第194話 春の中月の十七日 - 06 -

 魔法を扱う者なら、誰だって普通の枝と違うことは、わかる。

 その違いを教えるためにも、ラーゲン魔法学校は一年生で竜木の枝を拾いに行くのだ。


 落ちた竜木の枝を凝視するヴィンセントに、下級生達が下げた頭をより低くした。


「ごめんなさい、許してください!」

「りゅ、竜木を折ったなんて知られたら、部活が無くなっちゃうって言われて!」


「……まさか、君達が折ったのか?」


 ミゲルが、一時は離していた手で下級生二人を再び掴んだ。その手は傍目に見てもわかるほど、強く握られている。


「順を追って説明しなさい」


 ヴィンセントは、冷静を必死に保ちながら言った。


「ぼ、僕たちはマホキュー部で――」

「マホキューとは何だ」

「魔法紙を貼ったバットでボールを飛ばし合って、チームで点を競う球技だよ。偶にルシアン達が庭で軽いのをやってる」

 ヴィンセントの質問に、ミゲルが答える。


「部活をする場所がまだきちんと決まって無くて、今日は部活日じゃないんですけど、でも僕たち、どうしてもマホキューがやりたくて……」

「森の奥なら人もいないからって……先輩達が」

「雨が降ってきて手が滑って、ボールを当てる方向を間違えて……」


「それで、折ったのか。――竜木を」


 ヴィンセントは信じられなかった。

 竜木は、魔法使いにとって親のような存在である。その枝は杖に、その樹皮は魔法陣を描くインクに、その葉は魔法陣を描くための魔法紙となる。


 何よりも尊び、何よりも尊重するべき、竜に愛された木――それが、竜木だ。


 その竜木が、球技をしたいという理由で折られたなんて、あまりにも信じがたい事だった。


「本当に、本当にすみませんっ」


「ヴィンセント。今はそんなのどうでもいいって」


(いいわけあるか)


 ヴィンセントはミゲルを睨み付けようとして、息を呑む。ミゲルがヴィンセントほど真剣な目で、下級生らを見ていたからだ。


「そんで、お前達はこの枝をどうしようとしたの?」


 ミゲルの問いかけにハッとする。そうだ、大事なことは折った理由では無い。折った後、どうしようとしていたかだ。


 二人は互いに顔を見合わせた。どちらかが言うのを待っているのだろう。


「早く言うんだ」

 ヴィンセントが言うと、二人はびくりと体を震わせた。


「ひ、東棟にある、だ、談話室の、暖炉に捨てて来いって」


 東棟の談話室は、森から一番近い場所にある。木を隠すなら、森では無く――薪に。


 拾った竜木は無理矢理折ったせいか、随分と先端が尖っている。竜木の周りに置いておけば確実に目立つ。これを見つけられれば、竜木が折られらことは一目瞭然だろう。マホキュー部は犯人候補として名が上がるに違いない。

 だから、部活動を停止させられないよう、証拠隠滅のために人の出入りが少ない談話室の暖炉に投げ入れようとした。


「――これは、僕が預かる。マホキュー部にはそれなりの処分があるだろう」


 ヴィンセントが竜木の枝を拾う。ずしりと、重かった。立派な太さの枝自体が重いが、それだけではない。


 竜に愛された竜木を折った罪の重さ、”竜の審判”の重さ、自分のかけた月日の重さ。何もかもが、この手にのし掛かるようだった。


 顔を青ざめ、震える下級生達にヴィンセントは言う。


「君達のせいだが、君達だけのせいじゃない。それだけはわかっておくんだ」


 下級生二人が泣き出す。その時、都合よく聞き慣れた声がした。


「お、なんだ。終わってたか?」


 雨の中現れたのは、ハインツ先生だった。傘を閉じ、屋根のある場所までやってくる。

 いつも着ている白衣の裾が雨に濡れていた。先ほども話したのに、心配して見回りに来てくれたのだろう。いつもは植物温室の周りでしか生息しないくせにと、ヴィンセントは自分の気持ちが軽くなるのを感じた。


「竜木の枝を、マホキュー部が不注意で折りました」

 ヴィンセントが下級生をハインツ先生に突き出した。下級生二人は、目も当てられないほどに怯えている。


「枝はハインツ先生が、適切に処理してください。そして、せめて魔法学校内の竜木だけでも対策を講じ、彼らに練習場を確保してやってください」


 下級生が、パッと顔を上げる。ヴィンセントは微かに笑ってやった。


「君達がまずすべきことは、隠れて部活動をするのでは無く、適切な場所で、適切な指導を受けられるよう、教師らを説得することだ。頑張りなさい」


 二人は泣きながら「ありがとうございます」と震える声で泣いた。


「お前達、竜木がどんな存在か知ってるな?」


 普段のだらしない教師の顔を脱ぎ捨て、真剣な顔でハインツ先生が下級生を見る。


「竜木は、アマネセル国にある魔力の全てを担っている。竜の怒りを買うことがあれば、この国の魔法全てが使えなくなるかもしれない」


 下級生らは傍目にも見えるほど震え始めた。竜木を折ったのは、ただ校則を破っただけとでも思っていたのだろう。


「過度に責めたいわけじゃない。だが、魔法使いとして、この国に住む人間として、守らないと行けないルールがあることは覚えておけ。――今からマホキュー部にも話を聞く。全員、職員室に連れてこい」


「は、はい……」

「ごめんなさっい……」


 しゃくりあげながら、下級生は返事をした。

 ヴィンセントはハインツ先生に竜木の枝を差し出す。


「先生、これを」

「おう」

「どうぞ、よろしくお願いします」

「わかってる」


 ヴィンセントの手から竜木の枝が渡った。手から重さが無くなり、心の底で淀んでいた全ての不安が消え去るような感覚を味わった。


(終わった……)


 ヴィンセントは、深く大きなため息をつく。


(これで、オリアナは死なない。これで、もう――)


「あの……」


 安堵の中にいたヴィンセントに、下級生が恐る恐る声をかけた。


「ごめんなさい。そ、そんなに大事おおごとだって、知らなくて――」

「ここ最近、東棟の周りに生徒がいるから、気をつけろって言われて……それで、僕たち……」


 下級生が言い淀む。

 言い知れない不安がヴィンセントを襲う。


「それで、それでなんだ」


 焦った声が口から漏れる。下級生らは顔を見合わせ、観念したように言った。


「お昼は、違う場所に、もう一本捨てに行って……」

「ば、罰が当たりますか……?」


(嫌な予感がする)


 ヴィンセントは全身に鳥肌が立つのを感じた。

 指先の感覚が、無くなっていく。


「何処だ!」


 呆然とするヴィンセントの隣で、ミゲルが叫んだ。ミゲルが下級生らの襟元を引っ張り上げる。下級生達はつま先立ちで、ブルブルと震えながら言った。


「れ、錬金術学室の、暖炉――」


 視界が白く染まる。


 雷が、いつの間にか鳴り始めていた。





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