第147話 星の墜落 - 02 -


(あの時、やっぱり死ななくてよかった)


 ヤナはぷるぷると全身を震わせながら、つい数十分前の自分の言葉を覆した。


「っ……ふっ――!!」


 口元を覆い、悲鳴を噛み殺そうとするが、中々上手く制御出来ない。

 いつもは毅然とした態度で向き合えているというのに、自分の相貌が完全に崩れているのを、ヤナは自覚しながらも立て直すことが出来なかった。


「………………可愛い…………………………。可愛い……」


 可愛い以外の語彙を失ったヤナの前で、ぶすくらっとしているのはアズラクである。


(こんな表情、何年ぶりに見たかしら)


 いつも徹底して自分を律し、護衛としてあろうとするアズラクの貴重な表情に、ヤナはまた打ち震えた。


「ヤナ様。その言葉、アズラクはもう十分に聞きました」


「お前、その声……!」


 日頃の声より、ずっとずっと高い声がアズラクの口から紡がれる。ヤナの喜色を見たアズラクが、ぐっと口を噤んだ。


「懐かしいわね……ああ、可愛い……そういう声だったわね。……可愛い……驚いた……お前、こんな――、ねぇ。可愛いわ………………」


 ヤナが言えば言うほど、アズラクの表情は硬化していく。そんな表情さえ愛おしい。ヤナが手を伸ばす。アズラクは微動だにもせずに、ヤナの指先をじっと待ち受けている。


 細く長いヤナの指が、アズラクの頬に触れた。


 ぷにっと、した感触が、みずみずしい肌から伝わってくる。


「……っ! …………っ可愛い」


 アズラクの小さな頬を両手で包みこみ、ヤナは歓喜に震えた。


 人払いを済ませた医務室のベッドの上に、ちょこんと座っているのはアズラクだ。納得いかない表情を浮かべ、されるがままになっている。


 座った状態では、床に足も付かないアズラクは、元々の身長の半分ほどになってしまった自分の体を持て余している。

 医務室で借りた一番小さなサイズの制服を着ているが、裾の丈は大きく余っている。ローブは、裾をあげているヤナのものを着せても、ぶかぶかだった。


 ――大量の魔法薬を一気に浴びたアズラクは、体が縮んでしまっていた。


 廊下で苦しそうに伏せたのは、体が急激に縮小するこれまでに無い痛みに耐えきれなかったためのようだった。ヤナがローブを剥がした時には、アズラクは幼児の体で蹲っていた。


 およそ六歳ぐらいだろうと、校医のサイラス先生は診断した。


 急激に体が縮んだ際に、背中の傷も修復されたらしい。現在の医学でも魔法薬学でも不可能と言われていた症例に、縮んだアズラクはしばらくの間、サイラス先生とハインツ先生に質問攻めにされていた。


 普段は理知的で温厚なサイラス先生と、面倒くさがり屋だが冷静なハインツ先生が、目を少年のように輝かせる姿は、傍目にも恐ろしかった。

 狂喜に包まれる二人からアズラクをかばうため、ヤナは小さなアズラクを抱え、医務室のベッドに籠城した。


 現在、二人は医務室にいない。ハインツ先生は授業に戻り、サイラス先生はアズラクに必要なものを取りに行っている。


「ヤナ! オリアナだけど、入ってもいい?」

「ええ、どうぞ」


 トントン、とノックが鳴って扉が開く。医務室に入ってきたオリアナの後ろから、ヴィンセントとミゲルも続く。いつも思うが、あのヴィンセントとミゲルを堂々と付き従えさせるなんて、オリアナは中々肝が据わっている。


