第13話 真っ直ぐな道の上 - 01 -


 ヴィンセント・タンザインにとって、オリアナ・エルシャは、真っ直ぐな道の上に咲く、不可解な、そして避けようのない花だった。




***




「……いない」


 種ノ日げつようの登校時間。

 いつもなら、この時間には本校舎前にいる人影を探し、ヴィンセントはきょろりと周りを見た。


 彼の様子を見て、隣に立つミゲルがにやにやと口に笑みを広げている。咥えているスティックキャンディの棒が、ミゲルが笑う度にぶらぶらと揺れる。

 気に食わない表情を見てしまったヴィンセントは、ふいと顔を背けた。


「子犬ちゃん、いないねえ」

「子犬ほど可愛いものでもないだろう。躾のなっていない大型犬だ」

「大型犬も可愛いじゃん」

「聞いていなかったのか。躾のなっていない、と言ったんだ」

「またまたぁ」


 意味深に笑みを深めたミゲルの口から、咥えていたスティックキャンディを奪う。そういった行動が更にミゲルの笑いを誘うのだと知っていても、ヴィンセントは無視できなかった。


 自分の行動を制御できなかったことなど、これまで一度も無かった――オリアナに出会うまでは。


 誰にでも、節度ある態度で接してきたのに、オリアナに対してだけは、出会った時から感情を制御することが難しかった。


(だけど、仕方無いだろう……)


 信じられないぐらい自分好みの子が、入学式の日に突然笑顔で抱きついてきたのだ。


 十三歳の男子に、動揺するなと言う方が無茶がある。


 何の運命か、何の奇跡かと思っていたら、身に覚えの無いことばかり言われ――勘違いだと、裏切られたと感じてしまった。

 きっとヴィンセントは、初めて人に深く傷つけられた。


(知己でも無い相手に、何を期待していたのか)


 後に勘違いだったのでは無く、あれがオリアナの妄想――もしくはヴィンセントの興味を引くための手法だと知ったのだが、当時は冷静を取り繕うことで精一杯だった。彼女を突き放すことで、なんとか自分のペースを保とうとした。


 何度振り払っても尾を振り、嬉しそうにじゃれついてくるオリアナを、最近では邪険に扱うことが難しくなっていた。

 尾を振る犬が視界の端に入ると、手を広げて待とうとしている自分に気付いた時、ヴィンセントは愕然とした。


 こんな未来は、きっと誰も期待していない。


 嫌いだと思うのは、もう不可能だった。

 だが、好きだと言えるほど、確信のある感情でもない。


 それに現実的に、オリアナを受け入れることは難しかった。

 ヴィンセントにとって、周りの期待に応え続けることは、生きることと同じだった。


 育てなければいい感情だ。だが、オリアナが嬉しそうに自分を見上げるたびに、ふつふつと心に湧く感情があることを知っている。


 彼女の勉強に対するひたむきな姿勢も、ヴィンセントを包み込むような慈愛の心も、ころころと変わる表情も、雷に震える肩も、自分に臆さず冗談を言ってくる姿も、何もかもに、心を動かされた。


 自分へのあからさまな好意が、ヴィンセントにとってプラスになってしまった時点で、彼女のマイナス点はよくわからない法螺話だけになってしまった。

 その法螺話でさえ、自分の気を引こうと試行錯誤の策なのだと思えば、プラス寄りのマイナスだ。もう自分でも何を言っているのかわからない。


(学生期間の火遊び程度なら、おそらく家族も許してくれる)


 だが、そんな覚悟で手を出していいとは――出したいとは、ヴィンセントは思えなかった。


 オリアナに対して礼を欠くと思ったし、何よりも、自分が引き返せなくなることが怖かった。


 冷静な判断を――誰もが臨む判断を下せなくなる自分は、ヴィンセントにとって未知の自分だった。そんな自分になるには、まだ決意が足りない。


(幸いに、まだ四年生だ……卒業まで、一年以上もある)


