第23話 掛け違った想いの在処 - 05 -
夕焼けが差し込む自室の隅から隅へ、ヴィンセントはうろうろと歩き回っていた。胸にわだかまる、悶々とした気持ちを持て余している。
ドアが開く。ノックもなく開けるのは、この二人部屋に住む、ヴィンセントのルームメイトしかいなかった。
「……随分と、ご機嫌だな」
「そうな」
晴れやかな顔をして帰ってきたミゲルに、ヴィンセントは苦虫をかみつぶしたような顔をした。
ヴィンセントが自習室に行った時、オリアナがいたのは知っていた。あの時間にオリアナが自習室にいることを知っていて、入ったのだから当然だ。
オリアナは頻繁にヴィンセントにまとわりついていたが、勉強を疎かにすることは無かった。
そういうところを好ましく思っていたヴィンセントだったが、オリアナのそういった努力は全て、ヴィンセントを殺さないための努力だと知った今では、罪悪感と、少しの疎外感に、胸にずしりと石を詰め込まれたような気持ちになる。
「ここ最近では一番楽しかったかな。小うるさい雌鶏もいなかったし」
ミゲルはローブを脱ぐと、ハンガーに掛けた。
ここ最近、ヴィンセントに親しげな態度を見せるシャロン・ビーゼルのことを言っているのだろう。
「僕だって、好きで話しかけられているわけじゃない」
彼女とは、親戚同士という接点の他に、少しばかり因縁がある。
外部に知られていないほどのほんの一時期ではあるが、親の意向でシャロンと婚約めいた期間を置いていた。そのため、他の生徒よりは幾分、親しい距離を許さなければならないのも事実だった。
紳士は理由も無く淑女に恥をかかせてはいけないと、ヴィンセントは幼い頃から徹底して教え込まれている。
「くちばしを閉じる方法を知っている者がいれば、喜んで頭を下げるさ」
「そうそう。そういうもんだったよな。ヴィンセントは。どんだけうるさくても、ある程度は我慢する」
ドキッとさせられた。
ミゲルが、何故オリアナと喧嘩をするような羽目になったんだと、言っていることに気付いたからだ。
ヴィンセントは、人生で喧嘩というものを初めてした。
仲直りの仕方なんか、知るはずも無い。
オリアナがいつも座っていた席にシャロンが座った時、そして、それを見てもオリアナが何も言わずに他の生徒の元へ行った時――ヴィンセントは取り返しの付かないことになったと気付いた。
漠然と、いずれ戻ってくると思っていたオリアナが、もうこの席に座ることは無いかもしれないと思ったのだ。
そして、その予感は当たっていた。
オリアナはヴィンセント以外の友人と接すようになり、ヴィンセントを避けるようにすらなっていた。
オリアナが折れ、隣に座ってくれた時に、きちんと対応すべきだったと気付いても、後の祭りだ。
どうしても上手く話せる気がしなくて、無視したのはヴィンセントだ。
そんな稚拙な反抗心から、オリアナを失ってしまった。
幼い頃から、「感情に流されてはいけない」と
(幼い頃は馬鹿にして聞き流していたが……年を重ねるごとに、大人が言っていた一言一言が身に染みる)
普段は御せている感情に支配され、失いたくなかったものを失った。馬鹿すぎて、哀れみさえ覚えない。
他の人には寛容に接することが出来るのに、ヴィンセントは何故かオリアナにだけは、上手く対応することができない。
「……エルシャに何か言われたのか? 仲を取り持ってほしい、とか」
ミゲルはこれまで、自分とオリアナの不仲に気付いていても、一度も言及することは無かった。突然こんな風に切り込んで来たということは、オリアナから何か言われたのだろう。
本当は、もっと他にも沢山のことを知りたかった。
(元気はあったのか? 淋しそうでは無かったか? 今、僕のように……辛くはないか?)
けれど、そのどれもを、オリアナ自身から聞きたかった。特にミゲルからは、絶対に聞きたくない。
「いいや。取り持ってやるとまで言ったんだけどねー」
(それなのに……オリアナは頼まなかったのか?)
