第39話 ドレスと恋と花束と - 05 -
ダンスの練習をしていた生徒達が、ウィルントン先生に気付いて教室のドアを見る。
「この中に、このレッスンの代表の生徒はいますか?」
ウィルントン先生が神妙な顔つきで問うた。
壁に背をつけていたオリアナは背筋を伸ばす。
わざわざ先生が足を運ぶなど、何か問題が起きたのかもしれない。もしくは、教室の貸し出しの許可を求めた時以上に生徒が集まっているせいで、お咎めを受けるのだろうか。
どちらにしろ、言い出しっぺは自分だ。オリアナはウィルントン先生に近付いた。
「はい、ウィルントン先生。私がみんなを集めました」
「男子生徒に声をかけたのは僕です。教室の貸し出し許可も、僕が取りました」
オリアナをかばうように、ヴィンセントが前に出る。
「オリアナ・エルシャ……ヴィンセント・タンザイン……」
ウィルントン先生はオリアナ達を見て目を潤ませると、ハンカチを取り出し、目頭を押さえた。
「これほど多くの生徒が助けを求めていたことを、恥ずかしながら私はこれまで知りませんでした……」
オリアナはパチパチと瞬きをした。どうやら怒られる流れでは無さそうだ。
「こんな教室では満足にステップも出来ないはずです。私が講堂の使用許可を出しましょう」
ぎゅうぎゅう詰めの教室を見て、ウィルントン先生はきっぱりと言った。固唾を呑んで見守っていた生徒達から歓声が上がる。
「更に、舞踏会まで誰か一人教師についてもらえるよう、交渉してみます。私がずっとついていられればいいのですが……通常の授業の他に舞踏会の準備もあるので、つきっきりというわけにもいかず……」
「十分です。ウィルントン先生、ご協力に感謝します。ありがとうございます」
部活でも無いのに驚くほどの好条件だ。オリアナが両手を組んで感謝すると、ほっそりとしたウィルントン先生が「いいえ」と小さく頭を振る。
「感謝するのはこちらのほうです。本来ならば我々大人が、生徒の嘆願を受け止めてしかるべきでした――残念ながら今年はもう、舞踏会までにカリキュラムを組み直す時間がありません。しかし、来年からはより、生徒達の希望を取り入れると、私が保証します。貴方たちはもう……今年卒業ですがね」
何人もの生徒達を、何年もの間送り出してきた先生の瞳に、一瞬哀愁が漂った。けれどすぐにいつものウィルントン先生に戻ると、青白い顔にうっすらと笑みを浮かべる。
「さぁ皆さん。講堂に移動しましょう」
***
「ヤナがウィルントン先生を呼んできてくれたの?」
「いいえ、その逆よ」
広い講堂で、先ほどよりも悠々と生徒達はダンスの練習をしていた。オリアナとヤナは教室の隅に椅子を移動させ、腰掛けて練習を見ている。
「オリアナが面白そうなことを始めたって聞いたから、見に行こうとしたらウィルントン先生に捕まってしまって……貴方の始めたことが、何処まで教師の許可を取っているか定かじゃなかったから、一応撒いておこうと思ったの。でも、通りかかったミゲルが連れて行った方がいい、って言い出して……」
「はぁ……いつもいつも、フェルベイラさんちのご長男さんには、本当に頭が上がりませんなあ……」
「本当にねえ」
感心して言えば、ヤナも同じような声色で答えた。
「よく見ているわね。人も動きも――彼を国に連れて帰ることが出来れば、王はさぞお喜びになるはず」
ヤナの言葉に、オリアナはぎょっとした。そばに立っているアズラクも、目を見開いてヤナを見ている。
(ひ、引き抜きだっ――!!)
大変な言葉を耳にしてしまった。ミゲルは将来、ヒドランジア伯爵位を継ぐ。伯爵含む貴族は皆、アマネセル国の貴族院に議席を有し、領地の管理や政を司る役目を持つ。
「ちょちょちょ、待って。ミゲルはアマネセルにも必要だから。絶対要るから。むしろヴィンセントの隣に要るから」
貴族としても必要だが、一番の本音はそれだった。友人らしい友人がミゲルしかいないヴィンセントから、ミゲルを取り上げないでやってほしい。
慌てるオリアナが面白かったのか、ヤナはコロコロと笑ったが、いつものように「冗談よ」とは言わない。
講堂で女生徒に囲まれているミゲルを見ている。
「ダンスはワルツだったかしら?」
「うん。舞踏会で踊るのはワルツだけ」
そう、と言ってヤナは席を立った。
「せっかくだから私も、大人気の先生に手ほどきを受けてこようかしら」
「ヤヤヤヤヤナ?!」
オリアナが真意を聞く暇もなく、小鳥のような軽やかな足取りで、ヤナは人の波を抜けていった。
ミゲルのもとまで辿り着くと、ミゲルを囲んでいた人垣が割ける。ミゲルと一言二言話をすると、ヤナとミゲルはともに数歩前に出た。
ミゲルがホールドを取る。しなやかにヤナが寄り添った。ヤナの背が、ゆるやかに傾き、ミゲルの右腕にしなだれる。
そして、呼吸をし出すかのように自然に、二人が一歩を踏み出した。
一瞬で、その場の全員の注目を集めていた。二人とも、人に見られることに何の躊躇も戸惑いも無いようで、堂々とステップを踏んでいる。
お似合いだった。
高貴な身の上も、美しさも、気高さ何もかも、二人は釣り合いが取れていた。
見惚れていたオリアナは、ハッとしてアズラクを見た。アズラクは、眩しいものを見るような目で、二人を見つめている。
かける言葉が見つからず、またかけていいとも思えず、オリアナは踊る二人に視線を戻した。ミゲルがヤナの耳元に口を寄せていて、何かを言って笑わせているようだ。
踊る二人がくるりと反転し、ヤナの表情がオリアナから見えるようになる。
――ヤナは、顔を真っ赤にしていた。
あんなに赤らんだヤナの顔を見るのは、初めてだった。
(ミゲルは、何を言ったの?)
ガタリと音が鳴り、オリアナは横を見た。直立したままヤナを警護していたアズラクが、その場を離れようとしていたのだ。
「あっ……」
「エルシャ、すまない。少し用を思い出した。ヤナ様に何かあれば、廊下にいるので知らせてほしい」
「……うん、わかった」
学校の中で、ヤナとアズラクは四六時中一緒にいるわけじゃない。アズラクが離れることも普通にあることだ。
(でもアズラク……嘘が下手だよ。思い出した用事は、そんなすぐそばの廊下で、出来ることなの?)
オリアナはぎゅっと胸を押さえた。アズラクの気持ちが、痛いほどにわかった。
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