魔法使いによろしく
まさか☆
第1話 FDの宿営地1
FDの宿営地1
「ねぇ、魔法使いに会ってみない?」
そんな魅力的な提案から、この物語ははじまる。
予備校の春期講習を終えた後、血に染まったかのような夕刻の空に、染みのように黒い雲がぽつり、ぽつりと配される中を一人、自転車を走らせる。
人通りも絶えた先に辿りついたのは、この街にある唯一の廃校だった。朽ちかけた木造の三階建ては、魔法使いがいるかも……と思わせるに十分なほどの怪しさをそこかしこに装飾された、まさに廃屋――。
春先なので、雑草は邪魔をしないけれど、邪魔をするはずの金網は、かなり大きな破れ目もあって。侵入者には優しいものの、ここが闖入者を遠ざけるのは、こう呼ばれているからだった。
幽霊屋敷――。それも飛びっきりの……。
そう、ここはかの有名な……というほどのお化け屋敷だ。度胸試しと称してやってきた者たちを、悉く臆病者のレッテルを貼ってきた。
臆病者ですむならまだ御の字で、呪われて、気がふれてしまった者も、自殺してしまった者も数多に上る。
まさに最強クラスの心霊スポットとして知られていた。
廊下側の割れた窓から、建物の中へと足を踏み入れる。そこはそれほど荒れておらず、朽ちかけている板張りの床は、埃がうずたかく積もるばかりでなく、乗っただけでも恐怖心を煽ろうとせんばかりに、不快で耳障りな軋み音を、これでもかとばかりにかき鳴らす。
ただそのとき、教室からでてきた人物をみて、ボクの中で鳴り響いたのは、ファンファーレ。
魔法使いと巡り会った。そこに、仁王立ちしていた。
魔法使いはよぼよぼの老人……というわけではなく、うら若き乙女である。
一片の光すら手放さぬほどの漆黒の髪が背中を覆い尽くし、血すら透けて見えているのでは……とも思えるほどの白皙と、そこに鎮座する大きな瞳が、左目だけこちらを鋭く見すえてくる。
紺色を基調としたブレザーに、ピンク色の入ったチェック柄のスカートを穿くけれど、それは桜リアム学園のそれだった。
ともすれば、女子高生との出会い譚――。ラブコメでも始まりそうだけれど、彼女を一目見た瞬間、すぐに『魔法使い』と確信した。見間違いようも、勘違いするのでもなく、絶対に魔法使いである、と――。
その理由は単純だった。明快だった。彼女は立っているのだ。天井に……。
逆さだった。まったく逆だった。でも幸いにして、不幸ともいえるけれど、天井に立った彼女とは、目線が一緒だった。
話しかけてみることにする。「君は、魔法使いかい?」
彼女は眉根をよせて、少し怪訝そうな表情をしたけれど、すぐに何かを悟ったように愁眉を開いた。
「私は、魔法使いによってこんな目に遭わされた、ただの女子高性よ」
ただの女子高性が、自然と天井に立つことはないし、超然と自分のおかれた状況を説明することもないわけで。
「そのときの記憶は曖昧だけれど、魔法使いと会った。気づいたら、目覚めたら、私はここで、こうしていた」
魔法使いと会った、というその部分が曖昧だと、すべてが漫然とし、飄然としそうではあるけれど、超自然現象的にそんなことが起こりえるとしたら、それは魔法使いの介在を疑わせるだけの必然ではあった。
「私は、天井しか歩くところがなくなった。私は、空に墜ちていく……」
ポエムとすれば、中々に美しい響きとして奏でられるけれど、彼女にとってそれは現実だ。しかも落とし穴の如く底があって、終わりがあって、どこかで行き止まってくれるのならまだ良いが、彼女が落ちたその先には暗く、寒く、息すらできない宇宙が待っている。
この話にオチがついたらダメなのだ。落ちてはいけない話でもあった。
「私は家に帰りたい。手を貸して……というか、手を貸しなさい」
「手を貸す? どうやって……」
「私より重い……重そうなアナタなら、手をつなげばいい」
逆さ少女はかなりの美形で、手をつなげるなんて、思春期男子にとってかなり魅力的な提案だ。しかし、差しだされた天秤棒の先に吊り下げられるはずの少年は、こう応じた。「とんでもない!」
「君の髪も、服も、すべてが逆さだ。つまり、君がふれているものは重力のかかり方が逆になるんじゃないのか? そうなると手をつないだ瞬間、ボクも君と同じようにひっくり返る……」
少年はポケットから五百円玉をとりだし、親指ではじく。
くるくると回転しつつ、放物線をえがいて上昇した五百円玉は、彼女の近くにくると、もう一度上昇軌道をとり、その手に収まった。
