第127話 青嵐と忘れ物 - 03 -
「あれ絶対、パンツだって!!」
ある夏の早朝、男子寮に衝撃が走った。
ランニングに出かけていた男子生徒が、汗を自分のシャツで拭いながら、顔を赤らめて口早に話す。
「ちょっと奥まったところの木に、吊されてたんだよ。女子寮に近いし、干してた洗濯物が飛んでったんだと思う」
「何色だった?」
「赤!」
男子寮の扉を抜けてすぐの談話室に、人が集まっている。
毎朝、授業前に自習室に寄るヴィンセントは、朝の準備を済ませて階下に降りていた。まだ授業の開始時間には早いため、多くの生徒達は未だ寝間着のままだ。
ミゲルも毎朝律儀に自習室までついてくる。眠そうな猫のように、ヴィンセントの隣であくびをしていた。
「ダンスレッスンでへばるから、朝走ってたんだっけ?」
「そう。まじ走っててよかったって今日ほど思ったことは無い」
「生地は?」
「そこまで見えるかよ。木の上だぞ」
「上れよ!」
「だから
話題に対して眉根を寄せたヴィンセントは、顔を輝かせて話に食い入る男子生徒らの傍を抜ける。
「寮に梯子あったはずだって取りに来たんだ」
「用務員さんは?」
「寄ったんだけどいなくって」
(――用務員がいない? 梯子?)
そんな話を、ヴィンセントはいつかどこかで聞いたことがある気がした。
――コンコンコンッ
男子寮の扉が叩かれる。パンツの話題で盛り上がっていた男子生徒達は、一瞬で沈黙した。
扉の一番近くにいたヴィンセントが、ドアを開ける。
そこには、化粧っ気もなく、部屋着にローブを羽織っただけのオリアナがいた。
「あっ……ヴィンセント。アズラク、アズラクはいない?」
起き抜けのまま、梳いてもいないような髪を慌てたように両手で押さえながら、オリアナが言った。
「えっ……」
「なんで女子が?」
「まさか、さっきのっ――」
――バタンッ
寮の外に出たヴィンセントは、荒々しく扉を閉めた。寮の室内は、扉越しでもわかるほどしんと静まりかえっている。
目を丸くして驚いているオリアナの頭から、ヴィンセントが自分のローブをかぶせる。
「起き抜けの髪のまま、こんなところにやって来るなんて、何を考えているんだ」
「マナーのお説教は後にして。お願い。困ってるの」
マナーのお説教の問題ではない。頭がガチガチに古い類いの貴族にとって、梳く前の髪は前夜の情事を思い起こさせる。
いつもはバッチリと化粧もしているオリアナの、こんなに無垢で扇情的な姿を誰にも見せるつもりは無かった。
「お願い。頼れる人がアズラクしかいなくって――」
「僕がいるだろう」
「ヴィンセントは無理だよ! 無理!」
(何が僕は無理だ)
オリアナの慌てっぷりから、今この場にいる男子全員の推測が正しいことは明白だった。
先ほど、男子生徒にちらりとでもオリアナを見せてしまったことも、飛んでいった下着がオリアナのものだと気付かれたことも、目の前にいるヴィンセントでは無く、ここにいないアズラクを頼られることも、全てに苛立って仕方が無かった。
(他の男に見せる方が、絶対に無理だ)
「僕は友人だろう」
「友人でも無理なことがある!」
「では、ザレナなら何故いいんだ」
「アズラクはその……」
「ああ」
「……大丈夫そう、としか……」
(そんな馬鹿な話に、納得できるはずがない)
ヴィンセントはオリアナをくるりと反転させると、ドアを開けて室内を見た。
室内は、先ほどヴィンセントが出た時のまま、微動だにしていなかった。下着の話で盛り上がっていた男子生徒達は、明らかに顔色を失いながら、こちらをじっと凝視している。
胸を張り、朗々とした声でヴィンセントは告げた。
「栄えあるラーゲン魔法学校の男子生徒諸君。貴兄らの、誇り高き紳士精神を期待する」
「ハイ」
その場の全員が背筋を伸ばしヴィンセントに同意を示す。ヴィンセントは再び扉を閉める。
「行くぞ」
「えっ!? アズラクを呼んでくれるんじゃないの!?」
(呼ぶわけが無いだろう)
ヴィンセントはオリアナの意見を聞き入れずに歩き出した。
「それで、何処に飛んでいったんだ?」
「えっ……なんでそれを……」
顔をサッと青ざめさせたオリアナは、先ほどのヴィンセントの言動の意味に思い当たったのだろう。顔を真っ赤に染め上げた。
「嘘。無理」
「嘘じゃない。無理でもない。僕は女性の下着に興味が無いと、君自身が言っていただろう」
以前女性の下着の話題が上った時、男扱いされていない上に、意味不明に神聖視されていたヴィンセントは、仕返しとばかりに言ってやった。
「あんな前の話――! だって、でも!」
「だっても、でもも無い」
「本当に恥ずかしいの!」
「わかっている。僕は梯子を持つから、君が取れ。それで、本当に何処に飛んでいったんだ?」
オリアナがもにょもにょと場所を告げた。
「それなら用務員を探すよりも、温室の用具入れに寄った方が早い」
「あ、そっか……鍵、持ってるんだっけ」
「ああ、行こう」
ヴィンセントが歩を早める。
頭からヴィンセントのローブを羽織ったオリアナは、渋々小走りでついてきた。
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