第73話 死に戻りの魔法学校生活 - 04 -


 結局オリアナは今日、リスティドと一言も個人的なことを話すこと無く、面会が終わってしまった。


 これほど呆気なく彼が逃げ出すとは思っていなかったオリアナは、拍子抜けする。


(あんなに、私が何を言っても駄目で……あんなに怖かったのに……)


 ヴィンセントが少し口を挟んだだけで、オリアナの手を握ることさえ無く逃げ去っていった。


 自分の立場の弱さを悔しく思うと同時に、ヴィンセントを頼って本当に良かったと安堵する。

 あの様子では、もうオリアナに関わろうとは思わないだろう。

 将来商人として巣立ちたいと思っている者が、アマネセル国八竜に喧嘩を売るのは、愚策中の愚策だ。


 リスティドがいなくなったのを見届けると、ヴィンセントは礼儀正しくオリアナから離れた。


 成り行きをぽかんと見守っていたオリアナは、ヴィンセントがドアを閉めたのを見てハッとした。


「あっあの」


「よかったな」


 手振りでヴィンセントが、面会室のソファをオリアナに勧めた。まだ少しなら、この部屋を使っていても問題無いだろうと思ったオリアナは、素直に従う。オリアナがソファに座ると、ヴィンセントもソファに腰掛けた。


「この度はありがとうございました。なんとお礼を言っていいか……」


 男性が傍にいるだけで、リスティドが威圧的な態度を取らないのでは無いかと思い、面会室に同行して貰ったのだが、まさかヴィンセントが恋人のふりまでするとは想像していなかった。


 あの親密な空気を見ていたのはリスティドだけなため、迷惑までは掛けないはずだ。リスティドが学校の外で何かしら言ったとしても、公爵家の嫡男と、商人の娘が、本当に恋仲だと思う人間はいない。

 ヴィンセントの悪評には繋がらないとは思えど、一言謝らずにはいられず、オリアナは深々と頭を下げた。


「変な嘘をつかせてしまったことも、心から申し訳なく思います。何から何までご迷惑をお掛けしまして……」


「迷惑なはずがない」


 しおしおと言ったオリアナに、またしてもヴィンセントが即答した。勢いのあるしっかりとした口調だ。


「また何かに悩まされることがあったら、これからはすぐに頼って来るといい。――これも、縁だから」


「はあ……」


(いや、そんなわけにはいかんでしょ)


 オリアナの心中が丸わかりだったのか、ヴィンセントは苦笑した。


「君に頼ってもらえて、嬉しかった」


 その声が、何故か夕焼けのよう温かく切なく、オリアナの心に染みた。


 まるで、心からそう思っているかのような声だった。


(タンザインさんとは、今日まで話したことも無かったのに……?)


 奇妙な違和感を訝しみながらも、さすがは紳士の鑑と言われる次期紫竜公爵だと思うことにした。社交辞令を真に受けることもあるまい。オリアナはしずしずと頭を下げた。


「そう言っていただけると、心が軽くなります」 


 顔を上げると、また苦笑を浮かべていた。


「もう彼は近付いて来ないだろう。あんな姿を見られた後じゃ、目的は達成できないだろうからね」

「目的とは?」

「君と結婚して、エルシャ家を継ぐこと」

「それはでも……こんなことをしない方が、私と結婚する可能性は高かったのに――」


 彼はただ大人しく、これまでの関係性を続けていけばよかっただけだ。卒業まで当たり障り無く接し、卒業後にオリアナに求婚期間を設ければよかった。


 父はそれを望んでいただろうし、オリアナも頑なに断ることは無かったはずだ。――彼の威圧的な一面を見るまでは。


 もちろん、こうなってしまえば先に本性を知れていて良かったと思うばかりである。あんな風に、オリアナの精神を支配しようとする男に一生庇護されるなんて、考えるだけでも寒気がした。


「へえ?」

 ヴィンセントが面白く無さそうに言った。


 考え事をしていたオリアナはハッとしてヴィンセントを見るが、そこには評判通りの穏やかな彼しかいなかった。


「なら、彼の中でこんなこと・・・・・をしなければならないほど、君と結婚出来る可能性は低くなっていたんだろう。心当たりは?」


「わかりません。――あ、でも最近、父が貴族の屋敷に顔を出せるようになったらしくて……そのせいかもしれません」


 アマネセル国貴族が主催する社交場は、同じ貴族ですら招待されなければ参加できない。

 一昔前に比べると、貴族と労働階級の間の垣根は低くなったとはいえ、わざわざ成り上がりの商人を個人的に招待する奇特な貴族は、これまでいなかった。


 だがこのところ、ようやく貴族から招待状を貰えたらしい。まだまだ肩身は狭いようだが、事業のために頑張っている父を、オリアナは長期休暇の間ずっと応援していた。


 とはいえ――たかが社交場に顔を出せている程度である。


 きっとリスティドは、オリアナに貴族の息子との縁談話でも出るのではないかと懸念しただろう。

 そんなもの、あるはずもないのに。


「……ああ、僕のせいか」


「え?」


 ぽつりと言ったヴィンセントの言葉の意味がわからず、オリアナは首を傾げた。


「いや。それより……褒美のこと、覚えているな?」


 にこにこと笑顔でヴィンセントに尋ねられ、オリアナは一瞬固まった。


(もちろん覚えていますとも)


 オリアナもヴィンセントと同じく、目をにこにことさせながら言った。


「はい、ヴィンセント様」


「商人の娘なら、契約は些末まで覚えておくべきだ。そうは思わないか? オリアナ」



 ヴィンセントが、にこにことこちらを見ている。


 オリアナは逃げられない。



「ええ、はい。もちろん、その通りです。ヴィンセント」


 観念して、オリアナは名前を呼び捨てた。こちらも名前を呼び捨てにされていることも、オリアナはしっかりと把握していた。


 オリアナが名前を呼ぶと、ヴィンセントは小さく何か呻き、ソファの背もたれに首を仰け反らせる。そして、オリアナに聞こえないほど小さな声で、呟いた。


「……ああ、――長かった」





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