「君の周りだけ、力が反転するのか……?」
「反重力、という奴でしょ?」
少年はすぐに応じた。「とんでもない!」
「反重力は、空飛ぶフィクションの定番ではあるけれど、力、作用のかかり方という視点からすると、あり得ないものだ。
この世界にある4つの根源的な力のうち、重力、強い作用、弱い作用、電磁力では力を媒介するゲージ粒子が存在する。その粒子が相互に行きかうことによって、力は伝播するんだ。
もし反重力があるとすると、別のゲージ粒子を想定するか、重力を伝えるゲージ粒子が反物質化し、かつそれが逆の力を伝えることを証明しないといけないが、生憎と反物質どころか、重力に関するゲージ粒子さえ、発見されてはいない。作用に対する反作用、みたいに重力に対する反重力、なんて想定をするのは読者をミスリードすることになりかねない」
長々とした説明に、少女は仏頂面を浮かべて「アナタ、面倒くさい人?」
「よく言われるよ。でも、だから魔法使いを追うこともできる」
「魔法使いを……追う?」
「ボクはとある事情があって、魔法使いをさがしている」
「知り合い?」
「知り合いじゃないけれど……。君は魔法使いと会って、どんな会話をし、何をしたか? 憶えてないか?」
「曖昧って、言ったわよね?」
目つきの鋭さに、少年も怯えつつ応じた。
「魔法使いは、意味のないことはしない。何か理由があって、君を逆さにする魔法をかけていったことは間違いない。その魔法を解くカギも残したはずだけど……」
「カギどころか、崖しか残していないわ」
それは断崖、オチがついても奈落に達することはない。
「とにかく、私は家に帰りたい。手をつながずとも、手伝ってもらえるかしら?」
「関わった手前、手は貸そう。だけど、その前に聞いておきたいことがある。時間的猶予はどれぐらいだい?」
「えっと……、いつでもいいけど、できれば早い方が……」
「そうじゃないだろ? 逆さである君にとって、避けて通れない重大な問題がある。それは生理現象だ。陰でこっそりとはできる。だけど、今の状態では天井にそのまま貼りつくか? それとも君へと墜ちてくるのか? それを確認するのは怖い。ここで大惨事となったら、恥ずかしい姿をさらすことになるため、助けも呼べなくなる。だから、家に帰りたいんだろ?」
「…………貴方、嫌なヤツね。何で……?」
「簡単なことさ。ここに囚われの身となった君が、次に心配することは、止めようのない生理現象――。
さっき、五百円玉があれほど不規則な動きをしたのに、君は簡単にキャッチしてみせた。色々と試したことは分かる。そこまで焦って状況を確認した君が、あえて余裕ぶって、ポーズを決めて、頼んだのが『家に帰ること』なんておかしいだろ。
この状況を『何とかして』と頼むのがふつう。家に帰って何をするのか? それを考えれば、自ずと推測はつく」
少年は不遜であり、少女は不機嫌だった。
それは、見ず知らずの男に、手をにぎられるのを我慢してまで知られたくなかったことを、ズバリと指摘されたのだ。
少女は釈然としないけれど、自分の置かれた立場、立つ場所を鑑みて、自分を納得させたようだった。
「その通りよ。でもこれだけは言っておくけど、焦ってはいない。ただ一時間、二時間後は分からないから、今のうちに家に帰っておきたい、ということだから」
「了解だ。君だって、おしっこを我慢して、考え無しに行動して、事態を悪化させるよりいいだろ」
どうやら少女の不興を、この少年は買い占めるつもりのようだった。
「紐をもっているか? 長いものなら、何でもいいんだけど……」
「カバンはもっていない。気づいたときにはなくなっていた。天井に、そんな長いものは落ちてないわ」
「そのブレザーでもいいんだけど……」
「嫌よ。何で脱ぐのよ」
少女の頑なな拒否に、言いだした手前、少年も渋々と自分の上着を脱いで渡す。今日は予備校だったので私服だし、春先の明るい色の上着は素材も軽く、ロープのようにつかえる。
「袖をにぎったまま、軽く投げてみてくれ。どこまで君の反対になる力が働くのかをみたい」
少女が言われた通りにすると、ヒジの辺りからガクンと折れ曲がって、垂れ下がってきた。少年は、その上着の反対の袖を恐る恐るつかんだけれど、変化がない。どうやらエリア限定の作用のようだ。
「君をロープで縛って連れ帰ることはできそうだ」