 オリアナとこのままの関係を保つのか、覚悟を決めて彼女との未来を掴むのか、選ぶ時間はまだ十分にあった。


「あ、いた」


 ミゲルの声で我に返り、ヴィンセントは彼が見ている方を見る。


 そこにはオリアナがいた。


 何故か女子寮の方からでは無く、ヴィンセント達が歩いてきた男子寮の方向から歩いてきている。

 いつもきっちりと身なりを整えているオリアナらしくなく、化粧もせずに、髪はボサボサのままだ。ローブを羽織っているが、中は制服では無く部屋着のようだった。


 それも、一人では無い。


 朝の自習のために、誰よりも早く登校するオリアナが、何故かアズラク・ザレナと共にいたのだ。


 ヴィンセントは困惑した。アズラクはヤナ・ノヴァ・マハティーンの護衛として、男子寮では知らない者がいないほど有名な生徒だ。


 彼に決闘を申し込み、膝を付かせることが出来れば、麗しい妻が手に入るのみならず、一生金に困ること無く、王族と縁が持てる――そんなまことしやかな噂が蔓延っているからだ。


 他国の歴史も学んでいるヴィンセントは、その突拍子もない噂が、計り知れないほどの事実だと知っている。


「待ち伏せみたいになっちゃって、ごめんね。アズラク」

「かまわない」


 二歳年上と言うこともあり、同級生と自ら親しくしている姿はあまり見られない。そんなアズラクが、リラックスした顔で、オリアナを見下ろしている。


「なんでオリアナってば、ザレナと? おーぃふぉごっ――」


 手にしていたスティックキャンディを、ヴィンセントはミゲルの口に突っ込んだ。そのまま、ずるずるとミゲルを引きずり、校舎の柱の陰に隠れる。

 二人からは見えないように注意しつつ、ヴィンセントは耳をそばだてた。


「エルシャにはいつも、ヤナ様がお世話になっている。俺に出来ることならかまわず頼れ」

「うう、まじでごめん……。あまりにテンプレ過ぎるお願いなんだけど、夜に干してた洗濯物が飛んでっちゃってて……用務員さん探したんだけど、どこにいるかわからなくて梯子はしごも借りられないし……」

「そうか」

「そのまま置いておいたら、また飛んでっちゃうかもしれないし……飛んでいかれるには、ちょっと、ちょっとね! 支障のある洗濯物でして! 頼れる人がアズラクしか思い浮かばなくってさあ」

「かまわないと言っている」

「ありがと~。恩に着るよ……この借りは必ず返すからっ……!」

「大げさだな」


 オリアナは半ば泣きそうな声で、アズラクに感謝を告げていた。


(待ち伏せ? 頼れる人が、アズラクしか思い浮かばない?)


 オリアナが、後から来たアズラクを待ち伏せしていたということは、先に出たヴィンセント達が男子寮から出てくるところもどこかで見ていたはずだ。

 なのに、オリアナはヴィンセント達の前に現れることは無かった。


 ヴィンセントは、彼女にとって頼りたい……もしくは、頼りになる人間では無いからだ。


 覚えの無い感情が、ヴィンセントの身を焼いた。胃の下が、ぎゅっと掴まれたかのように痛い。


 柱から飛び出て、何故真っ先に自分を頼らなかったのかと、強くなじってやりたい気分だった。驚かせてやりたかったし、オリアナに必死に言い訳させてやりたかった。


(駄目だ、考えるな)


 ヴィンセントは思考を止めた。去って行くオリアナとアズラクの後ろ姿を、苦い思いで見つめると、身を翻した。

 後をつける気満々だったのか、ミゲルが意外そうな顔をする。


「追わんくていいの?」

「必要無い」


(必要無いのは、僕だ)


 オリアナにとって今、ヴィンセントは必要のない人物だ。


 それが、ものすごく腹が立って仕方が無かった。




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