 ベッドの周りにかけられているカーテンの隙間から顔を出したヤナは、オリアナらに手招きした。


「ヤナッ――! アズラクはどう!?」


 オリアナは傍目に見てもかわいそうなほど、涙目になっている。授業が終わり、急いでアズラクの様子を見に来たのだろう。


「大丈夫、この通りよ」


 ヤナはカーテンの中に三人を招き入れた。ヴィンセントとミゲルも来がけに事情を聞いたのか、沈痛な表情でカーテンの中に入ってくる。


「……え? 誰? 何?」


 ベッドの上にちょこんと座るアズラクを見て、オリアナはぱちくりと瞬きをした。


「アズラクだ。エルシャ」

「……ええ? 私の知ってるアズラクさんと、ちょっとお顔が違う気がする……」


 恐る恐る、珍獣に近付くようにオリアナはアズラクに近付いた。


「何これ、初めて見た。すげえ」

 小さなアズラクを、ミゲルが至近距離でしげしげと眺める。オリアナもミゲルを真似して、小さなアズラクを近くから観察し始めた。


「大怪我を負ったと聞いている。怪我の具合はどうなんだ?」


 さすが次期公爵というべきか、アズラクを見て明らかに動揺の色を浮かべたものの、ヴィンセントはすぐに冷静を取り戻した。


「怪我を負った時に大量の魔法薬を浴びてしまったのだけれど、そのせいで体が縮んでしまったみたいなの」

「怪我は?」

「体が縮む時に治ったのですって」


 ヤナの説明を聞き、ヴィンセントは眉根を寄せる。単純にアズラクの快癒を喜べないのは、聞いたことも無い薬の作用のせいだろう。


「若返りに加え、治癒の効果まで――? ――すごいなそりゃ」

 軽い口調で言うが、アズラクから視線を剥がさない事を見ると、ミゲルもかなり驚いているようだった。


「ハインツ先生にバレた? めちゃくちゃ驚いたんじゃない?」

「驚くなんてものじゃないわ。このままだとアズラクの腹を割かれて薬を特定されそうだったから、ベッドに閉じこもったの」

「ハインツ先生がそんな風になるのちょっと興味ある……いやでもひとまず、怪我が治って本当によかった。皆、ものすっごい心配してたよ」

 オリアナが気遣わしげな目をアズラクに向ける。アズラクはふっと息を吐くように笑った。


「すまない」

「こんな小さな子から『すまない』って聞くの、斬新……」


 口元に手をやったオリアナが、アズラクを興味深かそうに見つめる。

 そのオリアナの隣で、ヴィンセントが神妙な顔で言う。


「……ザレナ。申し訳無い。僕の作っていた魔法道具が、事故を引き起こしたと聞いた」


 頭を下げるヴィンセントを見て、ヤナはクラスメイトでも無い彼がわざわざ医務室まで来た理由に気付いた。どこからかアズラクの現状を聞きつけ、その原因を知ったのだろう。


 棚の中にしまわれていたのは、時折オリアナが畑で手伝っていた魔法道具の実験体だったらしい。ハインツ先生が監督していると聞いているので、彼が管理している棚にしまわれていたのなら、保管場所は適切だろう。


「ヤナ様がご無事だったのだから、謝罪は必要無い」


 ヴィンセントは困ったように笑った。ヤナはアズラクの頬を、むにっと引っ張る。


「アズラク。お前を心配し、頭を下げてくれた学友に、今の態度はいけないわ」


 小さなアズラクは、大きなアズラクよりも、ずっと触れやすいし、言いやすい。大きなアズラクにはこれでも遠慮をしていたことを知る。


「……私は無事だ。それに、タンザインのせいでは無い」


「言わせたみたいになってしまったな」

「言わせたのはヤナだけどね」


 オリアナが明るく言うと、ヴィンセントの表情が苦笑から笑みに変わる。アズラクも笑っていた。


「私達は次の授業も医務室にいるわ。オリアナ、フェルベイラさん、タンザインさん。わざわざありがとう。教室へ戻ってちょうだい」


 そろそろ授業の合間の休憩時間が終わってしまう。「一応、アズラクのことは内緒にしていてね」と声をかけると、三人はしっかりと頷いた。

 医務室を出ようとする三人を見て、すかさずアズラクが言う。


「ヤナ様もご一緒にお戻りください」

「こんなに小さなお前を置いておけるわけが無いでしょう」

「小さいなどと――私の中身は変わっておりません」


 ムッとしたことが明らかにわかる顔だ。すぐにアズラクは顔を引き締めるが、もう遅い。肉体の幼さに引きずられてしまうのだろう。ヤナはこんな風に感情を発露するアズラクが嬉しくてたまらずに、表情を緩める。


「お前は私のものだもの。責任を持つのが、主人の努め。お前を守ろうとする私の行動に、お前が口出すことでは無いわ」


 ヤナはアズラクの頭を撫でた。十九歳のアズラクの髪よりも、ずっと柔らかい黒髪だ。頭を撫でられたことが屈辱だったのか、幼いアズラクの顔から表情という表情が抜け落ちた。


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