第125話 青嵐と忘れ物 - 01 -


「なあーなあ、ヴィンセント~! どうにかマリーナちゃんとお近づきになれねえかなぁ。なあ~?」


 怖い物知らずにも、ヴィンセントの肩を組みながら絡んでいるのは、言うまでも無くルシアン・コルテスだった。いい意味でも悪い意味でも馴れ馴れしいルシアンは、いつの間にかヴィンセントを呼びタメっている。


(私だってため口はつい最近だったのに……男の子っていいなー)


 とはいえ、カイは未だ敬語にさん付けなので、やはり男の子と言うより、ルシアンが得をしているのだろう。


「ルロワさんとは面識がある程度だ。力になれそうにない」

 群がる女生徒はあしらえるようになっても、慕ってくる男子生徒には強く言えないのか、ヴィンセントは困った顔で笑みを浮かべている。


 放課後、中庭に集まっていたのは、いつもの第二クラスメンバーと、ヴィンセントとミゲルだ。

 春もどんどんと夏の暑さを帯びてきた。強くなってきた日差しが木々を照らし、芝生の上に濃い陰陽を映し出す。


「えーそう言わずにさあ。好きなタイプ聞いてくれるだけでもいいから」


「マリーナちゃん」とはマリーナ・ルロワという特待クラスの女生徒だ。最近始まった課外授業のダンスレッスンで見かけたのだという。マリーナもルシアンも、ダンスレッスンの受講者だ。


