第77話 死に戻りの魔法学校生活 - 08 -


 マルセルは約束通り、父に言わずにいてくれていた。


 その後、二巡目と同じようにビーゼル家にネックレスを盗まれたことが発覚し、シャロンとの婚約は破棄された。


 だが、二巡目とは違い、ネックレスは一年以内に母の胸元に戻ってきた。エルシャ殿が上手くやったのだろう。



 さした問題も無く、ヴィンセントは健やかに育っていった。


 二度目の七歳の誕生日を迎えた日、ヴィンセントに一人部屋が与えられた。幼い弟や妹と一緒だった子ども部屋を出られたことに、ヴィンセントは安堵した。これからは一人の時間が増える。より一層、やりたいことや、入学前にやっておかねばならない研究が捗るに違いない。


 そしてその夜、ヴィンセントは父の書斎に向かった。


「お話ししたいことがあります」

「どうしたんだい。改まって。新しいポニーの催促か?」


 書斎でウィスキーを飲んでいた父は、息子の真剣な表情を見て眉毛をあげた。

 この時の父は、まだ三十代だった。十七歳の自分とよく似た父の顔を見るたびに、ヴィンセントは心持ち落ち着かなくなる。


「ショコラを持たせようか?」

「ではお願いします」


 父の気分をよくさせておいたほうがいいだろう。ヴィンセントは応接用のソファにちょこんと座り、使用人がショコラを持ってくるのを待った。


 十七歳のヴィンセントは、ショコラよりもコーヒーを好むようになっていたが、この体にはまだショコラが丁度良かった。

 渡されたショコラをそっと一口含むと、ヴィンセントは父に向き合った。


「僕は魔法学校に入学するつもりです」

「ああ、そうだね」

「一つ、僕から提案があります」

「なんだい?」

「僕は紫竜公爵家に恥じない成績を、魔法学校で修める予定です。父上が満足いく結果を持ち帰れた場合、僕の願いを一つ叶えてほしいんです」


 父は不可思議そうな顔をしてヴィンセントを見た。


「願いがあるなら今叶えてあげよう。何が欲しいんだい?」

「卒業後に、欲しいものが出来る予定です」

「君はそういう不確かなことを、言わない子だとばかり思っていたな」


 父の鋭い指摘に動揺が表に出そうだったヴィンセントは、ショコラのカップで口元を隠した。


「――そうだね、いいよ。ただし条件がある」


「なんでしょうか」


 つい喜びに声を弾ませたヴィンセントに、父が鋭い視線を向ける。


「今、君が叶えて欲しいと思っているその願いしか、僕は叶えない。この取り引きは、そういう類いのものであるべきだからね」


 父の条件に、ヴィンセントは「問題ありません」と大きく頷いた。息子の子どもらしい反応に、父は面白そうに頷く。


 父は、子どもの頃に抱いた願いなんてコロコロと変わると思っているのだろう。ヴィンセントはなんと思われてもかまわなかった。どうせ、この願いが変わることは無い。


「それで、僕の満足する結果とは、どの程度だい?」

「僕はまだ学校に入学したこともないので、正直ピンときません」


 幼いヴィンセントはプライマリースクールに通わずに、アマネセル国の多くの貴族子息と同様に、家庭教師チューターと毎日を過ごしていた。そのため、この時点ではまだ学校に馴染みが無いと言うべきである。


「父上が決めてくだされば、それを目標に頑張りたいと思います」


 下手な勘ぐりを避けるため、またこちらの持ち出した条件をつり上げられないためにも、ヴィンセントは父に任せることにした。


「そうか。では、わかりやすくいこう。学校には、年に二回大きな試験がある。五年生までの、計十回。全て一位を取っておいで」


 ヴィンセントは頬が引きつりそうなのを、必死に耐えた。


 父はラーゲン魔法学校の卒業生である。


 当時の成績を詳細には知らないが、父は不真面目な品行とは反対に、成績が優秀だったと聞いている。

 だが、二巡目のヴィンセントのほうが、更に優秀であったこともまた、聞いていた。


 その二巡目のヴィンセントでさえ、五年間で一位を取ったことは無い。


 目眩がしそうな条件だったが、ごねて「では論文で賞も取るように」なんて言われた日には、元の木阿弥だ。


「わかりました。精一杯励みます」


「そうしなさい」


 満足げに言った父は、ウィスキーの入ったグラスを傾けた。


「願いは書いておきなさい」

「わかりました。書いた紙は、マルセルに預けてもかまいませんか?」

「マルセルに?」


 自分が預かるつもりだったらしい父は一瞬悩んだが、すぐに鷹揚に頷いた。


「わかった。そのほうが確かに公平だろう。君が卒業するまで、僕は君の願いを邪魔できないからね――マルセルを呼んでくれ」


 部屋の隅に控えていた父の従者が、廊下に向かう。すぐに執事のマルセルが書斎にやってきた。


「お呼びと伺いました」

「ああ、呼んだ。これから僕は席を外すから、ヴィンセントから書状を受け取って欲しい。そしてこれから十年、火事があっても洪水が起きても――何があっても決して紛失しないよう、厳重に保管するように」

「承りました」


 父はヴィンセントにインク壺とペン、便せんの束、そして指から指輪を外して渡すと、書斎を出て行った。


 マルセルと二人で残されたヴィンセントは、ペンを手に取った。


 ヴィンセントの後ろに立ったマルセルは、物言わずじっと立っている。


「……聞かないのか」

「おや。以前も同じようなことをおっしゃっていましたね」


 ヴィンセントはじろりとマルセルをねめつけた。


「父に交渉を持ちかけた。僕が魔法学校で五年間一位をとり続ければ、望みを叶えてもらえる。望みの内容をここに記すから、お前に持っていて欲しい」


「かしこまりました」


 訳知り顔で微笑むマルセルに、ヴィンセントは八つ当たりしたくなるのを堪え、ペンにインクを付けた。


 しばし考え、一気に書き上げる。



――――――――――――――――――――――――


 ヴィンセント・タンザインは、

 オリアナ・エルシャをただ一人の妻とする。


――――――――――――――――――――――――


 婚約や、将来を共に、などという曖昧な言葉では、言葉尻を取られいいように解釈される恐れがあったため、ヴィンセントは想像を絶する恥ずかしさを堪え、望みを端的に記した。


 文字を覗き込んでいたマルセルが口を開く。


「女性の名前はぼかさなくても大丈夫ですか?」

「在学中に、結婚したい相手をすげ替えたりしない」


 怒りのままに言うと、インクが乾いたのを確認して、三つ折りにした。織り目に蝋を垂らし、父から受け取っていた指輪を蝋に押し当てる。

 父のシンボルを彫った指輪の印章シグネットリングで封蝋すると、マルセルに渡す。


「必ず、守り抜いて欲しい」


「しかと」


 マルセルは仰々しく両手で受け取ると、何よりも大事で、誇り高いものを手にしたかのように、静かに頭を下げた。




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