第2話 FDの宿営地2

   FDの宿営地2


 魔法使いにより天井に立つ魔法をかけられた少女、飛龍院 美槍――。

 その友達とみられる少女、有栖 零央名――。

 そして魔法使いを追ってやってきた少年、行々木 直――。


 お化け屋敷ともされる廃校には、その三人が集まっていた。

 魔法使いによって、重力が反対にかかる魔法をかけられ、天井に立っている飛龍院をその魔法から解くために、ボクは知恵を尽くすこととなった。


「へぇ~、しかし本当に逆さだねぇ? りやみん、いうゆりひ、だね」

 有栖はそういってケタケタ笑う。この状況にも動じることなく、平然としていられるのだから、飛龍院と同じで、ただの女子高性とは思えない。手にした大きなカップから耳障りな音を立てて啜るも、もう中身はほとんど残っておらず、尚も物足りないとばかりに、啜り上げてから言った。

「天と地がひっくり返ると、チンテだね」


「ひっくり返ったからといって私は私だし、天地はそのまま、何も、どこも変わっていない。ただ、私にとって天は地になり、地が天になっただけ」

 飛龍院はそういうけれど、彼女の立てるその地となる場所が少なく、あまりに頼りなくて、彼女は動くことすらできていないのだ。

「じゃあ、地天だね」

「いや、そういう問題じゃないんだけど……」

 ナゼこの二人は知り合いなのだろう? 天地がひっくり返っても、水と油に見える二人なのに……。


「さっき君が言っていた『安全無料の、簡単調理の鉄鍋が何とか……』って、どういう意味だい?」

 有栖は氷の入ったカップをふるので、シャカシャカさせながら否定する。

「どこの便利調理器具よ。ちがう、ちがう。完全無欠にして勧善懲悪、鉄壁にして、鉄腕で、鉄血の鉄人。それが飛龍院 美槍様の異名よ」

「そんな異名、名乗ったこともない」

「それはそうだよ」

 飛龍院の否定に、有栖は言下にそう肯定してみせた。

「だって、それは異名であって、自称でない。自明であっても、意匠でない。周りがそれを、そう語ることによってそれが異名になるのであって、異名をそう定義するのは、周りの評価じゃん」

「要するに、周りがそう見ているってこと?」ボクの問いに、有栖は頷く。

「妥協も妥結も、蛇足もなければ、駄目も押してくれない。美槍様は、目の前にいる目障りで、目に余る悪党を、目くじら立ててバッタ、バッタとなぎ倒し、見事に打点を上げてくれる、スラッガーなんだよ」

 最後のスラッガーは、バッタ、バッタに懸かっているのか? 「要するに、正義の味方ってことか?」

 行々木の言葉に、飛龍院はすぐさま反論する。

「正義の味方なんて言い方、やめて。正義なんてない。私はただ、自分が受け入れがたい、納得できない相手を蹴散らしてきただけ」

 飛龍院は「だけ」というけれど、もしそんなことをして人生を送ってきたのだとしたら、大したものだ。大したもの、というより、大概なことをしてきたもの、と言い換えるべきか……。


「蹴散らすって、例えばどんな……?」

「文字通り。蹴って、散らして、再起不能にしてきた」

「美槍様の怖いところは、再起不能どころか、正義不毛にしてきたところだね」

 有栖の言葉に、ボクも首をかしげつつ「正義なんて、誰にとっても共通のものではない以上、自分が正義を通せば、相手の正義をくじくって感じか?」

「だから鉄壁にして、鉄腕で、鉄血の鉄人なんだよ」

 なるほど、鉄の心をもたない限り、相手の正義をくじくことはできない。それを為すだけの実力、感情に左右されずに遂行する意志。それが『鉄壁にして、鉄腕で、鉄血の鉄人』だ。


 本人からの否定を待ったけれど、別にその異名について異論はないようだ。というより、周りの評価に興味なし、という感じかもしれない。

「君が魔法使いに目をつけられる理由は、そこにあるのかもしれない」


 正義の味方……なんて活動をする相手なら、魔法使いにとってこれほど格好のオモチャもない。魔法使いは正義の味方でも、悪の権化でもなく、質の悪いいたずらっ子であり、突飛な活動をする相手に、ちょっかいをだしたくなる類だ。だから目をつけられた? 駄目を押されたのか……。

「目といえば、どうしてずっと右目を閉じているんだい?」

 飛龍院はケガをしている様子もないけれど、出会ったときからずっと右目をふさいだままだ。

「痛いのよ。鏡もないから、見ることもできないけれど……」

「では、私が見てしんぜよう」

 そういって近づいた有栖にむけて、飛龍院は指で瞼を押し広げてみせた。すると、すぐに「ひゃッ‼」と驚いて、後退りした。

 そこにあるべき瞳がなかった。眼球自体がなかった。むしろ、そこに肉片が見えた方が、まだ納得もできたのかもしれない。そこには何もない。言葉通り、何もないから、ただ闇が広がっていた。どこまでもつづく、昏く深い闇が、そこを覗きこむことで忽然と覗いていた。