 オリアナは家でダンスレッスンを受けていたため、今のところ受講する予定は無い。ダンスレッスンを立ち上げたヴィンセントも、レッスン自体には参加していない。


「やめなさいってルシアン。タンザインさんから好きなタイプ聞かれて、惚れない女がいたら見てみたいぐらいだっつの」

 ルシアンの首根っこを掴んだハイデマリーが、ヴィンセントから引き剥がそうとする。


「タンザインさん。その挑戦受けて立ちますわ。私にも好みのタイプを、どうぞ聞いてくださいませ」

「おだまりコンスタンツェ」

「極寒の愛ですわー!」


「マリーナなら、俺が声かけてやろうか?」


 ヤナとアズラクと共に木陰に座っていたミゲルが、日向でヴィンセントにまとわりついていたルシアンに言った。ルシアンは凄い勢いでミゲルのもとまでやって来る。


「さすがミゲル!!」

「マリーナ、ルシアンが好きそうな感じだもんな」

「好きそうなってどんな感じなの?」

 興味が湧いたオリアナが尋ねると、ミゲルは猫のように目を細めて笑った。


「ふわふわの黒い髪で、いつもにこにこしてて、男女見境無く優しくて――胸がでかい」


 途端にしらけた空気になった場に気付いているのかいないのか、ルシアンは拳を握りしめた。


「あのおっぱいに、顔を埋めてみたいんだ……」


「これだから童貞は」

「童貞って最低の代名詞だったっけ……?」

「童貞は死んでも治りませんわね」

 白状したルシアンに、エッダ、ハイデマリー、コンスタンツェの冷風のような視線が突き刺さる。


「紹介してやるよ。いつにする?」

「ミゲル!? 女の敵なの!?」


 悲鳴のように叫んだエッダに、ミゲルがにんまりとする。


「童貞童貞言うくせに、わかってないんだな」

「え?」


「その童貞が勇気振り絞ってんだから、許してやんなよ」


 これまで静観していたカイが、読んでいた本をめくりながら言った。にんまりと笑い続けるミゲルとカイの心は同じらしい。


 ハイデマリーがぽかんとして、首根っこを掴んでいたルシアンを見た。


「……あんた」


「うわああああ! っうるせえー!!」


 顔を真っ赤にしたルシアンがハイデマリーを振りほどくと、脱兎のごとく逃げ去った。


 読んでいた本をパタンと閉じると「それじゃあ」と言ってカイがルシアンを追いかける。

 ぽかんと見ていたハイデマリー達も、「私達も、お先に!」と言って、ルシアンが消えた方に駆けて行く。





「……胸」


 騒がしい五人が消えた後、木陰で休んでいたヤナがぽつりと言った。


 ヤナを見ると、自分の胸元を見下ろしている。オリアナも釣られて自分の胸を見た。


「……」

「……」


 二人とも、大きいとは言い難い。

 オリアナは好きな服を着るのに困らない程度には乗っているが、ヤナは大層なスレンダーで、見通しのいい胸元だった。


 残されたヴィンセント、ミゲル、アズラクは、お利口なことに口を閉ざして待っている。優美な鳥の声が、チチチと聞こえた。


「アズラク」


「はい」


 こんなに空気の止まった、しんとした場で呼ばれても、アズラクは何の戸惑いもなく、いつも通りの返事をした。


「胸のサイズも富と同じで、大きければ大きいほどいいというわけでは無いわね?」


「ええ、ヤナ様。もちろんです」


 如才なく答えたアズラクは、にこりと笑っている。ちょっとした冗談を言う時に笑顔は浮かべても、ヤナの問いかけで笑いかけているのは、ちょっとばかし珍しい。


 もちろん、ヤナも同じ事を思ったのだろう。ヤナは砂漠の星と呼ばれるほどの美しい顔で微笑んだ。


「ならばお前は、どちらが好きなの?」


 季節はそろそろ、夏のはずだった。


 ここら一帯に{冷}という魔法陣を貼ったのかと思われるほど、冷たく張り詰めた空気が広がる。


 ミゲルとヴィンセントが、アズラクに形容しがたい視線を送った。二人とも、自分が指名されなくてよかったという安堵と、戦友の無事の帰還を祈るような思いを込めているように思えた。


 アズラクは長考した。

 かつて、ヤナに問われたアズラクが、これほどまでに押し黙っているのを、オリアナは見たことが無かった。


 やがてアズラクは観念したように、ゆっくりと口を開いた。


「――黙秘いたします」


 アズラクは笑顔を崩さなかった。


 だが、ヤナの放つ冷気は三倍に膨れ上がった。その瞬間、オリアナはミゲルとヴィンセントに手を引かれ、中庭から連れ去られた。




***




 食事の時間になり、ヤナらを探したが合流できなかったため、オリアナはヴィンセント達とご飯を済ませた。最近増えたさっぱり系のご飯は、暑くなりはじめのこの時期でもすんなりと口に出来る。


 先に自室に戻ったオリアナは、夜になって帰って来たヤナを出迎えた。


 ドアを開けたヤナは、オリアナの顔を見た途端、ぷくりと頬を膨らませた。


「アズラクは折檻してきたわ」


 頬を膨らませたヤナなど、初めて見た。あまりの可愛さに、オリアナは誰にも見られないように、慌ててドアを閉めて体を寄せる。


「どんな?」


 叩いたり、蹴ったりしたのだろうか。アズラクなら何も抵抗せずに受け入れそうだが、人に手を上げるヤナを想像するのは難しかった。


「図書室に行って、人体の体について書いてある本を探したの」


「え? 本?」


 折檻と聞いて、まず思い浮かばない方向だった。オリアナはきょとんとした。


「子に乳を含ませるのに、胸の大小は関係無いと書いてあるところを、百度書き取りをさせたわ。アズラクはペンを持つ時間が苦痛で仕方が無いから、丁度いい仕置きね」


 アズラクは背が大きいし、筋肉のせいで体も太い。椅子に座って書き物をする時、長い足が窮屈になるようで、長時間椅子に座るのを嫌った。護衛のためでもあるだろうが、椅子に座るよりも立つほうが楽というスタイルだ。


 更に同じ文章を百度も書くともなれば、彼にとっては確かに「折檻」だっただろう。


(小さなヤナに睨まれながら、体を縮めてせっせと文字を書くアズラク――ちょっと見たかったな……)


 異様な光景なことはすぐに理解出来た。彼女達の力関係だからこそ、なせる技だろう。


「母は身長もそこそこあって、胸も大きいの。――あんなもの、ただの脂肪の塊じゃない」


 そう言うヤナの声が涙声になっていた。美しさを求め日々努力するヤナにとって、頑張りだけではどうにもならない身長や胸のサイズは、コンプレックスなのかもしれない。

 オリアナはぎゅっぎゅとヤナを抱きしめる。


「ヤナ、可愛くなったなあ……」


 元々可愛かったが、恋の話をするようになってから、かわいさの比率が倍数で上がっている。


「私より多少あるからと言って!」


「えっへん!」


 そういう事では無かったが、オリアナは胸を張っておいた。コンスタンツェのように、ばいーん! と言うほどは無いが、にゅっ! というくらいはある。


 冷ややかな目で、ヤナがオリアナの胸の側面に手を添える。指の関節の長さで、高さを測っているらしい。


 自分の胸元に戻し、関節の差に打ちひしがれているヤナの背を、オリアナは撫でる。


「ヤナもダンスレッスン通ってるんだし『マリーナちゃん』と知り合えるって」

 アマネセル国のダンス文化に疎いヤナは、アズラクと共に通っている。


「そんで仲良くなったら――胸が大きくなる秘訣、聞こう? ね?」


 ヤナの顔がキラリと光り、”砂漠の星”に相応しい輝きを取り戻す。


 その後、無事に「マリーナちゃん」から「豆乳を毎日飲んでいる」と聞き出したヤナは、それから毎日、昼食時に豆乳を飲むようになった。




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