第53話 舞踏会に舞う夜の葉 - 01 -


「誰かコテ持ってない?」

「使い終わったから、私のを使ってもいいわよ」

「こっちのネックレスより、こっちのほうが良さそう?」

「どっちでも変わんないわ。それより――」

「そのショール素敵ね。ちょっと羽織らせて」

「ねえ! 私の香水どこにいったか知らない?!」

「自分のぐらい、ちゃんと管理しておきなさいよ」

「違うのよ。さっき――」

「ちょっと! コルセット締めすぎないで!」

「このくらいっ、締めなきゃっ……あのドレス、入んないわっよ! あんたが長期期間中に太りすぎたのが問題なんでっ……しょっ!」

「ぎえっ!」


 三つある女子寮は、どこの棟も上から下まで大騒ぎだ。

 オリアナらが暮らしている棟も、準備室に指定された談話室は阿鼻叫喚だった。


 この寮に暮らしているほぼ全ての五年生女子が、一堂に会している。

 ドレッサーがここにしか無いため、自分の順番になるまで、皆談話室で化粧以外の準備を進めしているのだ。


 女生徒達がひしめきあい、髪を結い合ったり、コルセットを締め合ったり、靴を履かせ合ったり、ドレスを着せ合ったりしている。

 決して広くは無い談話室に、香水や汗や化粧品の様々な匂いが混ざり、なんとも言えない空間になっていた。


 そう――本日は待ちに待った春の中月しがつの十三日、舞踏会である。




***




 ラーゲン魔法学校の生徒は、特例を除き、下は十三歳から上は十八歳まで。おしゃれに多大なる関心を寄せる時期だ。


 だが、少女達の準備の世話をするための人間は、ここにはいない。

 これまで、家にいるだけで商人が最新の商品を持って訪れ、メイドに身の回りの世話を任せていた女生徒達にとって、正装で身を飾ることは大層な努力を必要とした。


「これってファンデーションを塗った後? 前?」

「後!」

「ピンクとオレンジのチーク、どちらが合うと思う?」

「衣装見せて――ピンク!」

「唇がガサガサしてて、上手く口紅が塗れないの!」

「これ塗って、先に髪してて。後で行く!」

刷毛はけありがと。これご褒美」

「むぐん」

「オリアナ、眉毛剃って~!」

「ふぁーい」


 化粧のことに多少詳しいオリアナは、談話室の方々から呼ばれ、ドレスを身に纏っただけの状態であっちにうろうろ、こっちにうろうろとしていた。


 ネックラインを大きく開いたオフショルダーのドレスは、背中の編み上げ紐を留めていないため、先ほどからずるずると何度も落ちている。ここ数日、心身共にバタバタとしていたため、ドレスを作った時より幾分か痩せてしまったのだ。


(紐でよかった。あとでぎゅっとヤナに縛って貰おう)


 アズラクが出て行った日から、ヤナは泣くことは無かった。


 それどころか、他の生徒の誰一人ヤナの悲しみに気付かないほど、いつも通りだった。オリアナですら、あまりにも変わらないヤナの態度に、時折アズラクのことを忘れてしまうほどに。


 アズラクが自主退学したことは、大きな戸惑いもなく受け入れられていた。他の生徒に対して、アズラクが徹底して、ヤナの守護者としての態度を崩さなかったためだろう。彼は学友というよりも、ヤナの付属品として、認識されていた。


 そのため、多くの生徒にとって、試練が終わったのならそういう流れにもなるんだろうな――という感覚なのかもしれない。


 ヤナの後ろにアズラクがついて来ていない事に気付く度に、オリアナの胸は痛んだが、悲しみを表に出すような馬鹿な真似だけはしないように心がけている。


 毎日を懸命に生きていると、日々オリアナもアズラクのことを考える時間が減っていく。それが淋しくて、更に舞踏会への準備に没頭して日々を過ごした。


「このアイシャドウ、グラデーションにならない~! エルシャさん、助けて!」

「ふぇあい、ひょっと待ってね」


 先ほど、ご褒美にと詰め込まれてたクラッカーを、ごくんと飲み込む。水もないので口がパサパサだ。口の周りに付いたクラッカーの粉を指ですくいつつ、オリアナは後ろを振り向いた。


 ドレスが翻った拍子に、「ぎゃっ!」と悲鳴が聞こえる。そして、焦げ臭い匂い。


「あああ! エルシャさん、ごめんなさい!!」


 嫌な予感がした。オリアナは、恐る恐る振り向く。後ろには、片手に魔法道具のコテと、オリアナのドレスの紐を持った、顔面蒼白の学友がいた。


「コテを髪から離した時にエルシャさんが振り返って、ドレスの紐が……慌てちゃって、巻き込んじゃった……」


 オリアナも彼女と同じほど顔を青くしながら、まだ結んでいなかった紐を見た。艶やかだった紐は、熱が加わった部分だけチリチリになり、不格好な折り目がついている。そして、焦げていた。


 今から紐だけ、別の物に変えるなんてことは無理だ。


 あれだけ騒がしかった場がシンと静まりかえっている。静寂を打ち破ったのは、ヤナだった。


「お貸しくださる?」


 女生徒からオリアナの編み上げ紐を受け取ったヤナは、手慣れた様子でオリアナの背のループに紐を引っかけ、編み上げていく。途中でグッと紐を引き、胴を絞るため、オリアナは何度か呻いた。


「大丈夫。焦げが隠れる位置に持って行ったわ」

「ヤ、ヤナ~!!」


 涙目で感謝したのはオリアナだけでは無かった。紐をコテで焼いてしまった女生徒も涙を流さんばかりに喜んでいる。


「マハティーンさん、ありがとう。どうしようかと思ったわ」

「多少焦げ臭いけどいいアクセントよ。ばれないように、少し多めに香水振っておきましょ」


 オリアナに向けて、オリアナの香水をシュッシュとヤナが噴いた。そして、オリアナの胸の谷間と、足首にもヤナが直々に塗りたくる。


「な、なんでそんな場所に……」


 貴婦人は知らないが、淑女にはまだ許されていない領域な気がした。胸と足首から香る自分の匂いに、ただならぬ色気のようなものを感じ、オリアナは背徳感を覚える。


「覚えておくといいわ。エテ・カリマでは、女が勝負をする時はここに香水を塗るのよ」


 息を呑むほど美しい、砂漠の星が艶やかに笑う。


 一斉に、周りの女生徒達が香水瓶を持った。一瞬にして、談話室は悪臭の坩堝るつぼとなってしまったが、誰も文句を言える者はいなかった。



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