第40話 ドレスと恋と花束と - 06 -


 ミゲルと踊ってから、ヤナの周りは少し騒がしくなった。

 周囲は、二人が恋人のように見えたのだろう。日頃感情を表に出さないヤナの赤面を見れば、それも仕方が無い。


 そして、ヤナとミゲルの関係性が噂される上で、避けて通れなかった問題が、ヤナの試練である。


「――そこまで!」


 ラーゲン魔法学校の中庭で、二人の男が向き合っていた。その男達を、手を上げて制したのは、この決闘の立会人だ。立会人はいつも、信用のおけそうな人を見繕ってお願いしているらしい。今回の人も、いつも同様、次に会っても覚えて無さそうな平凡な男子だった。


 地面に膝をつき、荒い息を吐きながら、四年生の男子生徒がアズラクを見上げていた。木剣を持っていた右手は、すでに力が入らないようだ。今しがた、殴られたばかりの腹を押さえる左手は、微かに震えている。


「勝者、アズラク・ザレナ」


 立会人の声に野次馬にどよめきが広がった。

 そして、拍手と喝采が起こる。


 アズラクは六日間連日で決闘を挑まれていた。舞踏会前に、ヤナのパートナー権を手に入れたい男子らが詰め寄っているのだ。


 アズラクと男子生徒の勝負を一目見ようと、多くの生徒が集まっていた。アズラク達を中心に輪となり、人垣が出来ている。


「よくやったわ、アズラク。怪我は無い?」

「軽い打撲程度です。お気になさらず」


 試合を終えたアズラクにヤナが近付いていく。その所作は美しく、顔には隠しようのない誇らしさが滲み出ていた。


「では、お前を医務室に連れて行く名誉は、まだ私のものということね」


 微笑むヤナに、アズラクは苦笑を浮かべる。この程度の傷で、医務室に行きたくないのだろう。だがアズラクはもちろん、文句一つ言わない。

 同行するつもりがなかったオリアナは、ヤナ達を見送った。二人が連れ立って医務室へ行くと、オリアナは校舎へと向かう。



「オーリアナ。さっきの決闘、見てた?」

「マリーナ」


 校舎の手前の渡り廊下を歩いている時、同じクラスのマリーナがぴょんと飛び出してきた。ダンスレッスンを通じてかなり親しくなったマリーナとは、名前で呼び合う仲になっていた。


「砂漠の国の伝統なんですってね。びっくりしちゃった。男子の方では有名だったみたいだけど」


 マリーナは感心したように唸っている。秀才の彼女は、他国の伝統に興味をそそられたのかもしれない。


 これまで一部の生徒しか知らなかった、ヤナの試練。

 ヤナとミゲルの噂をきっかけに、試練の内容は全校生徒に広まっていた。一大ブームのように、挑戦者がアズラクのもとに、ひっきりなしに押し寄せている。


「あの二人、護衛と主人って雰囲気じゃないと思ってたら、お姫様と騎士だったのね」

「何か違うの?」

「あらあらあら。オリアナさんったら、わかってないんだから~」

 もったいぶった言い方をするマリーナに、オリアナは気をつけをして聞く姿勢を見せた。


「いいですか? オリアナさん。世のお姫様というのは、騎士に身も心も守られているものなんです。そう、相場が決まってるんです」

「はい」

「騎士は、姫への求婚者をちぎっては投げ、ちぎっては投げ」

「アズラクは挑戦者を投げはしたけど、ちぎっては無いよ」

「もののたとえです」

「はい」


「つまりアズラク・ザレナはヤナ・ノヴァ・マハティーンの純潔をも守り続ける――彼女を永遠に未婚のままにできる、唯一の人物ってことです」


「なる、ほど?」


「永久の愛を誓うよりも現実的で、情熱的で、ロマンス感じちゃうでしょう?」


 感じちゃうと、顔に出ちゃうのがオリアナである。


 オリアナは目を閉じ、感情を全て欠落させた表情を浮かべた。ひなたぼっこするタヌキのような、害の無い顔である。


「どうしたのオリアナ」

「諸事情で……」

「諸事情?」

「のっぴきならない事情で……」

「ほぼ同じ意味ね」


 オリアナは顔をむぎゅっと両手で潰した。


 友達に明かされていない、彼女の心には気付いてはいけない気がする。


「よんどころない事情がおありのようだから、話を変えてさし上げます」

「ありがたき幸せ」

「それで、オリアナは」

「うん」

「いつ誘うの?」

「誰を?」


 話は変わったが、何の話に変わったのかもわからないオリアナは、きょとんとマリーナを見た。


「タンザインさんだよ」

「……え、何に? 決闘に?」


 それは是非とも参加してほしくない案件である。アズラクを疑うわけでは無いが、万が一アズラクが負けてしまった場合、オリアナは涙で打ちひしがれる自信があった。


「話は変わったんだって! むしろこっちが本題で、オリアナに会いに来たの! いつペアに誘うの?」


 マリーナのだだ漏れた本音に、「またその話か」と一瞬顔を曇らせた。これまでにも散々、オリアナは他の生徒にこの話題を振られている。


 実際のところ、オリアナはペアのことを思い出したく無いのだ。


(だって全部、文句になる)


