第200話 後日談 / 真っ直ぐな道の先に咲く花
「呼び出された理由はわかっているな?」
書斎の椅子に座る父は、つい半年前に会ったばかりだというのに、十も二十も老け込んだように見えた。
指輪がはめられた指が摘まんでいるのは、数枚の便せん。紙の縁に描かれた模様から、ラーゲン魔法学校から発送された手紙だと言うことが推測できた。
「父上には、自分から話すつもりでいましたが」
「白々しい物言いをするようになったものだね。父さんは悲しいよ」
つい先日、ヴィンセントはラーゲン魔法学校の教員に竜木に関して知っている全てのことを話した。学校は事実を重く受け止め、せめて学校にある竜木だけは厳重に守り抜くことを誓ってくれた。
現在は竜木の周りに囲いを作る計画を立てているらしいが、竜木は巨大だ。あの木をぐるりと覆うほどの囲いが出来上がるまでに、どれほどの月日が掛かるのかは、定かでは無い。だが、未来に向けての確実な一歩であることに間違いは無かった。
「その話をするなら、もう一人呼んでいただきたいのですが」
人払いを済ませた部屋には、いつも壁際に立っている使用人の一人すらいない。父は緩くかぶりを振る。
「母さんには黙っておきなさい。きっと耐えられない」
自分の息子が若くして死に、苦しみの中もがきながら生きてきたなどと知れば、母は卒倒するだろう。母に黙っていることはヴィンセントも同意だったので頷く。
「母上ではありません」
「では誰を?」
「――マルセルを」
ヴィンセントが言うと、父は立ち上がった。自らドアを開け、廊下で待機していた使用人にマルセルを呼びに行かせる。
「昔から、我が家の隠し事は当主よりもずっとマルセルが知っている」
「父上の時代からですか?」
「もちろんだ」
振り返り、にやりと父が口角を上げる。
いくらもしない内に、マルセルがやってきた。随分と早歩きをしたのだろう。額にじんわりと汗はかいているが、よく鍛えられた筆頭使用人は髪も呼吸も乱れていなかった。慇懃と頭を下げる。
「お呼びと伺いました」
「入ってくれ。久々に、悪巧みに付き合ってくれないか」
「おや。懐かしいですね」
マルセルは表情を和らげ、書斎に入った。
パタン、と扉が閉じられる。
書斎に入ったマルセルに、父が便せんを渡した。両手で受け取ったマルセルは、不安げに父を見る。
この屋敷に届く手紙は全て、父よりも先にマルセルが目を通す。だがラーゲン魔法学校から送られてきたこの手紙を、マルセルは知らなかったのだろう。それほど密やかに、この手紙は父個人に送られてきたのだ。
「拝読致します」
マルセルは恭しく手紙を読み始めた。時折、前の文章に戻って読み直していることが目の動きでわかった。さほど時間をかけず、マルセルは父に便せんを返した。
「信じがたかろう」
「はい」
「私もさすがに、自分の息子が一度死んでいるだなんて考えたことも無かった」
手紙には、ヴィンセントが教員に話した内容が説明されていたようだ。校内で起きた不祥事を、保護者に説明するのは義務である。
「あまりに信じがたいが、ラーゲンが動いたということは本当なのだろうね。しかし、既にヴィンセントがこうして生き長らえた今、私までもが動く利点はないが」
父の口ぶりから、手紙で竜木の保護に関する助力を求められたのかもしれない。ヴィンセントは「なら」と口を開いた。
「僕が励みます」
「竜木に関することは、神殿が黙っていないぞ」
竜木を管理しているのは竜神を崇める神殿だ。ラーゲン魔法学校は神殿に許可を貰い、近場に学校を建てたに過ぎない。
ハインツ先生も言っていたが、神殿を敵に回すのは得策とは言えなかった。宗教は、信仰心だ。そして信仰心は、金でも権力でも動かない上に、金や権力と別の繋がりを持つ。ヴィンセントが侯爵になっても、いずれ公爵を継いでも、きっと出来ることは限られている。
「それでも、動かなければ始まりません」
ヴィンセントが真っ直ぐに告げると、父は椅子の背もたれにもたれ掛かった。勢いばかりが先行する若造と思われたのは空気でわかったが、ヴィンセントは父から視線を逸らさなかった。
父は諦めたようにため息をつく。
「……お前が二度目の人生を始めたのは、四歳か」
「何故知っているんです」
「そりゃあわかるよ。我が子のことだ」
目を見開いたヴィンセントは、領地の管理や貴族院での務めに忙しい父の子煩悩な一面を見て、胸を打たれた。
「その頃から、『なんだこのだらしない父は』みたいな目をされることがあったからね」
打たれた胸を返して欲しかった。ヴィンセントは胡乱げな視線を送る。
「何故父さんに言わなかった?」
「言えば、学校へ通わせて貰えなくなるだろうと思いましたので」
「当然だ。それで助けられる」
「ですが――」
「親にとってはな、ヴィンセント。子どもの身が何よりも大事だ」
