第178話 番外編 / 条件のいい恋人 - 02 -


 食堂を出ると、随分と辺りは暗くなっていた。食堂の陰に、隠れるように移動する。

 冬の夜は寒い。隣を見ると、小さなエッダがぶるりと細い体を震わせた。手に持っていたマフラーを、どう渡そうか迷う。


(彼氏なんだし、巻いてやるべき?)


 だが、そんな恋愛上級者のようなこと、デリクが出来るはずも無かった。デリクは使いやすいようにマフラーを広げて渡す。


「これ、使って?」

「いいの? ありがと!」


 にこっ! と笑ったエッダは、マフラーをぐるぐると肩ごと巻いた。エッダの細い首が、より細く強調される。


「さっきの話だけどね。出来れば、他の男の前では今後、そういう単語は言わないでくれると嬉しいかな。さすがに彼女で、下世話な妄想はされたくないから」

「そういう単語って?」

「……ごめんね、聞かせちゃうけど。処女とかおっぱいとか、そういうの」

「デリク君は心配性だなー? どんな男の妄想の私より、実物の私のおっぱいのほうが小さいって」

「また言った」

「今はデリク君しかいないよ」

「そうだね……でも、どんなサイズでも、想像されたくないな」


 苦笑して言うと、エッダは「んー」と小首を傾げた。そして、しっかりと頷く。


「わかった。やってみる」


 その顔は全く納得していないようだったが、デリクが嫌がったため、止めてくれたのだとわかる。


「ありがとう。僕、エッダちゃんのそういうところ、とてもいいと思う」

「ほんと? 任せて! 条件あればもっと言ってね!」

「条件、ってことになるのかな……? エッダちゃんも、僕に嫌なことがあれば言ってね。お互い思いやっていけたらいいなと思う」

「うん」


 恋人同士の甘い語らいでは無い。


 そもそも、エッダとデリクでは、価値観がかなり違う。

 それでも、嫌なことと嬉しいことをこうして素直に話し合っていけば、案外上手く行くのでは無いかと、デリクは感じた。


「でもね、えぐれてるのはホントなの。ほら」


 エッダはそう言うと、デリクの手首を掴んで、自分の胸に押し当てた。


 デリクの目玉が飛び出て転がり落ちそうになる。デリクの手のひらの中には、エッダの胸があった。


「エッダちゃん!」


「わあ! びっくりした! 何!?」


(何!? じゃない)


 何!? と言いたいのは、完全にデリクである。


 顔を真っ赤にして汗を垂らしながら、デリクは手を振りほどいた。

 生まれて初めて触れる女の子の胸は、色んな衝撃のせいで全くよくわからなかった。


「こういうことを気軽にするのは、良くないんじゃないかな?!」


 普段のデリクにしては、かなり語気が荒い。それほど動転しているのだ。これまで女の子とは必要事項以外の話をしたことが無い、生粋の童貞を舐めないで欲しい。


「気軽にって、だってデリク君、彼氏だし?」

「いや、彼氏って言っても……」

「え? 彼氏だから、私は全然いいんだけど」


 いいんだけど。


(いいんだけど、って、何をだろうか)


 期待する本能と、いやいや駄目でしょと抑制する理性がせめぎ合う。

 硬直するデリクを、エッダは腕を組んで見上げた。悩ましげな顔をしていることから、何かを真剣に考えているようだった。残念ながら今のデリクには、それを気遣ってやる余裕は無い。


「デリク君、そこら辺考えて無かったっぽいね。あとで嫌だって言われたら困るから、確認しておいてよ」


 何を? と尋ねる前にエッダがデリクのローブを掴んだ。デリクはローブを下向きにぐいっと引っ張られ、かがむ。


 近付くエッダの顔に、自分達が何をしそうになっているのか気付いたデリクは、慌ててエッダの口元に手のひらを押し当てた。


 エッダの大きな目が、ぱちくりと瞬きをする。

 女性に誘われ、それを断るなんて、彼女を大きく傷つけることになるかもしれないが、デリクの理性が本能に勝利した。


「そういうのは、まだ止めておこう」


「へ?」


 手のひらを押し当てたままエッダがしゃべると、ぞくりと手のひらから痺れが走った。デリクは慌ててエッダの口から手を放し、姿勢を正す。


「君は僕に恋をしてないし、僕もまだ君に恋はしてない。今の状態でこういった行為をするのは、僕たちにとってあまりいい結果にならないと思う」


 心持ちしゃがんで、エッダの顔を正面に見据えると、エッダもくりくりとした大きな目でこちらを見返してくれた。


「エッダちゃんは僕と結婚まで考えてくれてるんだろう?」


「そう」


「じゃあ急ぎたく無いな。駄目かな? 僕はエッダちゃんを大切にしたいし、エッダちゃんに僕を大切にしたいと思って貰えるようになりたい。ゆっくりでいいから、僕に恋をしてみてよ。僕も頑張るから」


(きっと、僕らは、お互いに恋を知らない)


 こんな恋愛初心者同士でどうにかなるのか不安だが、一歩ずつ進んでみなければ、きっと辿り着けない気がした。


「うーん……恋ってだって、わかんないじゃん。いつ、これが恋なんだ! ってわかるようになるの?」


 今日一番の悩み顔がきた。

 言い出しっぺだが、デリクだって全然こういった話には聡くない。デリクもエッダと同じく腕組みをし「うーん」と首を傾げた。


「僕も詳しくないからなぁ……あ、そうだ」

「思い浮かんだ?」

「キスが、恥ずかしくなったらっていうのはどうだろう」


 デリクにとっては恥ずかしいものだったが、それはエッダが女の子の体をしているからだ。思春期の男子として、女子と性的な接触をすることに興味と興奮を覚えるのは当然だが、それはまだ「エッダだから」恥ずかしいのでは無い。


「きっとそれが、君が僕に恋をした日だと思う」


 デリクの提案に、エッダは眉を下げる。


「えー? くるかなー? 私元々羞恥心薄いから……テストみたいに赤点かも」


「あはは。じゃあ僕が頑張るよ。一応まだ、赤点取ったことないから」


 よろしく、エッダちゃん。


 そう笑って言うと、エッダの眉が元気に上がった。そして、にこっ! と笑う。


「よろしく、デリクくん!」


 デリクの手を取った小さな手が、ぎゅっと手のひらを握る。デリクはドギマギしながらも、エッダの手のひらを握り返した。




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