 この最終学年から行うこと全てを、オリアナはかつてヴィンスと恋人として過ごしている。


 これまでの、彼が横にいなかった人生とは違う。


 一度目の人生の時、この頃にはもう――ヴィンスは、オリアナの隣にいた。


 だから頻繁に思い出す。ヴィンスがペアに誘ってくれた日のことを。彼の声を、彼の顔を、彼の差し出す花束を、彼の頬の赤みを。


(だって仕方ないじゃん)


 感情をぐちゃぐちゃに傷つけられて、苦しくなる。


(今回は、好いてもらえなかったんだから。好かれないって、そういうことなんでしょ?)


 オリアナだけが特別じゃない。ヴィンセントに恋する全ての女生徒が、この苦しみを味わっている。オリアナも、そっち側になっただけ。


 こんなドロドロした気持ちのかけらも見せないように、オリアナはなんてことのない声色を作って言う。


「誘わないよ~」


「えっ?! 誘わないの?! なんで?!」


 いつもあれほどひっついているのに、と言わんばかりだとオリアナが思った瞬間に「いつもあんなにくっついてるのに!」とマリーナが叫んだ。


「誘うつもり無いもん」

「タンザインさん。女子のお誘いぜーんぶ断ってるらしいよ?」


 オリアナは顔を引きつらせた。

 そりゃ当然ヴィンセントのことだから、モテモテだろう。だがしかし、もしかしたら万が一、オリアナがヴィンセントと喧嘩した時に感じていた「近寄りがたさ」を理由に、誰も彼をペアにと誘えていないのではないだろうか……なんてことも考えてもいたのだ。


 だが、舞踏会は最上の舞台であり、最後の思い出作りの場だ。


 皆、これまでは遠巻きに見ているだけだった最高級の装飾品に、一度だけでもと、手を伸ばしてみても、おかしいことは無い。それこそ、ラーゲン魔法学校五年間のご褒美ですらある。


 だからきっと、マリーナはびっくりしているのだ。日頃から簡単にご褒美を摘まんでいたオリアナが、今回ばかりは話題にさえ上らせないのだから。


「みんな断られてるなら、なおさら誘えないじゃん」


 嫌がられるとわかっているのに、わざわざ傷つきにいくような真似はしたくない。


 今日が誕生日だったら、もしかしたらヴィンセントも受け入れを考えてくれたかも知れないが、残念ながら誕生日プレゼント権はちょっと前に使ってしまった。


「みんな断ってるのはオリアナのためじゃないの?」

「あはは」


 それが本当なら、ヴィンセントはもうオリアナを誘っているはずである。


(だって)


 ――前の人生では、彼から誘って来たのだから。


 誘ってこない、ということは、オリアナと行く意思はないということに他ならない。オリアナだけが、それを知っている。


 いや、でも、もしかしたら、よしんば、万が一、色恋関係無く信頼する友人としてオリアナを誘ってくれるかも――なんてほんの少し期待して待ってみたりもしたが……これ以上待つのも惨めに過ぎる。オリアナもそろそろ、きちんとパートナーを探すべきだ。


「私は誘われてもないし、ヴィンセントと舞踏会には行かないよ」

「そっかー……じゃあ、シャロンの方なのかな」

「ビーゼルさん?」


 マリーナの出した名前にドキリとする。

 それはオリアナがヴィンセントと喧嘩をしていた時に、常にヴィンセントの隣にいた女生徒の名前だ。


 オリアナがヴィンセントと仲直りをしてからは、また一クラスメイトのような距離感に戻っていた。

 少なくとも、オリアナの前ではヴィンセントに近付いてくることは無い。


「長期休み前に、シャロンが言ってたのよね。舞踏会にはタンザインさんと行く約束をしてるって。だいぶ先の話だったから、あまり信じてはいなかったんだけど……」


 オリアナは息を呑んだ。ヴィンセントが誰かとペアを組む場合、シャロンと組む確率が高いことはよくわかっていた。何しろ二人は幼い頃に婚約していたし、前の人生でも、二人がペアを組むのだろうと話題になっていたからだ。


(そっか……)


 ショックを受ける、自分にがっかりだ。オリアナはなんとか心を奮い立たせた。


「……だから他の子は断ってるのかもね」


「そうだったのかも。ごめんねオリアナ」


「いいの」とオリアナは笑ったつもりだったが、上手く笑えたかは自信が無かった。




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