ヴィンセントは口をへの字にしたかった。だから父は、善人では無いが、悪人でも無いのだ。
「――僕だけが助かっても意味がありません」
「試練で恋人役の娘さんか。その子は前の人生の記憶が無いんだってな。どんな子だ? 会ってみたいな」
軽い口調で父が言う。恋人役の少女が実質、ヴィンセントの恋人であるとは考えてもいないような口ぶりだ。
しかし、それが見せかけであることをヴィンセントは知っていた。
父はヴィンセントに貴族の義務を思い出させるため、淡い期待すら抱かせない言い方をしたのだ。
ヴィンセントはソファから立ち上がる。
「お説教は終わったようなので、僕はこれで」
「こら」
言いたいことが伝わっていないわけでは無いだろう。そう言いたげな父に、ヴィンセントは父とよく似た顔を器用に歪め、微笑んだ。
「次の試験が終わったら、連れてきますよ」
しれっと言ったヴィンセントに、父は不可解そうに眉を上げた。そして、意味を察したのだろう。徐々に目が見開かれ、ぽかんとした表情を浮かべる。
「もしや――」
「では、これで」
「ヴィンセント、待ちなさっ――」
い、という言葉が紡がれる前に、ヴィンセントは書斎を後にした。一刻も早く帰って、最終試験に向けた勉強をしなくてはならなかったからだ。
***
「大きゅうなられましたね」
「急激に大きくなりすぎだ」
ブスッと、ここ近年で見ることも無くなった、拗ねた顔を公爵が浮かべる。
早くに父を亡くしたために若くして公爵位を継いだ彼を、マルセルは幼少の頃から見守っていた。そして、彼の息子であるヴィンセントも。
「子どもだと、侮るべきでは無かった」
彼は今、マルセルに管理を任せてある書状を思い浮かべているのだろう。その勘は、全くもって的を射ていた。
子どもだと、幼いヴィンセントを侮らなかったのは、唯一エルシャ家の当主だけだった。
マルセルでさえ、「屋敷を抜け出したい」と言い出した五歳のヴィンセントを侮った。ほんの少し、少年特有の夜の冒険に付き合わされるのだと信じて疑っていなかったマルセルは、エルシャ邸に着いた時に度肝を抜かれたものだ。
エルシャ邸の当主がヴィンセントを侮らなかったのは、子どもとはいえ、貴族の持つ権力に屈したからかもしれない。ある意味、大人よりも余程慎重に接せねばならない癇癪玉だ。
だがそれだけでは、一代で王都に豪邸を構えるほどの財を築くことは出来無かったに違いない。
「まさか七歳の頼み事が、それほど大事だとは思わないだろう?」
ふふ、と口元を綻ばして頷くマルセルに、公爵は愕然とした視線を向けた。
「マルセル――お前、知っていたな?」
「若様でしたらご存じでしょう。この屋敷で、私の知らないことはありませんよ」
「抜かった」
公爵が立ち上がり、棚に手を掛ける。ブランデーとグラスを二つ手に取り、大雑把な手つきでブランデーを注いだ。そしてグラスを一つ、マルセルに渡す。
マルセルは頭を下げると、ありがたくグラスを受け取り、ブランデーを口に含んだ。
「ヴィンセントはいい味方を選んでいたな」
「坊ちゃまの慧眼は、若様譲りです」
「若様と言うな……」
最近では聞かなくなった、弱々しい声だ。若い頃の彼を思い出し、マルセルは薄く笑う。
「どこの家の娘だ。今の内なら、圧力を掛けられるかもしれん」
「修復不可能なほどの亀裂が入りますよ。それに、奥様が望まれぬでしょう」
「何故だ? むしろ全力で応援すると思うが」
公爵夫人は若い頃、身分の差のせいで大層な苦労をしている。未来の息子の嫁を、そんな目にあわせたくないと思うのは当然だろう。
しかしそこまでを見越して、ヴィンセントは五歳のあの夜、エルシャ家に赴いたのだとマルセルはわかった。
彼女が一等大事にしていた亡き前公爵夫人の遺したネックレスを取り返した恩人に不義理を果たすことを、公爵夫人が許すはずも無い。
「悪巧みの腕も引き継がれたようで――若様の若い頃を思い出しますな」
軟派者に見える公爵は、妻である女性をずっと一途に思い続けてきた。何度身分を理由に求婚を断られても、決して諦めずに通い詰めた。その手引きをしていたのが、マルセルだ。
「……ヴィンセントは、それほどにベタ惚れなのか?」
あの子が? と目を丸くしてグラスを傾ける。
表面に出るのは軟派と硬派と違えど、二人とも芯になる部分は、マルセルには全く同じ物に見えていた。
「はぁ……怒るだろうなあ。どう機嫌を取るかな……」
公爵夫人に思いを馳せているのだろう。公爵は、愛妻にほとほと弱い。マルセルは主人の弱音を聞かなかった振りをして、ブランデーを含み、グラスの底を見た。
――オリアナ・エルシャ
ヴィンセントがただ真っ直ぐに歩いた道の先に咲くその花を、マルセルは早く見たくて仕方がなかった。
- 真っ直ぐな道の先に咲く花 - おわり
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