 魔法により、天地がひっくり返っただけでなく、右目を喪失した――。

 飛龍院も「え? 何、どうしたの⁈」

 有栖がカバンから手鏡をとりだして飛龍院に渡し、それをみて彼女も事態を悟ったようだ。

 行々木はそんな飛龍院をみつめ、首を傾げつつ「ひっくり返る。目を失う……何か引っかかるんだよな……」

「ひっくり返ると、ひっかかるは、何もかかってないよ。直ッち」

 有栖の言葉に、今度は別の意味で首をかしげる。「かけたつもりはない。それより、直ッちって何だよ」

「だって、行々木って言いにくいじゃん。特に今のこの状況で、その名前を呼びたくないじゃん」

 確かにその通りだけれど、名前を忌避扱いされても……。

「分かったよ。じゃあ、こっちも敬称なしで呼ばせてもらおう。有栖はどうして、彼女の窮地を知った?」

「メイルだよ」

「メールと発音しないと、この国では〝男〟の方のmaleに聞こえるんだけど……」

「鎖帷子だよ。チェーンメイルだよ」

「メイルには防具って意味もあるけれど、チェーンメールというと、悪質なメールのやりとりに聞こえるぞ。とにかく、メールで連絡をうけたんだな?」

「電話番号は知らないけど、メアドだけは知っていたからね。それほど深く、硬い絆でチェーンメイトなんだよ、私たち❤」

 飛龍院と有栖、連絡をとりあうぐらいには親しいらしいけれど、それをチェーンメイトと呼ぶかどうかについては、議論の余地もありそうだった。


「親友じゃないのか?」

「美槍様は孤高だよ。私ごときは〝親〟なんてつけるのもおこがましい。呼ぶとしたら子友、もしくは孫友だね」

 子分よりはマシだけれど、子供ほどの親密さも庇護もうけられそうにない。「ところで、どうして二人とも制服なんだ? 今日は春休みだろ?」

「桜リアム学園は、新学期が始まる前に色々と提出するんだよ。偶々、今日は二人とも学校に行っていた、ということだね」

 そういうと、思い出したように有栖は自分が入ってきた、割れた窓から身をのりだして何かを拾うと「はい、美槍様のカバン!」と、よれよれの蒼いスクールバッグを飛龍院に向けてさしだす。

 面相が変わっていたことにショックをうけたのか、無口になっていた飛龍院は、それを受けとると、中身を確認するまでもなく、颯爽と肩に、まるでリュックサックのように背負ってみせた。それを支えるために左手をスカートのポケットに入れ、まるでランウェイを歩くモデルのように、ビシッと決まったポーズをとる。急に顔も生き生きとして、二人に向かうと言った。

「さ、解決しましょ!」


「記憶をとりもどしたのか?」

「曖昧なままよ」

 飛龍院は左目だけの、その目を先ほどより爛々と輝かせている。何か悪いスイッチでも入ったようだ。

「さっき、制服がどうとか言っていたけれど、私はいつも制服。確かに今日、学校に行ったけれど、仮にそうでなかったとしても制服よ」

「毎日、制服なのか? 休みのときも?」

「そうよ」

 当然とばかりに言われても、変人という印象をさらに強めただけだ。飛龍院家は、富豪というほどではないとしても、それなりにお金はもっているはずなので、貧乏で制服しかない、というのではなさそうだけれど……。


 飛龍院のやる気とは裏腹に、考えふけっていた行々木は「やっと思い出したよ。逆さで、右目を失くすのは、オーディンだ」

「何それ?」

「北欧神話の主神――。全知全能になるとされるミーミルの泉の水をのもうと、右目を代償とし、ルーン文字の謎を解明するためにユグドラシルの木に吊るされた。タロットカードの『吊るされた男』にも描かれるように、その姿は逆さだ。

 君は……オーディンになりたかったのか?」

「そんな、どこの馬の骨とも知れないオッサンになりたくなんかない」

「北欧神話の主神を馬の骨って……。君が知らずとも、魔法使いがその神話を知っていて、君の願いに応えるためにそうしたのなら、それは関係のある話だよ」

「生憎と、記憶が曖昧だから、それを否定することは私にできないけれど、少なくとも今の私に、知識量で困ったことはない。数時間前の私であっても、全知全能になりたい、という願望はなかったはずよ」

 確かに、全知全能になりたいなんて願う人間がいたら、それはもうどうかしているレベルであって。そんなものをしたところで、主神どころか、主審にもなれないはずだった。


 しかし、逆さにした理由はあるはずだ。目を奪った理由はあるはずだ。魔法使いは慈善事業や、ただの嫌がらせで魔法をつかうことはない。そうする理由があり、それが合理的だと判断され、魔法は行使される。それが大前提であり、それがないと推測すら難しくする。

