第96話 君と僕と―― - 07 -


「ヴィーンセーントー!」


 大きく、手をふりふり。


 背伸びしながら手を振るオリアナに気付いたのか、畑の隅にある石の上にしゃがみこみ、膝の上に広げた紙を睨み付けていたヴィンセントが顔を上げる。


「……」


 夕日に照らされ、ほんのりと赤く染まったヴィンセントが、こちらを見る。


 ぼうっとした様子で、見たことの無い表情だ。端正な顔が幼く見えるほど無垢で、迷子の子どものようだった。


「……どうかしましたか?」


 なんだか少し不安になって、オリアナは走ってヴィンセントに近付いた。

 心配で覗き込むオリアナの頭を撫でようと、ヴィンセントが手を上げていたが、途中で動きを止めた。


 何かに焦がれるようにオリアナを見ていたヴィンセントは、びくりと肩を揺らした。


「……ああ、だったか」


 そして、泣き出す一歩手前のような顔で笑う。


「――すまない。一瞬――……いや……何でもない。顔を見たら元気が出た。ありがとう」


 ヴィンセントが笑顔を見せる。


 この「何でもない」をつっこめるほど、仲良くなってるとは言い難い。

「顔を見たら元気が出た」を真に受けるほど馬鹿でもない。


 でもなんとなく、「ありがとう」だけは素直に受け取ってよさそうな気がして、オリアナはにこっと笑った。


「こんな顔でよければ、いつでも見て元気出してくださいね。それと、今回の試験も総合一位、おめでとうございます」

「ありがとうございます」


 頭を下げて祝いの言葉を言うと、ヴィンセントも真似して頭を下げた。

 互いに顔を上げ、笑みを零す。


(よかった。普通の笑顔だ)


 何を考えていたのかはわからないが、先ほどまでの途方に暮れたような顔では無くなっていた。

 ほっとしていると、ヴィンセントはオリアナの後ろからやってきたミゲルに話しかけた。


「いいものを拾ってきたな、ミゲル」

「なんと、ちゃんとインク壺もある」

「その点は、えっへん。オリアナちゃんのお手柄です」

「二人とも偉い偉い」


 オリアナがインク壺をヴィンセントに差し出すと、「お借りするよ」と言って蓋を開ける。そしてヴィンセントは、手にしていた紙に素早くペンを滑らせ始めた。


「すごいですね。試験が終わってすぐ、こっちに取りかかるなんて」

「時間は有限だから」


 手を止めることなく、ヴィンセントが答える。


 畑の片隅に横たえられた魔法道具試作品四号は、泥で汚れている。四号というのは、オリアナが手伝いだしてから、勝手に付けた名前だ。もっと多くの試作品を、今までに作ってきたのだろう。


「お手伝いします」

 腕まくりをしたオリアナは、ミゲルからもらった飴を咥えていたことを思い出す。


 口から飴を取り出す。舐め始めたばかりだったので、まだけっこうな大きさだ。


「せっかくもらったのにごめん。噛んじゃってもいい?」

「どうぞ、お好きに」


 平たいスティックキャンディを歯に挟み、力を入れてみるが、上手く噛み砕けない。

 ぐぐぐっと力を入れているオリアナを、ミゲルとヴィンセントがじっと見ている。


 オリアナは一度口を離し、こほんと咳払いをした。


「あんま見ないでください。恥ずかしいから」


 ミゲルは笑いながら、ヴィンセントはほんの少し気まずそうに視線を逸らした。


 二人が見ていないことを確認したオリアナは、また飴を噛むと、ぐっと力を込めた。


 パキリッと音がして、飴が割れる。しかし割れた飴が大きく、破片を口の中で転がした拍子に、鋭い痛みが襲った。


「ったぁ――」

「どうした」

「口の中、切っちゃいました」


 椅子の上に座っていたヴィンセントが立ち上がり、オリアナの顔を掴む。


「ひぇっ……?!」


 噛んでいた飴そっくりな、紫色の瞳が至近距離にあり、オリアナは体を強張らせた。


(え、何? キスされる?)


 両頬を掴まれ、真剣な顔で覗き込まれたオリアナの心臓が暴れ始める。顔が真っ赤に染まり、唇が戦慄く。


「口開けて」


「?!」


 混乱した頭のまま、口をぱかりと開けると、ヴィンセントが口の中を覗き込んだ。


(キスじゃない……けどこれ、何されてるの!?)


 舌の上に乗っていた飴の破片を、ヴィンセントが指で摘まむ。


「んぁっ……!」


 摘まんだ際に、ヴィンセントの指の背がオリアナの舌を撫で、変な声が出た自分に心底驚く。


(何をされ……えっ?! それ舐めた飴……掴んだ……)


 口の中を、同じ年頃の異性に見られた経験などオリアナには無い。口の中に指を突っ込まれた経験も、自分が舐めた物を掴まれた経験もまた無かった。


 ピシリと固まったまま動けなくなっているオリアナの顔を動かし、ヴィンセントが無遠慮に、色んな角度から口の中を覗き込む。

 医師の診療のように角度を変えて口内を見られ、泣きたいほどの戸惑いが襲う。


(ひ、ひぃい~~!! 何これ、何されてるの? 無理、さっき何食べたっけ、歯磨いてきたらよかった。早く、早く終われっ……!!)


 口を覗かれているため、舌を動かすのも恥ずかしく、声を出すことさえ出来ない。口の中に唾液が溜まってきて、口を開いたままごくりと唾を飲み込んだ。


 顔を赤く染め上げながら、目をぎゅっと瞑り、この時間が終わるのを待つしかない。


(ミゲル、何してるの?! 助けてくれても良くないか?!)


 前か後ろか横のどこかにミゲルがいるはずなのに、何も助け船を出してくれない。それどころか、気配さえ消えている気がする。


「ここか。痛むのか?」


 切り傷を見つけたのか、首を斜めに持ったまま、ヴィンセントが真剣な声で言う。


 オリアナは力を振り絞り、首を左右に振った。先ほどは驚いて声が出ただけで、こんなに気をかけてもらうほどの怪我では無い。


 傷の小ささに安堵したのか、ヴィンセントがオリアナの顔から手を離した。ほっとして力が抜けそうになるオリアナの肩に、ヴィンセントの頭がもたれ掛かってきた。


「よかった……」


(そんな、生きるか死ぬかの問題じゃないんだから……)


 ヴィンセントの大げさな行動に戸惑いが増す。ヴィンセントは不必要に、オリアナに触れようとはしない。彼からこんな風に触れられたのは、初めてだった。


 それがこんなに過剰な接触である。男子生徒との体の触れあいに慣れていないオリアナはドギマギとしっぱなしだ。


 ひとまず、またオリアナは動きを封じられた。もちろんのこと、同年代の男子に肩を貸してやった経験も無い。


「ご心配をおかけしました。あの、無事ですので……」


 オリアナが全て言い終わる前に、ヴィンセントがオリアナを両腕で抱き締めた。




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