第27話 見通しの悪い恋 - 04 -
先ほどまで、むしゃくしゃして仕方が無かったのに、嘘のように心が満たされていた。
この空間には、オリアナとヴィンセント、二人しかいない。
もしかしたら、ずっと眠った振りをして、オリアナがこの談話室に入ってくるのを待っていたのは、自分は無害だと主張したかったのかもしれないと、唐突に思った。
(いや違う。そんなはずは無い。害があったのは、オリアナの方だ。いつも抱きついてきたり、思わせぶりなことを言ったり……。だから、一人になりたくて、ここにいた)
オリアナを見る。彼女は一人がけのソファの肘置きに手を置いて、ぼんやりと自分の膝を眺めていた。どうしていいのか迷っているような、迷子の子どものような表情だ。
(僕は気にならないが……このままでは、オリアナは気まずいだろう。何か話したいけど、気の利いた言葉が出てこない。何故泣いていたのか、聞いていいのかもわからないし……)
一遍にきまりが悪くなってしまった。
傷つけたくない相手に優しさを与えるのがどれほど難しいことなのか、ヴィンセントはようやく気付いた。
(聞きたいことなら山ほどある……ミゲルと何を話していたんだとか、ターキーとは親しいのかとか……最近、困ったことは起きていないかとか……)
だがどれも、今話すのは適切な話題ではないだろう。
あれでも無いこれでも無いと考えを巡らせた後、ヴィンセントは乾いた唇を舌で舐め、緊張から掠れた声で言った。
「……薬草畑で」
「へぇあっ」
突然話しかけたヴィンセントに驚いたのだろう。オリアナがソファが揺れるほどびくりとした。
一瞬で、心がくじけそうになる。だが、まだうっすらと残っていた勇気を引っ張り出してきて、ヴィンセントは続けた。
「以前、魔法薬学の授業中に、出土した物があっただろう」
「あ、うん。ヴィンセントが見つけたやつ」
(僕が発見したと、知っているのか)
きっと喧嘩をする前だったら、それほど気にならなかった。だが今は、そのことをオリアナが知ってくれていたのが、嬉しくて誇らしかった。
「あれは竜では無かったようだ」
「そうなんだ」
「ユニコーンの角の一部じゃないかと聞いた。生え替わりの時期に、ちょうどこのあたりに来ていたんだろう」
人間の前に滅多に姿を現さない魔法生物は、竜木を好む。ふとした折りに、人間に見られないように立ち寄っているようだった。竜木の近くには、魔法生物の落としていく毛や糞が偶に落ちていることもあった。
「そっか……見たかったな。ユニコーン」
「僕はごめんだけどね」
神聖な魔法生物であるユニコーンは、知性が高い故に気難しく、男に懐くことはほぼ無い。女性、それも処女にしか気を許さず、男が触ろうとすれば、額に映えた鋭い角で刺してくる。
「まだ死ねない」
(来年の春を生き延びて、オリアナを安心させるまでは、死ねない)
言葉の響きから何かを感じ取ったのか、オリアナはぽかんとしてヴィンセントを見た後、自分の手元に視線を戻した。頬がほんのりと赤みを帯びている。
会話が途切れてしまった。軽い話をしようとしていたのに、不用意なことを言ってしまったと、ヴィンセントは後悔する。
次はどう話しかけようかと頭を悩ませていると、小さなしゃっくりのような声が聞こえた。
何気なくヴィンセントが視線をオリアナに向ければ、青い空色の瞳からぼろぼろと涙が流れていた。頬を伝い、顎からこぼれ落ちる。握りしめた両手は、指先が白くなるほど強く力が込められている。
唇は固く結ばれ、嗚咽を堪えようとしているのがわかる。ヴィンセントは咄嗟に腰を浮かし――もう一度腰掛けた。
参っていた。完全にお手上げだった。
自分の失態で泣いているのはわかる。だが、なんと言えばいいのかわからなかった。何を言うべきかも。
自分は死なないから安心しろ? そんな言葉、一番信用できないのは、オリアナだろう。
世界中の全ての人が信じても、オリアナがその言葉を信じることは無い。
(これほど真剣に、彼女の前の人生を自分は信じているんだな……)
信じているつもりだった。正確に言えばきっと、信じようとしていた。彼女の初めての「お願い」だったからだ。
だが、心の底から信じていたのかと問われれば、頷くことが出来なかったかもしれない。
「なん、で……」
涙の隙間から、オリアナの声がこぼれる。
ヴィンセントはハッとして彼女を見た。
「信じてくれるの? なんでヴィンセントは、いつも、そんなに優しいの?」
体中の熱が、一気に失われていく感覚を初めて味わった。
ヴィンセントは背もたれに寄りかかり、目を閉じた。体の内を駆け巡る激情を堪えようと必死だった。
(いつも……? いつもだって?)
これほど勇気を振り絞って、傍にいたのに。嫌われないかと怯えながら、ようやく優しくできたのに。
これほど真剣に誰かのことに悩み、考え、行動したのは、後にも先にもこれ一度きりだ。
ヴィンセントがオリアナに優しくしたのは、初めてだ。
――なのに。
「君の言う
これまで一人きりで頑張っていた彼女を責めたくないと、ずっと我慢していた言葉が出てしまった。
「君が優しいと思い込んでいるのは、前の人生で君の恋人だった、ヴィンスだ」
(君が好きだと言っている相手も、僕じゃない。僕はただの、ヴィンスの身代わりだ)
「君が望んでいる、ヴィンスはどこにもいない」
「……やめて」
「この世界には、最初から、どこにもいない!」
「やめて!」
オリアナが叫んだ。血を吐きそうなほどの、悲痛な声だった。
膝を抱き、小さくなって丸まる。あまりにも痛ましい姿に、ヴィンセントは歯を噛みしめた。自分で追い詰めたくせに、抱き寄せて、撫でたかった。できる限りの優しさで包んでやりたかった。
だけど、出来るはずも無い。オリアナがそうして貰いたいのはただ一人、ヴィンスだけなのだ。
(知っていたはずなのに、突きつけられるとこんなに辛い)
我慢していた思いを告げたというのに、あるのは爽快感では無く、後悔ばかりだった。
(言わなければ良かった)
これほど苦しいなんて、想像もしていなかった。オリアナを傷つけたことの苦しみ。オリアナが愛していたのは本当に自分じゃなかったという苦しみ。そして――
(まさか、僕がオリアナを好きになっていたなんて)
こんな時に、気付かなくてもいいじゃないか。
苦しくて仕方が無かった。
オリアナは、ヴィンスが好きなのだ。
ヴィンスは優しい人間だったんだろう。入学式で会った、すげなくするヴィンセントに、オリアナはどれほど落胆しただろうか。
オリアナはヴィンスから受けた優しさを糧に、ヴィンセントに付き合っていたに過ぎない。
(オリアナがずっと愛していたのは、彼女に優しくしてやらなかった僕じゃなくてその男だ)
ヴィンスと比較されれば、悪いところばかりが目立つだろう。きっと彼との思い出は、素敵なものばかりが残っているはずだ。
一生、勝てる相手では無い。
(けれど絶対に、ヴィンスのようには、振る舞いたくない。――今、オリアナと対峙しているのは、ヴィンスじゃない。僕だ)
傷つけたことへの申し訳なさと、慰めてやりたい愛情と、ヴィンスへの嫉妬心がない交ぜになる。
どんなふうにオリアナの名前を呼んで触れたかなんて、見当もつかない。ついたところで、真似してやるつもりもない。
どれだけ彼女が求めても、ヴィンスらしい優しさは、絶対に与えてやるつもりは無かった。
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