第91話 君と僕と―― - 02 -
「あっはは!」
オリアナの笑い声は、すぐにわかる。
自習室からの帰り道、いつもオリアナ達が集まっている談話室の前を通ったヴィンセントは、足を止めた。
案の定、第二クラスのクラスメイト達がソファの一角で談笑している。
ヤナとアズラクはいない。どこかで試練でもしているのだろう。
(あの二人が、また笑い合えていてよかった)
ヴィンセント自身に、ヤナとアズラクへの特別な感情は無いが、あの二人が上手くいっているとオリアナが喜ぶ。三巡目では彼らの行方がどうなるかなど検討も付かないが、ひとまずミゲルには、ヤナの試練には絶対に手を出すなと告げていた。
三巡目となり、ヴィンセントは東棟の隅にある小さな談話室には、ほとんど寄らなくなっていた。
偶に気が向いた時に掃除に行くが、単純に時間が無く、足も遠のいていた。暖炉の横には定期的に薪が補充されているため、他の生徒も時折使用しているのだろう。
早朝も休み時間も放課後も、暇さえあればヴィンセントは自習室か図書室、もしくは魔法薬学の施設にいた。
二度目の人生とはいえ、一位をとり続けるのは簡単なことでは無い。意味の無い約束かもしれないが、ヴィンセントは一位をとり続けることで、自分を奮い立たせている。
更に、勉強以外の時間は薬草畑での実験に費やしている。
そんなこんなで、ヴィンセントは二十四時間、オリアナのために稼働し続けていた。
談話室に寄る時間も、友人を作る余裕も、ありはしなかった――これまでは。
「あ、ヴィンセント、ミゲル!」
そんなヴィンセントに、オリアナが手を振る。当たり前のように、ソファを指さしてくれる。
(大丈夫だ。間違えていない)
オリアナの笑顔を見る度に、不安ばかりの三巡目の人生に、正解の判子をもらっている気分になる。
ヴィンセントは、ソファに向かったミゲルの後を追って、談話室へと入った。
「何の話をしていたんだ?」
オリアナの隣に案内されたヴィンセントは、ほどほどの距離を保ってソファに腰掛けた。レディに対するマナーは、身に染みついている。
だが、オリアナを前にすると、ついあと少し、もう一歩だけなら近付いてもいいのではないかと、理性が衝動に負けそうな時がある。
ソファの座面に置かれたオリアナの手を握りたくなるのを堪える。すぐそばにあるオリアナの太股には、気付いていないふりをした。意識しすぎて、彼女に目線を向けることさえ出来ない。
「ペン先の話をしてたんです」
「タンザインさんとフェルベイラさんは、どこのを使ってますか?」
オリアナにかぶさるように、向かいの席に座っていたコンスタンツェが尋ねる。
アマネセル国に限らず、魔法が繁栄している国の文具は進んでいる。魔法陣を描くために必須だからだ。使用者も製造元も、やはり魔法使いそれぞれにこだわりがある。
「ん。俺はラジーシャ製の」
「あそこはインクフローの調整が絶妙ですよね」
ミゲルが答えると、ハイデマリーがうんうんと頷く。
「そうなの? 俺も次それ買お。フェルベイラさんと同じって言ったらモテそうじゃね?」
「むしろルシアンが使うことで、ラジーシャの評判落ちるんじゃない?」
「エッダ。お前なあ」
「ヴィンセントは?」
「僕は抱えの職人が拵えたのを使っている」
オリアナの質問に、ヴィンセントは苦笑を交えて答えた。
エッダとコンスタンツェがひゅっと息を呑む。身を寄せ合って、ひそひそと話し始める。
「さすが八竜……」
「格が違いましたわ……!」
「どうにか一本だけでも手に入らないかな……?」
「そんなの、万が一にでも手には入ってしまったら大変ですわ。ラーゲン魔法学校の全女子が大歓喜して、祭壇に奉り始めてしまいますもの」
「そこ。こそこそ感じ悪いよ」
「ハイデマリー! 自分だけ保身に走ろうったってそうはいかないんだから!」
「ハイデマリーだって、公爵家お抱えのペン先……いやタンザインさんが触れたペン先、実は一本ほしいなって思ったでしょ?!」
「そりゃもらえるならもらいますけど!?」
途端に騒がしくなった三人を横目に、カイがミゲルに話しかけた。
「ラジーシャ社の、なんて規格ですか?」
「見る? 今持ってるけど」
「是非」
「俺も俺も」
ブックバンドに留めていたペンを取り出すミゲルの手元を、カイとルシアンが覗き込む。
「この間お借りした、コンバーター式のも職人のなんです?」
オリアナに問われ、ヴィンセントはようやく視線を向けると頷いた。
「ああ、そうだ」
「ペン軸やカートリッジまで手作りで?」
「工房があるんだ。軸の方はもっぱら彼の弟子が作っている」
「凄いですね。この間はテンパってて書き味まで気づけなかったんですけど、一体型とは思えないほど描きやすかったなーと思って」
畑でのことを思い出しているのだろう。思案顔で小刻みに頷くオリアナが可愛くて、ヴィンセントは尋ねた。
「プレゼントしようか?」
「よしてください。私が祭壇に祀られることになるじゃないですか」
一考の余地すら無く断られた。少しだけショックを受ける。
(二巡目のオリアナなら、きっと一も二も無く頷いていた。変な話だが、使い潰したペン先だって喜んで受け取っただろう――僕はまだ、彼女の中でそこまで大きくなれていない)