「嫌よ。だってそれは、私を凧……。もしくはフライングヒューマノイドにする、ということでしょ?」
「フライングヒューマノイドって……そうかもしれないけれど、最終手段として連れ帰る手段は担保された。問題は、最終手段をつかうまでもなく、この状況を解消できるかどうか……」
「解消……できるの?」
「それは魔法だ。魔法なら、解消はできるだろう。君が魔法使いとの邂逅を憶えていない以上、すぐの回答は難しいけれど……」
「…………私に問題ある、とでもいうつもり?」
「そうでないと、魔法使いは魔法をかけないはずなんだけど……」
二人の間には凧糸以上に、殺気というピンと張りつめたものがあった。そしてそれは切れた途端、少女は凧より、フライングヒューマノイドより高く飛んでいく。
そのとき、不意に背後から気配がすると、素っ頓狂な声が響いた。
「ごー、あへッ! 有栖 零央名ちゃん、参上!」
ふり返ったその目に飛びこんできたのは、裏ピースでポーズを決める少女だった。逆さ少女と同じ、桜リアム学園の制服をきており、髪の一部は三色に染め上げられ、しかも色とりどりのリボンを結ぶため、色が渋滞しているかのように忙しなげな少女だった。
「有栖……アナタ、一体……?」
どうやら逆さ少女と、有栖と名乗った少女は顔見知り、名を知った間柄だったようだけれど、その行動を推測できるまでに、予測するほどに分かっているわけではないようだった。
「あれ? 解決している? してない? せっかく相性のよさそうな二人を、こうして吊り橋効果が得られそうなお化け屋敷で、引き合わせたのに」
まるで仲人、もしくはお節介な接待ともいうべき物言いは、逆さ少女をさらに逆撫でする。「アナタが連れてきたの?」
「連れてきてはいないよ。だって、自転車で先走っちゃうんだもん」
そう、少年は彼女のことを憶えている。見知っている。予備校で、隣の席にすわって、少年に「魔法使いに会ってみない」と声をかけてきた、大きな黒ぶちのメガネをかけた少女だった。少年は彼女に連れて来られたわけではないけれど、釣れて来られたのだ。
「アナタが、彼に声をかけたのね?」
「そういうこと。声をかけたというより、謎をかけた、そうしたら、駆けだしたってところかな」
逆さ少女も一度、大きくため息をついてから、少年の方を向き「飛龍院 美槍」と自己紹介をしてきた。
「飛龍院って、もしかして、あの……?」
「そう、FD! フライング・ドラゴンの家の娘よ。完全無欠にして勧善懲悪、鉄壁にして、鉄腕で、鉄血の鉄人、それが美槍様!」
これは有栖が答えたのだけれど、ちがう意味で驚いたのであり、少女にも長々と、やたらと説明くさい肩書がついていたことで、さらに驚いた。
飛龍院――。それはこの辺りで知らぬ者がいない。知っているからといって、その深淵を知る者もいない。だけどそれは、富豪というより、隠然たる影響をもちつづけてきた、という意味でそうだった。時の権力者がその門を叩く、都市伝説とされることもあるけれど、オカルト好き、陰謀好きの諸兄にとって、飛龍院とはそういう意味で肩書の多い家柄でもあった。
「君は、飛龍院家のご令嬢だったのか……」
「ご令嬢じゃない。〝ご〟も〝令〟も不要。私はただの、飛龍院 美槍よ」
ただの高校生――。ただの飛龍院 美槍――。どうやら彼女は『ただの――』が好きなようだ。しかしそんな無料、大安売りのサービスをされても、中々に手をだしにくい。何しろそのサービスには〝飛龍院〟という製造元、その危うさが見え隠れするからだ。
「ボクはてっきり、魔法使いは飛龍院家の誰かではないか? そう疑っていたんだけれど……」
「失礼ね。私の家に魔法使いなんていない。私はその魔法使いによって、こんな目に遭わされているのよ」
彼女の言葉は、決して必要条件も、十分条件も満たしていない。むしろ、彼女は否定するけれど、彼女に近しい者が魔法使いであった方が、原因を特定しやすいのだ。それが彼女固有の問題ではなく、人間関係の結果としてそうなった可能性もでてくるのだから……。
「なるほど、行きがかり上、仕方なくお手伝いをしようかと考えていたが、考えを変えることにした。君を助けよう。それが、ボクが魔女に近づく道に思えてきた。ボクは行々木 直。よろしく」
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