第28話 見通しの悪い恋 - 05 -


「……ヴィンセントは」


 しばらく膝を抱いていたオリアナは、ゆるゆると姿勢を正した。


「……前の貴方と今の貴方が別の人だと思ってるの? だから、あんなこと言ったの? 私が貴方を通して、ヴィンスを見てると思ってるから?」


「……ああ」


(相づちを打つ度に、思い出す)


 オリアナが「ああ」と言う、ヴィンセントの言葉が好きだと言ったことを。

 あの時、体中が痺れそうなほど、嬉しかったことを。


「ああ」なんて相づち、癖のようなものだ。ヴィンスも言ったのかもしれない。


 けれどあの時――多分初めて――オリアナはヴィンセント・・・・・・を見たのだ。


「……出会ったかたちや順番が違うだけで、ヴィンスはヴィンセントだよ」


「君の口ぶりからすると、とてもそうは思えない」


 自分でもわかるほどにその声は拗ねていて、ヴィンセントは恥ずかしくなった。


「でも……私は、貴方のことも好きなんだよ」


「ああ、そう。それはどうもありがとう。とっても嬉しいね」


 皮肉に聞こえるよう、精一杯虚勢を張って言い、ヴィンセントは顔を伏せた。


(この世界のどこに、好きな女に「貴方のこと好き」だなんて言われて、喜ぶ男がいると思うんだ)


 心では悪態をついているのに、顔は正直だった。二の腕で、顔を隠す。


(くそっ)


 たった一言で、ここずっと溜まっていた心の淀みが消えていく。


 ヴィンスを好きな彼女が、もしかしたら自分のことも好きになってくれる未来があるんじゃないかと――そんな風に頑張ってもいいんじゃないかと、期待してしまう。


「ヴィンセント」

「なんだ」

「違う人を重ねられるのは、いい気分じゃなかったと思う。私の態度がそう思わせてたなら、これからは気をつける。だから……」


 オリアナの声に引き寄せられるように、ヴィンセントはオリアナの顔を見た。頬も唇も、美味しそうな程に赤かった。


「だから、仲直り、しよう……?」


 オリアナの震えた声が、ヴィンセントの胸を叩く。


 大きな瞳が、また潤み始める。


(何故ヴィンスが、覚悟を決めて彼女と恋人になったのか、今はっきりとわかった)


 元が自分と同じなら、気まぐれにオリアナに手を出したなんてことは無い。

 男と違い、女性の評判が落ちるのは容易く、取り返しがつかない。


 ということは、ヴィンスはオリアナとの将来まで視野に入れて、恋人になったに違いない。


 正直、これまでそこのところを上手く呑み込めていなかった。ヴィンセントには、抱える物が多すぎた。


 土地、領民、家族の期待、血統――その全てとどう折り合いをつけて、ヴィンスが彼女を恋人にしたのか、よくわかっていなかった。


(だけどオリアナはきっと、僕を埋める・・・。僕に足りないことを、埋めてくれる)


 だからヴィンスは決断したのだ。


(他人に全てを求められる僕が、唯一、自分から求めるものを、彼女に決めた)


 抱きしめたくて仕方が無かった。だけどまだ、その権利は、自分には無い。


 眉間に深く皺を寄せ、ヴィンセントは項垂れる。


「……僕から言うべき言葉だった。君に言わせた。すまない」

「喧嘩のことを、ごめんね、って意味?」

「そう、取れなくもない……」

「じゃあ、元に戻れる?」

「元には戻りたくない」


 オリアナがショックを受けた顔をする。


「言ったとおり、もう君に守られたく無い。僕の死に関係することにも、関わってほしくない。それと、好きだとも、やはりまだ言われたくない」


 何もヴィンセントの主張が変わっていないことがわかると、オリアナはむっとしたように口をへの字にした。


「……じゃあ、なんでごめんねって言ったの」


 謝るということは、反省したからだ。反省したということは、言っていたことを取り下げるという意味ではないのかという思いが、オリアナのじっとりとした目から伝わってくる。


 だがヴィンセントは、言ったことを曲げるつもりは無かった。


 すい、と顔を動かして、視線をそらす。


「――僕が謝るべきだったと言ったのは、君の誤解を否定しなかったからだ」


「何の?」


「……傍にいるなとは、言っていない」


 小さな反抗心だった。

 それがここまで、事態をややこしくした。


 だからヴィンセントは素直に言った。こんなに真っ直ぐな言葉を言うのは、慣れていなかった。自分の顔に血が集まっていくのがわかった。熱くて仕方が無い。


 いつまでたっても、オリアナは何も言わなかった。不審に思い、ヴィンセントが顔を上げる。


 オリアナはじっと、ヴィンセントを見ていた。真っ赤な顔をして、目を潤ませて、体中の力が抜けたような、柔らかくも甘い笑顔を浮かべて。


「……ありがとうっ。ヴィンセント!」


「っ――」


 ヴィンセントは咄嗟に顔を逸らした。直視できるはずも無い。喉を生唾が通る。


(くそっ……たまらなく、オリアナにキスがしたい)


 抱き寄せて、キスをしたかった。髪に手を入れ、彼女の香りを嗅いでみたい。


 いつの間にか息を止めていたことに気付いて、気付かれないようにそっと吐き出した。浅く呼吸を繰り返し、オリアナに視線を戻す。


 オリアナを見た瞬間、跳ね回っていた気持ちが、落ち着きをみせた。


 彼女はソファの肘掛けにもたれかかるようにして、体を預けている。


「……どうした?」


「なんか、ほっとしたのか……体が、だるくて」


 その声は微かに震えていた。ヴィンセントは慌てて立ち上がり、オリアナの体を支える。


「触れるぞ」


 一声かけると、オリアナがこくんと頷く。手のひらをそっと、彼女の額に当てた。


「熱い。君、熱があるじゃないか」

「そうだったんだ……朝からなんか、ちょっと変だなとは思ってて」


 額は熱く、汗ばんでいた。呼吸は浅く、呼気も熱く、首元が汗に濡れ、髪が張り付いている。目が潤んでいたのも、唇や頬が赤かったのも、熱のせいだったのだろう。


 十六歳の男子としての健康な情欲を隅に追いやり、ヴィンセントはオリアナに尋ねる。


「立てるか? 医務室に行こう」

「ちょっと……今は無理かも。もう少し落ち着いたら、行く」


 だから、ヴィンセントは先に帰っててもいいよ。

 掠れた声が続けた。


 ヴィンセントはかなりイラッとした。オリアナは、こんな風になっている人間を、ヴィンセントが置いて行くのだと思っている。


(いやそれも、僕の接し方のせいだ……)


 置いて行くはずが無いのに。

 ヴィンセントはオリアナの傍に膝をついた。ローブを脱ぎ、オリアナのスカートの上にかける。


「なるべく触れないようにする」


「へ?」


 ヴィンセントはローブでオリアナの足を包むと、膝の裏の手を入れた。背中にも手を回し、ぐいっとソファからオリアナを持ち上げた。



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