沈んだ気持ちをおくびにも出さず、ヴィンセントは尋ねた。
「オリアナは何処のを?」
「私はあんまりこだわりが無くって、色んなところの使ってます。というか、パパが色々と買ったり貰ったりしてくるので、使わないと家に山ほどの在庫が積まれてるんですよね」
オリアナが表情をころころと変える。先日、初めて中庭で声をかけられた時よりも、オリアナは沢山の表情を見せてくれるようになった。
(あの頃よりもずっと、心を許してくれている)
オリアナが自分の事を話すことも貴重だった。ヴィンセントに聞かせるために、あれやこれやと考える姿が可愛くて、ヴィンセントはゆっくりと頷いた。
「そうか」
「この間も、パパが新しい取引先からインクのサンプルを山ほど頂いてきたんですけど」
「ああ」
「インクだって知らずに容器を持ち上げた使用人が割っちゃって」
「ああ」
「クリーニングが開いてる時間だったんで大慌てで呼びに行ったんですけど、染み抜きする魔法使いが寝ぼけてたせいで、余計に染みが広がっちゃって、もう大笑い」
「そ――っ?!」
小さな口で楽しそうに話すオリアナを見つめていたヴィンセントは、突然何かに頭を掴まれた。
驚いて首を回すと、ソファの背もたれの後ろに、いつの間にかミゲルがいた。ヴィンセントの頭を片手で掴み、見下ろしている。
怪訝な顔でミゲルを見上げると、彼はヴィンセントの耳元に顔を寄せた。
「見過ぎ」
「!」
何を言われたか、瞬時に理解したヴィンセントはびくりと肩を揺らした。ヴィンセントが理解したことを悟ったミゲルが、口の端を上げる。
「んじゃよろしく。用事思い出したから、先に戻る」
「――わかった」
「ミゲル、またねー」
ヴィンセントは片手で顔を覆い、手を小さく振ってミゲルを送る。オリアナも手を振ると、ミゲルは一度こちらを振り返って手を振り、立ち去った。
多分、用事なんて嘘だろう。ヴィンセントがあまりにもオリアナへの恋慕を隠し切れていなかったせいで、忠告するために席を立ったのだ。
(これは、恥ずかしいな……)
友人からの警告と激励を受け取ったヴィンセントは、頬が火照っていなければいいなと願いつつ顔を上げた。
オリアナとの会話が途切れてしまったせいで、カイとルシアンの声が聞こえてくる。
「へー。俺の位置からだと見えなかったから、知らない」
「お前馬鹿だな! もったい無いことを! 断言できる。あれは絶対白だった」
既にヴィンセントとオリアナ以外とは、挨拶を済ませていたのだろう。話題も変わっているらしく、ルシアンとカイは熱弁を繰り広げている。
「何が白だったの?」
話に加わろうとしたオリアナがルシアンに聞くと、ルシアンは慌てふためいた。
「なっ――急に入ってくんなよ!」
「え。何でそんなに慌てるの?」
突如吠えたルシアンに、オリアナが引き気味に言った。
「俺は見てないから知らないけど、ルシアンは見たんだって。女子のパンツ」
俺は見てないから知らないけどね、とカイがもう一度繰り返す。なんとなく、話題に予想がついていたヴィンセントは、呆れた視線をルシアンに向ける。
完璧にドン引きしたオリアナが、ルシアンを指さした。
「いけ、コンスタンツェ」
「ぶん殴ってさし上げますですわ」
一切の感情を消した顔でオリアナが言うと、コンスタンツェが立ち上がった。
「やめろ! 怪力女! お前の一撃は本当にしゃれにならん!」
ドン引きした顔でルシアンが逃げるが、すぐにエッダに捕まる。
「なんだよ! そもそも、お前ら関係無いだろ!」
「女の子のパンツ見ておいて何が関係無いよ?!」
「うるせえ! 俺だって這いつくばって見たわけじゃねえよ! 風と階段が悪い! 俺のせいじゃねえ!」
「見なかったふりをするとか、こういうところで言わないとか、そういう配慮ぐらい出来るでしょう、がっ!」
たまりかねたハイデマリーが、エッダに捕まったままのルシアンの頭を拳で殴った。
「ってぇ――! カイが見えなかったって言うからしょうが無いだろ!」
「なら後でこっそり教えろよ」
「カイ……?」
「いや……まあ」
そういう問題じゃねえだろ、というハイデマリーの視線に耐えかねて、居心地悪そうにカイが視線を逸らす。
「ええい、うるせえうるせえ! 健全な男で、女子のパンツに興味ないやつなんかいるわけねえだろバーカ!」
やけっぱちで叫んだルシアンに、オリアナが真顔で返答する。
「いや、ヴィンセントは興味無いでしょ」
(えっ)
何故今、自分がこの話題を振られたのかもわからず、ヴィンセントは硬直した。ヴィンセントの暮らしていた世界には、こういった手の会話を、女子と話す習慣など無い。男とだって、ヴィンセントは話さない。
「無いよね?」
純粋に、ヴィンセントを信じ切っている、無垢な視線が注がれた。
ヴィンセントは無心で口を開く。
「う、はい」
「うはい?」
エッダからからくも逃れてきたルシアンが、固まっているヴィンセントの肩をぽんぽんと叩き、親指を立てる。
いい笑顔だったが、ヴィンセントは親指を立て返したくは無かった。
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