「でも、君は何かに困っていたんじゃないか? トラブルがあった、とか……?」

「美槍様は、ここ一ヶ月、家に帰ってないんだよ。家なき子だよ。宿なしだね」

 そう横から口をはさんできたのは、有栖である。

「家がないわけじゃない。別に帰るだけの理由がないから、帰らないだけよ」

「どこに泊っているの?」

 行々木の問いに、飛龍院は指を上に向けた。それは、ふつうなら下に向けるべきもので、その意味はすぐに分かった。

「ここよ。この廃校で寝泊まりしていたの」

「え? じゃあ、ここにいたのは、魔法使いによって閉じこめられたわけじゃなく、ここにもどってきたからなのか?」

「そういうことね。その辺りから記憶が曖昧になるのだけれど、気づいたら天井に寝ていた」

「お化けは怖くないの?」

「お化けがいようが、いまいが、関係ないわ。もし私に害を与えてくるようなことがあったら、蹴散らすだけよ」

 円山応挙によると、幽霊には足がないそうだから、向こうから蹴り、散らしてくることはなさそうだけれど、足のある飛龍院は、生きた人間だろうと、死んでいようと関係なく蹴散らすらしい。

「なるほど、お化け屋敷であるここは、絶好の隠れ家ってことか……」

 ただし、そこに魔法使いがいて、彼女には蹴散らせなかったことになる。


「でも、美槍様が家に帰らなかったのって、親とケンカしたからじゃないの?」

「どうしてそういう話になっているのよ。ケンカじゃない。ただ、見解の相違、意見の齟齬があっただけ」

「それで家に帰らなかったのか?」

「そうよ。だって、意見がちがう人となんて、一緒に暮らせないでしょ?」

「多少の相違があっても、そこは妥協して……」

 そう言いかけて、先ほどの有栖の言葉『妥協も妥結も、蛇足もなければ、駄目も押してくれない……』を思い出していた。家族は蹴散らしたところで、消えてはくれない。だったら、自分から家をでる。飛龍院の行動原理が、徐々にではあるけれど分かってきたような気もする。

「着替えはどうしていたの? 風呂は? トイレは?」

「着替えは、知り合いのクリーニング屋に制服をあずけてあるから、朝寄って、洗った制服に着替えさせてもらっている。お風呂はシャワールームを利用するし、トイレは外にある、肥溜めをつかっている」

 ここは古い建物を改築、増築してきた歴史もあって、今では建物の中に水洗トイレもあるけれど、昔は外にある溜め便所を利用していた。今となっては、水も通っていないので水洗トイレは使えないけれど、汚物を溜めておくだけのその便所なら、利用できたのだろう。もし夜になって、電気も点かない、朽ちかけた木造の、匂いもきついトイレに行けるというのなら、お化けなんて怖くもないはずだ。


 ただ、その話を聞いている途中から、行々木はふたたび引っかかりを感じた。

「親との『見解の相違』って?」

「それが、私のこの状況と何か関係あるのかしら?」

「分からない。だから聞いている」

 飛龍院も、あまり乗り気でなさそうだったけれど、この状況を何とかするためには仕方ない、と話す気になったようだ。

「大したことじゃない。私の将来について、色々と話しただけ……」

 行々木が予備校で、有栖と同じクラスだったことをみても、恐らくこの三人は同じ学年、これから高校二年生を迎えるはずだ。進路相談には早そうだけれど、気にする親もいるのかもしれない。

 ただ、そこに問題はなさそうだった。何しろケンカをしたのは一ヶ月前、それから家をでていたのなら、魔法使いが問題視しそうもないからだ。

「つい最近、トラブルになったことは?」

「春休みになったから、むしろ最近はトラブルも少ないわね」

 それは学校に行っているとトラブルまみれ、ということだろうか……? 学校には蹴散らすべき相手も多そうだけれど……。


「君が家をでてから、ちょうど一ヶ月ぐらいか?」

 質問の真意が分からなかったのか、飛龍院は眉を顰めつつ「まぁ、ちょうど一ヶ月ぐらいね」

「なるほど、何となく分かってきたよ。魔法使いの目論見が」

 行々木のその言葉で、驚いたのは飛龍院だ。

「え? 今までの会話で、何か分かったの?」

「大前提は、魔法使いはただの嫌がらせでこんなことをしたりはしない。君が自分の状況を、きちんと伝えてくれたってことだけど……。もしそうだとすれば、次の三話目でオチはつけられそうだ」

 そう、彼女はオチをつけてはいけない。落ちてはいけない。落ちたら宇宙空間まで真っ逆さまだ。けれど、行々木は自信満々にそう断言してみせた。

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