第182話 番外編 / 条件のいい恋人 - 06 -
舞踏会当日――エッダは男子寮の前でデリクを待ち伏せていた。
男子寮の前までやってきた女子は、エッダ以外にはいない。寮から出て来た男子は、予想もしていなかったエッダに驚き、前髪や襟元を正しながら、少し照れたように逃げていく。
そんな男達には目もくれず、エッダは男子寮の前の花壇に座っていた。最近デリクがしてくれるため、お尻の下にはハンカチも敷くようになっていた。
「エッダちゃん?」
驚いた顔をして、正装に身を包んだデリクが寮から出てくる。エッダはにこっと笑って立ち上がった。
「デリク君、お迎えに来たよ」
「僕が行こうと思ってたのに」
笑って言うデリクに、エッダはしゅんと眉を下げた。
「立場無くしちゃった?」
「ううん。迎えに来て貰えるの、嬉しいなって思ったんだ。次は僕に迎えに行かせてね」
デリクの優しさに胸をふわんとさせたエッダは、「了解した」と頷く。
「それじゃあ――はい、どうぞ」
照れながら、デリクが肘を差し出してくる。エスコートなんて、庶民生まれのエッダとデリクには馴染みの無いものだ。エッダははにかみながら、デリクの肘に巻き付いた。
「わあっ」
「行け! 歩け!」
「これで歩くのは、僕にはちょっと無理じゃないかな……?!」
と言いながらも、デリクは足を動かした。エッダを引きずるようにして一歩二歩と歩く。
二人くっついて、太りすぎた二足歩行のカバみたいに、よたよたと不格好に歩き出す。
「エッダちゃん、凄く可愛いね」
「ありがとう。デリク君も男前になっちゃって!」
「エッダちゃんに惚れられる日も近いね」
こんな、吐息も掛かりそうな距離でそんなことを言うから。
エッダは「ほんとにね」と言えなくなって、腕にのし掛かる力を込めた。
***
「はー! 食べた、踊った!」
舞踏会のホールから出たエッダは、首を動かしてパキポキと鳴らす。デリクと共にホールの灯りが漏れる場所に座り、風に当たる。ホールの中は空調が効いていて快適だったが、舞踏会特有の熱気が渦巻いており、休憩に外に出たのだ。
座ったタイル張りの床は、スカート越しにもひんやりとする。ぶるりと震えたエッダに気付いたのか、デリクが上着を脱いで、エッダの肩に掛けた。
年に一度の舞踏会は、それは盛況していた。
アズラクとヤナは制服よりもよほど着慣れた顔をして正装を身に纏い、溢れんばかりの幸福を振りまいた。
ヤナは運動神経がよくないらしく、ダンスレッスンに通っていたとは思えないほどお粗末な足捌きだった。アズラクは力強くリードしながらも強引では無く、自身の足を踏むヤナをとろけそうな目で見ていた。二人は夫婦なため、一曲毎にダンスパートナーを換える級友らと違い、くるくるくるくると、楽しそうにダンスを踊り続けていた。
目玉ゲストカップルのヴィンセントとオリアナは欠席だったが、代わりにあのハインツ先生が髭を剃り、こぎれいなボーイ姿で給仕をしていたため、会場は大盛り上がりだった。
女生徒達はペアを差し置き、ぽんやりとした視線をハインツ先生に送っていたため、男子生徒らからは親の仇のような視線を送られていたが、仕方あるまい。
「今日はお疲れ様」
「お疲れ様」
隣り合って座り、持ってきたシャンパンのグラスを合わせる。カチン、と小気味いい音が鳴った。寄りかかった壁の後ろからは、がやがやと生徒達の賑やかな声がする。
「あーあ、ドレス汚しちゃってる」
「何処?」
「ここ」
スカートの端に、料理の染みがついていた。並んでいた料理を一通り食べるまでダンスに参加しなかったエッダを、デリクは怒るでもなく、不機嫌になるでもなく、後ろでにこにこと見守ってくれていた。
「そのぐらいなら落とせるよ。あとで水のあるところに行こう」
「わー! ありがとう。助かる。私これしかドレス持ってないんだ」
これ自体も、そう高いドレスでは無い。オリアナらのような仕立て品では無く、吊しと呼ばれる既製品だ。
「偉い人に支援はして貰ってるんだけどさ、パパの研究、お金かかっちゃうから」
研究に取りかかると父は金勘定を忘れてしまうため、我が家はいつもあっぷあっぷだ。
母は子ども達に清貧さを求めたが、勉強にだけはお金を掛けてくれた。母は父を尊敬していて、父を形作る学問というものもまた、尊敬していた。
「恋人の条件に、お金持ちっていうのは入れなかったの?」
どこか気まずそうにデリクが言った。彼の家が特別お金持ちで無いのを知っているエッダは、きょとんとして答える。
「別に豪遊したいわけじゃないし、お金なら卒業後に自分で稼ぐからいいよ」
「エッダちゃん、就職するの?」
「庶民で、卒業後に就職しない女子いないでしょー。せっかく学校通わせて貰ったのに、わざわざ細い臑齧りに戻んないよ」
エッダが明るく言うと、デリクはふわりと笑う。
「じゃあ、僕もなるべく稼げるように頑張るね」
「頼りにしてる! ダーリン!」
デリクのここういう、当たり前に一緒に未来を見てくれるところが好きだなと思った。突然の告白も、馬鹿にせず真面目に考えてくれた。それに、誰よりもエッダを大事にしようとしてくれる。
立てた膝の上でグラスの足を両手で持ち、エッダはデリクに寄りかかった。コテンと頭をデリクの肩に乗せる。
そして、甘えた声を出した。
「ねえ、酔っちゃった」
「おや」
「酔っちゃったの」
「うん」
「だからね」
「うん」
「キスしていい?」
「駄目」
ガーン、とエッダはショックを受ける。
エッダの言うことを割と何でも聞いてくれるデリクなら、この流れで「うん」と言ってくれるのでは無いかと思っていたからだ。しかしデリクは最初から、自分の線引きをきちんと持っていて、彼が納得しないことはエッダがなんと言っても「うん」と言ってくれない人だった事を思い出す。
(せっかくちょっと、勇気出したのに)
唇を突き出してワイングラスをこねこねしていると、デリクが低い声で言った。
「僕もしたいから、今すぐ酔いを覚まして」
「……覚めました」
「ほんと?」
「ほんと。全力で。すっきりきり」
「すっきりきりって」
デリクが、エッダの持っていたワイングラスに手を伸ばす。エッダが少し力を抜いてグラスを渡すと、彼はゆっくりと自分の横のタイルにグラスを置いた。
エッダの肩に、デリクの手が乗る。シャンパンのせいでほんのりと赤い二人の頬が、更に赤くなる。
互いに恥ずかしがっているのだとわかり、エッダは深く納得した。
(ああ、そっか――)
『キスが、恥ずかしくなったらっていうのはどうだろう。きっとそれが、君が僕に恋をした日だと思う』
「デリク君」
「うん。なあに、エッダちゃん」
「恥ずかしい」
はははっ、と笑って。嬉しそうに笑って。
「僕も」
とデリクが言うと、ホールの光に照らされた二人の影が重なった。
- 条件のいい恋人 - おわり
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