自分勝手にも、ヴィンセントはかなり落ち込んだ。
(オリアナはやはり、元々……それほど、僕の傍にいたかったわけじゃないんだろう)
ヴィンセントを求めるふりをして、実質よく考えれば、ヴィンセントがギリギリ怒らないところまでしか踏み込んで来ることはなかった。
ヴィンセントが怒る危険を冒してまで、何かを強くヴィンセントに求めてきたことは無かった――健康の診査を受けろと、言うまでは。
彼女が本気で求めていたのは、ヴィンセントの安全のみ。
椅子を引き、ドカッと座った。窓枠に肘をついて、外をぼんやりと眺める。
医者の診査を渡したヴィンセントは、「もう守ってくれるな」とオリアナに伝えた。
女の子に守って貰わなければならないほど、軟弱だと思われているなんて、我慢出来るはずもなかった。ヴィンセントには、その高貴な位と同じほど高いプライドがある。
そして、オリアナが一番気にしていた「ヴィンセントの死」に、もう関与するなと伝えた。
診査の結果を見て安心したこともあるし、定期的に診査を受ければ、更にオリアナは安心するだろうと思った。彼女が安心するのなら、一日二日拘束されようが、体に意味のわからない針を刺されようが、一切気にならなかった。
だがもし――オリアナの見立てが違い、死因が病死でなければ、他殺ということになる。
その時、何かを探っている風なオリアナがいれば、犯人を刺激することになるだろう。オリアナまで危険に晒されるかもしれない。それだけは、絶対に阻止しなければならない。
(そう考えると……傍にいないのは、逆に安心なのかもしれない。僕の死に、巻き込まずに済む。彼女も、もし
安心するべきなのに、また苛々とするような得たいの知れない感情が胸に広がる。
彼女の巻き戻りの話を聞いてからというものの、
ヴィンセントの傍にいるための、嘘だと言うことは察していた。彼女が好いているのは、ヴィンセントが知らない――今後、知ることもあり得ない――ヴィンスなのだから。
そんな、気にする価値も無いような他愛ない嘘で傷つけられ続けていることが不可解で――とにかく、あと一度だって聞きたく無かった。
ともあれ、ヴィンセントが伝えたのはそれだけだ。
ヴィンセントを守るのは止めてくれ。
死に関する心配を止めてくれ。
好きというのを止めてくれ。
止めてほしかったのはこの三つ。
なのにオリアナは――
『……傍にいちゃ駄目ってこと?』
ヴィンセントは「傍にいてはいけない」なんて、一度も言ってもいない。「傍に来るな」なんて、口が裂けても言わない。
言外に、その三つが出来ないのなら、ヴィンセントの傍にいる意味もないと、オリアナは言ったのだ。
思い出すだけで、悔しかった。これほどの悔しさを人生で感じたことは一度も無かった。
(あれほど好きだなんだと言っていたのに、オリアナは僕自身には、かけらほどの興味も、好意も無かった)
苛ついて、髪の毛をかき乱した。ぼさぼさになったヴィンセントの髪とは対照的に、綺麗に編み込まれた赤毛が視界に入ってくる。
「見ろよ。可愛いだろ。結んで貰った」
「見ていた」
ヴィンセントはむすっとして答えた。わざわざ自慢しに来なくとも、自習室の窓からずっと二人を見ていた。
「知っていたんだろう」
「うーん、まぁ。だいぶ」
ご丁寧に、自習室の方に顔を向けて座り、楽しそうな姿をずっと見せつけてくれていた。オリアナは気付いていなかったようだが、ミゲルはヴィンセントが目を離せないと知りながら、オリアナにあれこれとさせていたのだ。
「じゃあ、愛してるって言って貰ったのも聞こえてた?」
「はあ??」
ヴィンセントは思わずミゲルに視線をやった。ミゲルの顔がにやけている。こちらの反応を見たいがために、嘘をついたのかもしれない。いやこんな、わかりやすい嘘つかないだろう。
ということは、本当に?
「……はあ??」
もう一度声が出た。随分と、情けない声だった。
(オリアナが……ミゲルに? 愛してると? 僕にさえ、言わなかったくせに?)
意味がわからずにフリーズした。次にヴィンセントが口を開くまで、ミゲルはただ飴を舐めて待っていた。
「……伯爵家はどうするんだ。長男だろう? 商家と結婚しなければならないほど、困窮しているという話も聞かないし……エルシャは平民だぞ。娶るなんて無理だろう」
「いやそれこそ、俺が『はあ?』だよ。なんで俺がオリアナと結婚する話まで飛躍すんの」
ヴィンセントは言葉を詰まらせた。焦りのあまり、いらないことを話してしまった。日頃、自分が悩んでいた種を暴露してしまっただけだ。
(あまりにオリアナが、好きだ好きだと言うから)
だから、彼女との道がどこかにあるのでは無いかと、そんなことばかりを考えていた時期が、ヴィンセントにはあったのだ。
「大体それこそ、ヴィンセントはあーだこーだ言う権利無いだろ」
その通り過ぎて、ヴィンセントは窓枠にもたれかかった。必死に自分を救おうとしてくれていたオリアナには悪いが……もう死にたい。何から何まで、上手くいかない。
こんなに派手な喧嘩をするつもりは無かった。オリアナと離れるつもりも無かった。ただ冷静になるまで、彼女と距離を置きたかった。少し距離を置いても、すぐに元に戻れると高をくくっていた。
彼女と元の世界で付き合っていたのは、自分では無いと突きつけられたくせに、その心地から抜けられていなかった。
「……エルシャは、本気で言ったのか?」
「オリアナがもし本気で言ったなら、他人に言ったりするほど、俺も甲斐性なしじゃねえよ」
「……」
その通りだ。
もう、本当に一度、地面に埋まりたい。
「わかってる? ヴィンセント。お前今、大分面倒くさい男になってんの」
「……わかってる」
(そして絶望している)
ヴィンセントは顔を覆った。もう何も言いたくないし、何も見たくないし、何も考えたくない。
「ヴィンセントがここまで面倒くさくなるとは思ってなかったわ」
「こう言ってはなんだが、僕もだ」
自分の気持ちをコントロールすることも、正しい選択をすることも、得意なつもりでいたのに――何故、オリアナに関してだけ、こうも上手くいかないのか。
「でもさー、俺。三人でいるの、結構好きだったんだよね」
ミゲルが、咥えていたスティックキャンディを手に取った。夕日の光が飴に透けて、キラキラと光る。飴の部分は、もう随分小さくなっていた。
(そんなの、僕だって同じだ)
ヴィンセントは窓を見た。
夕暮れのベンチは、ぽつんと静かにそこにあった。
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