第72話 死に戻りの魔法学校生活 - 03 -


 面会室に入ったヴィンセントによって、扉が中から閉められようとしている。すかさず、オリアナは大慌てで片足を突っ込んだ。右足の靴が、ドアに挟まれる。


「?! ――っこら、何を」


 大慌てでヴィンセントはドアを開けてくれたが、靴の中で足がじんじんとしていた。涙目になっているかもしれない。


 しかしオリアナは痛みに負けず、ヴィンセントを見上げた。


「私も、行きます」


 決意を込めて見つめたつもりだったが、睨み付けるような形になってしまった。


 ヴィンセントは一瞬なんとも言えない顔をしてオリアナを見ると、仕方なさそうにドアを開けた。


 ドアの隙間から、オリアナが素早く室内に滑り込む。前に出ようとしたオリアナを、ヴィンセントが腕を出して制す。オリアナを自分の体で隠すように、ヴィンセントが前に出た。


「やぁ、こんにちは」

「おやおや。お前の崇拝者を、こんなところまで連れてきたのかい? 気の毒なことをするもんじゃないよ、オリアナ」


 室内にいたリスティドは明らかに不愉快な顔をして、オリアナとヴィンセントを見比べた。待たせたことと、勝手に男子を連れてきたオリアナに苛立っているようだった。

 リスティドは二十代の男性だ。十歳近く年下の男の子を、当然のように軽視した態度を取る。


「俺はオリアナ……お前に会いに来ている。知っているだろう? デートなら今度してやりなさい。今は――」


「君が誰に会いに来ているかなど、たいした問題ではありません。僕が、君に話があるんです」


 その声は、ヴィンセントが魔法学校の一生徒としてではなく、次期紫竜公爵としてリスティドに向き合っているのだと、瞬時にわかるものだった。


 学生から放たれた一言に、リスティドは絶句している。オリアナはなんとか一歩だけ前に出た。


「ご紹介が遅れました。こちらは、リスティド・ヤールさん。父の仕事を手伝ってくださっている方です。そして――」


 ヴィンセントをなんと紹介すればいいのか、オリアナは迷ってヴィンセントを見上げてしまった。


(クラスも性別も違う。友達と呼んでいいのかもわからない)


 毅然とした様子でリスティドに対峙していたヴィンセントは、オリアナの視線を受け、笑顔を見せる。あのヴィンセント・タンザインから向けられた笑顔に、オリアナはぎょっとする。


(多分だけど、人間が直視していいものじゃない……!)


 至近距離の笑顔にドギマギとしているオリアナのすぐ隣で、ヴィンセントは涼しい顔をして言う。


「僕はヴィンセント・タンザイン。オリアナとは親しい関係です。父は紫竜公爵で、卒業後は、イリディス侯爵となります」


「ははっ。面白い冗談だ」


 リスティドは笑い、オリアナを見た。しかし、オリアナがリスティドに対し愛想笑いの一つも浮かべていないことに気付いたのか、さっと顔色を変える。


 面会室に連れてくるほど、オリアナが公爵位を継ぐ貴族と親密になっているなんて、想像もつかなかったのだろう。リスティドは顔を青ざめさせ、ぽかんとした顔でヴィンセントを見る。


「――まさか……本当に?」


「ええ、もちろん」


 唖然としていたリスティドは、瞬時に背筋を伸ばした。ある程度名が知られ始めたオリアナの父でさえ、公爵家の人間と会話が出来る機会など無いはずだ。

 父の弟子というだけのリスティドは縮み上がる。

 学校の中では生徒同士に身分の垣根は無いが、リスティドはラーゲン魔法学校の生徒ですら無い。


 先ほどリスティドの取った態度は、労働階級が公爵家の嫡男に向けていい態度では無かった。


 同じ階級として心配する程度には、リスティドに対して情がある。ハラハラとしていると、隣にいたヴィンセントがオリアナの手を掬い上げた。


(えっ……?)


 驚きに目を見張るオリアナの指先に、ヴィンセントがそっと口づけた。視線をオリアナの顔に向け、指先に唇を寄せたまま、口を開く。


「どうも最近、オリアナは何かに煩わされているようでして――家族同然のお付き合いをされているという君なら、彼女の憂いの原因に、心当たりでもあるのでは無いかと思ったんです」


 神妙な口調で言うと、ヴィンセントが顔を上げる。

 真っ赤になって自分の指先を見つめているオリアナを見て、ヴィンセントは一瞬驚いたような顔をした。


 そして、とろけそうに甘く笑う。

 本当に愛しい恋人に向けるような、柔らかな笑みだ。


「心配なんです――彼女は僕の、大切な人ですから」


 真正面からこんな言葉と、あんな笑顔を浴びてしまったオリアナは、全身を真っ赤に染め上げた。

 誰もが羨望の眼差しを向けるヴィンセント・タンザインに、これほど甘く微笑みかけられたともあれば、林檎のようになっても、致し方なさ過ぎる。


 オリアナは出来る限り平静を装って、リスティドの方を見た。


 彼は見るからに冷や汗をかいて、面会室をウロウロとしている。その足は、この部屋に一つしか無いドアに向かいたいようだった。

 しかし残念ながら、そのドアの前にはヴィンセントがいるために、通ることが出来ない。


「さ、さあ。オリアナに心配事があったなど……。私には何のことだか、さっぱり……」


「そうですか。なら、これ以上の話し合いは不要でしょう」


 オリアナの腰を抱き、ヴィンセントがドアの前からずれる。

 出口を見つけた逃亡者は、ほっと息を吐くと、オリアナに会いに来たことも忘れた様子で「それでは――」と、そそくさとドアに向かった。


「そうそう」


 リスティドがドアノブに手をかけた瞬間、のんびりとした声でヴィンセントが言う。


「もし、心当たりを見つけた場合、すぐに教えてください。それ相応に、対処させていただきますので」


「……今後閣下のお心を煩わせることが増えないことを、私も祈るばかりです」


「いえ、僕の・・心ではありません。おわかりいただけますね?」


「ええ……はい……。もちろんです」


「ご理解いただけて、何より。では、さようなら」


 あれほどオリアナに対して、粘着質に面会を求めていたリスティドは、僅かな名残惜しさも見せずに、面会室から退散した。




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