第92話 君と僕と―― - 03 -


 そろそろ食事の時間になったため、ヴィンセントもオリアナらと食堂に移動することになった。ぞろぞろと廊下を歩いていると、いつしか会話は、好きな人の話題へと移っていった。


「私は恋とかどうでもいいから、条件いい男、見つけたいなあ」

「エッダはすぐにそうやって、恋愛を下げて見るんですから」

「コンスタンツェみたいに背も高くないし、胸も無いからなあ」

「なら私は、背が高くて胸もあるのに、何故素敵な恋人が出来無いんですの……?」


 悲壮感を醸し出しながら、コンスタンツェが肩を落とした。

 すらりとした体躯は、姿勢の良さも相まって、女騎士さながらの凜とした印象を与える。その少しばかり情熱的な口を閉ざしてさえいれば、今頃彼女の周りには複数の崇拝者がひしめいていたことだろう。


「ハイデマリーは? 好きな人いるの?」

 オリアナが話を振ると、珍しく会話に参加していなかったハイデマリーがもごもごと口を開いた。


「……まあ、ほどほどに」

「え?! いいいいるんですの!?」

「ていうか、ほどほどに!? 好きな人数のこと? 好意の強さのこと??」

 コンスタンツェとエッダがハイデマリーに飛びかかる。


「なんだよハイデマリー。俺とか言うなよ~?」

 ルシアンがにやにやと笑いながら言うと、ハイデマリーが冷めた目で彼を見た。


「なんで童貞って、知人に好きな人がいるって聞くと、自分かもって想像しちゃうんだろうね……?」

「かわいそうな種族だからかな……?」

「おい、知人ってなんだよ。友達だろ?! そこからか?!」


 やいのやいのと騒ぐ前方を見ながら、ヴィンセントは廊下を歩いた。積極的に話題に入ることは無いが、楽しそうに会話をする彼ら――主にオリアナを見るのは楽しかった。


「やっぱり、ハイデマリーは大人だなあ」


 ヴィンセントの隣を歩きながら、ぽつりとオリアナが零した。


「友達への好きと、何が違うんでしょうね」


 オリアナがヴィンセントを見上げ、尋ねる。


 純粋に、同意を求められているのだとわかった。


 だがヴィンセントは頷けなかった。オリアナへの好意を隠すことは出来ても、無いふりをすることは嫌だったからだ。


「……え? もしかしてヴィンセント――」


 オリアナは手で口を押さえて一度言葉を句切る。プライベートすぎると思ったのかもしれない。


(好きな人がいると言ったら、オリアナは何を感じるだろう。少しは焦ってくれるだろうか。それとも、対象外になってしまうだろうか)


 それは嫌だな、と思ったが、ヴィンセントに嘘をつくという選択肢は無い。それに、何も意識されていないこの状況で何を言ったって、きっとすぐに忘れてしまうだろう。


 ヴィンセントは口元に指を当て、薄く笑う。


「秘密にしてくれるだろう?」


「はい、もちろん」


 こくこくこくと、オリアナが小刻みに頷く。

 前方の賑やかさとは対照的に、オリアナはしばらく黙り込んでしまった。言うべきでは無かったか、とヴィンセントが後悔し始めたころ、オリアナがそっと身を寄せてくる。


「ごめんなさい」


「えっ」


 突然の謝罪に、ヴィンセントは凍り付いた。


(まさか、好きな相手がオリアナだってバレたのか……? それで、先手を打って……?)


 割と絶望的な状態に放心していると、オリアナが小声のまま話しかけてくる。


「勝手に、裏切られたって思ってしまいました……。私なんかに友達になってって言うヴィンセントなら、どこかで、私と一緒でまだ恋なんて知らないだろうって思ってたっぽくて……。いやぁ本当に失礼なことを……」


「ああ、いや、かまわない。そんなこと」


(焦った)


 ヴィンセントは今すぐしゃがみ込みたいほどに安堵した。


(振られたわけじゃないし、今のオリアナには、まだ好きな人はいない)


 それはヴィンセントも含めて「好きな人がいない」というわけだが、今はそれでいいことにした。


「誰かは教えてくれないんですか?」


「まあ、そのうち」


 伝えられる日が、一日でも早く来ることを願うばかりのヴィンセントに、オリアナが笑いかける。


「どんな人かは?」


 オリアナのキラキラと光る目に抗えず、ヴィンセントは声を落として話す。


「可愛い人だよ」

「そうでしょうね。あとは? あとは?」

「……同じ歳で」

「うんうん」

「……可愛い」

「――えええ? あのヴィンセント・タンザインが、好きな子を語る言葉が『可愛い』しか無いんですか??」


(これでも精一杯なんだ)


 何故本人に向けて、こんなことを言わなくてはならないのか。悔しさと、それに勝る恥ずかしさでどうにかなりそうだった。


「もう無いんですか?」


 無垢な質問に苛立つが、それ以上に彼女の好奇心を満たしてやりたい欲が勝つ。


(満足させてやりたい――他でもない僕が、喜ばせてやりたい)


 少しでも自分に興味を抱いてくれたことも嬉しくて、観念して言葉を探す。


「僕は――」

「うんうん」


「生まれてからずっと、自分のことをあまり考えたことがなかった」


「うん」

「名前も成績も将来も、あらかじめ決められているものを、ただ我武者羅になぞっていけば、それでよかった」

「うん」


「けれど、彼女に出会って……」


「うん」


「きっと始めて、自分から行動した。定められていない、無意味なことも沢山した」


「うん」


「僕は、そういう僕が、嫌いじゃなかった。足りないところだらけだったのだと、埋められて、気付く。彼女だけが、僕を埋める」


 恥ずかしいことを沢山言った気がして、ヴィンセントは押し黙った。熱の集まった頬に気付かない振りをして、オリアナをちらりと見る。


「……質問の答えに、なっていないか?」


「いいえ。十分です」


 オリアナの瞳に、先ほどほどの好奇心はもう見えなかった。

 ただ、深い海を覗いたような、大きな空を見上げたような、不思議な輝きは残っていた。


「告白はしないんですか?」


「……事情があってね。一度離れてしまったから、距離感を探ってるんだ」


「そっか。色々ありますよね。本当に好きなんだなーってめっちゃ伝わってきました」


「ああ」


 それだけは、断言できた。


(二巡目で――追いかけて来てくれた君も、こうして隣に立って話を聞いてくれる君も、どちらも愛しい)


 眩そうに見上げるオリアナを、願いを込めて見つめる。


(何度だって「ああ」と言うから、どうか僕をもう一度、好きになって)


 真っ直ぐに見つめるヴィンセントに、オリアナが戸惑いの欠片を見せる。


(これ以上見つめるのは不自然か)


 ヴィンセントは断腸の思いで視線を逸らした。ただ見つめることさえ、親密な空気を作ることさえ出来ないこのポジションが、歯がゆくて仕方が無い。


 ヴィンセントが視線を逸らしたことで安心したのか、オリアナはまた笑顔を浮かべた。


「私も、好きな人が出来たら言いますね」


(それが、僕であればいい)


 そんなこと言えるはずもなく、ヴィンセントは口の端を持ち上げる。


「友達だから?」

「はい。友達だから」

「一番に教えてくれる?」

「いいですよ。走って来ますね」


(なら今は、このポジションで満足しよう)


 わいわいと楽しげに話す一団の後ろを、オリアナと歩きながら、ヴィンセントはふっと笑った。





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