輩にお茶を汲むものだって、いつの時代の話よ。笑っちゃう。錯誤は柵の中でやってもらえるかしら? お茶ぐらい、自分で淹れなさいよ! それで濃いとか薄いとか、知らないわよ!

 椅子にふんぞり返ってばかりいるから、ぶくぶくと下っ腹だけが膨らんでいるんでしょうが‼ すぐに肩をさわってこないで! 汚らしい! 臭いのよ、タバコの匂いもぷんぷんさせて、校内は近縁でしょ! どこで吸っているのよ! どこの不良ですか? ただの健康不良児ですから! 煙はすべて吸いこんで、二度と、金輪際吐き出さないで! 何様? オレ様ですか? オレすげぇ様ですか⁉ 迷惑! 全部、すべて迷惑! 私に近づかないでぇーッ‼」


 言い切っても尚、屋鳥の荒い息遣いが止まらない。

 ただ。言いたい事をすべてはきだしたためか、彼女の顔に浮かんでいた黒い影が、徐々に消えていく。

「ま、満足しました?」

「あれ? 私、何を……?」

「どうやら、心に溜まっていた鬱憤をはきだしたら、顔の黒い痣も消えたようです」

「え? 本当?」

 彼女は慌てて手鏡をとりだし、顔を確認する。それは安心なのか、それとも心に溜まった膿をはきだしたからなのか、屋鳥はボロボロと泣きだしていた。


 一頻り泣いた後は、すっきりした様子となって、屋鳥は職員室にもどっていった。恐らくもう一度顔を洗って、化粧をし直さないといけないだろうけれど、もう大丈夫だろう。

 ただ、今回の件はこれですべて解決……ではない。


「やってくれたな。羽二重」

「何のこと?」

「惚けるな。屋鳥先生に何をした?」

「何もしてないわ。ただ、魔法使い臭かったから、ちょっと突いただけよ。そうしたら、すぐに反応した」

「突いたって、ストレスを破裂させたのか?」

「ストレスは、本人が意識してないからストレスなのよ。そこに気づかせたら、もうストレスじゃなくて、表にでてくる。顔にでる」

「それで、顔の右半分だけ黒くなるって?」

「魔法使いの仕掛けなんて、私が知るはずもない。ああいう結果になるって最初から分かっていたわけじゃない」

「でも、トリガーを引いたのは君だ。どうしてボクを巻きこんだ?」

「だってアナタ、女性の扱い方、上手いじゃない。それに、魔法使いのかかわった事件で、うれしかったでしょ?」

「恐らく屋鳥先生が魔法使いと会ったのは、学生のころ。そこで、トリガーによって発動する魔法をかけられた。それが今だった、という話さ。嬉しくもない」

「あら? えり好みするの? 何様?」

「逆さまだよ。ボクは魔法使いを追っているけれど、魔法使いのかけた魔法を、片っ端から解決していく、治療師を自任したつもりはない」


 羽二重の目は冷たかった。メガネを直すとき、拳銃のような手をしながら、彼女は心すら凍り付かせるばかりに言った。

「どの道、このままだったら屋鳥先生はつぶれていた。人間不信で、ストレスに弱いくせに、人当たりをよくしよう……なんてムリをするからね。まさか処女とは思わなかったけれど、弱い部分をつつけば壊れる……と思った。でも、魔法使いによって影となり、顔を隠すという形ででてきた」

「君がやったのは、ストレスの発散だけってこと?」

「そうよ」


 それはおかしな話だった。行々木のときも、屋鳥は思いを吐露しただけ。つまり同じことをしたわけで、一回おきに顔に影がかかったり、消えたりするようなものではないはずだ。

「それだけじゃなく、君が引いたトリガーが何かあったはずだ」

「さぁね。気づかないうちに地雷を踏んだのかもしれない。でも、私が興味あるのはアナタ。わずかな間に、彼女に現れた症状はストレスが原因だと見抜き、有効な対処法を示してみせた。まるで、アナタが魔法をかけた張本人であるかのように……」

 羽二重はパッと行々木の胸倉をつかみ、右手に隠しもっていた千枚通しを行々木の顔につきつけてきた。

 突然のことで、行々木は戸惑う以上に、目の前に鋭い千枚通しを突きつけられ、唖然として言葉を失っていた。

 ただ、羽二重に呼ばれた時点で、こうなることを予想しておくべきだった。彼女は魔法使いを嫌っている。そして、魔法使いを追う行々木のことも、同列として扱っているからだった。


「本当に、アナタが魔法使いなんじゃないの?」

「ボ、ボクが魔法使いでないことは、何度も説明しただろ?」

「そうね。でも、納得していない。疑惑は晴れていない。そのことは憶えておいて」

 羽二重は千枚通しを下ろし、胸倉をつかんでいた手を離した。行々木はホッとするけれど、畳み掛けるように「アナタが魔法使いだったら、殺すから」と、羽二重はメガネを直しながら告げてきた。

「もし屋鳥先生に魔法をかけたとしたら、彼女が学生だったとき。そのころボクはよくて中学生、下手をすれば小学生だぜ」

「だからって、魔法がつかえないわけじゃないでしょ?」

 その通りではあるけれど、羽二重は反論を待つまでもなく、去ろうとするも、そこでふり返った。

「そこに立っていると、施錠もできないでしょ。さっさと下りて」

 そう言ったときの彼女の顔は、学級委員長のそれにもどっていた。


「行々木ク~ン❤」あれ以来、学校一のアイドル教師が、行々木に絡んでくることが多くなった。それはきっと、本当の自分をみせられる、覆い隠すこともなく、素顔の自分をさらすことができるから。ストレスまみれの日常でも、行々木だけは枠外に置いているから。

 半面ではなく、満面の笑みを浮かべて近づいてくるけれど、行々木は赤面して逃げまどうばかりだった。

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