第8話 夏の面影 - 03 -


(きっとまた会えるって思ってた分、夜になると辛いなぁ……)


 人生が巻き戻った七歳から、入学する十三歳まで。

 六年間ずっと、オリアナは夢見ていた。もう一度ヴィンスと会い、優しく抱き留められる日を。


 窓から差し込む月明かりが、オリアナのベッドにも届く。二段ベッドの上はヤナが、下はオリアナが使っている。規則正しい寝息が聞こえるため、ヤナはもう寝ているのだろう。そっとベッドから抜け出して、窓辺の近くに椅子を移動させた。


 自分の棚から香水を抜き出し、シュッとシュミーズの袖に一吹きする。シダーウッドの香りがオリアナを包んだ。だけどどうしても、やっぱり少しだけ、ヴィンスの匂いとは違った。


 こんな夜は人恋しさが増す。


(ヴィンスが恋しい。失った人は、もう二度と会えないって、知ってたのに。二度目の人生が始まった時……期待してしまった。もう一度ヴィンスの傍に、いられるんじゃないかと)


 だが、オリアナとの思い出も、オリアナへの深い愛も持たないヴィンセント・・・・・・は、図々しく隣に居座るオリアナを疎ましく思っている。


(ただ、自然に隣に座りたい)


 タイが曲がっていたら手を伸ばして、恥ずかしくなったら首に顔を埋めて、優しくされたら優しさを返したい。


(もうどれも、届かない)


 ヴィンセントとの新しい関係は、常に緊張と、責任感が付きまとう。何も考えず、ただ彼に愛されていたあの頃に、戻りたい夜がどうしてもある。


(抱きしめられたい。大丈夫だった、よく頑張ったって、頭を撫でられたい。そして……)


 オリアナは自分の唇に触れた。シダーウッドの香りが強くなり、視界が涙でにじんだ。


「ヴィンス……」


 小さな声が、夜の部屋にぽつりと落ちた。




***




 ――竜に守られる国、アマネセル。


 アマネセル国において公爵位とは、遙か昔、人間に加護を与えた竜の血が流れる者にだけ受け継がれる、由緒正しい称号だ。


 八竜と呼ばれる公爵の内、紫竜公爵の長男として生まれたヴィンセントは、いずれ紫竜公爵が保有する領地を管理し、領民と財産を引き継ぐ立場となる。


 領地運営に関する複雑な知識を習得するだけでも大変ながら、ヴィンセントは竜の名を持つ紫竜公爵家の人間として、高い水準の魔法教育も求められた。


 魔法学校に入学するまでは、家庭教師チューターが教える一般的な教育科目の他に、農業や森林の管理方法、財務や商売の仕組みを徹底的に勉強した。魔法学校に入ってからは、平時は魔法の勉強を、長期休暇の間はまた、領地の勉強に明け暮れる日々を送る。


 知識をよく吸収し、一を経験すれば十を理解するヴィンセントは、周囲の期待にことごとく応えてきた。


 周りが彼に期待していることを察するのは簡単だったし、親の敷いたレールの上を歩くのも、ヴィンセントにとって難しいことでは無かった。


 親の言いつけに従い、親の希望通りの教育を受ける。


 常に貴族としての心得を学んでいたヴィンセントにとって魔法学校は、初めて与えられた、自由に歩き回れる広い庭だった。





 何かが壁に、寄りかかる気配がする。


 この気配を感じるようになって、どのくらい経つだろうか。


 目を閉じ、長椅子に寝転んでいたヴィンセントは目を開けた。


 場所は東棟にある、小さな談話室。ヴィンセントが一年生の時、偶然見つけた場所だった。

 埃まみれで、長年ろくに使われていないことははっきりとしていた。


 一人になりたい時に、ヴィンセントはここに来ていた。

 頻繁に来ていては、せっかく見つけた憩いの場が他の生徒にばれてしまうため、それほど足繁く通っていたわけでは無い。


 だが、いつの頃からか、この小さな談話室の外に人の気配がするようになった。


 よほど中の気配に集中しているのか、ヴィンセントが少し動いただけで、その人物はすぐに逃げ出してしまう。しかし一度、こっそりとその人物の姿を見ることに成功したことがあった。


 それは、オリアナ・エルシャだった。


 何故ここにという疑問と、どうして中に入ってこないのだろうという疑問が同時に湧いた。


 ここに来る時、誰にも後を付けられないよう、ヴィンセントはかなり人目を気にしながらやって来る。つけられていたとは思いたくないが、ここにいるということは、つけてきていたのだろう。


(――こんなところまで)


 辟易したのは言うまでも無い。

 むしゃくしゃするあまり、他の場所を探そうとしたこともあった。けれど、オリアナのためにわざわざ場所を変えることが悔しくて、オリアナの存在に、気付かない振りをしていた。


 いつ図々しくも談話室のドアを開けるのだろうと怖々としていたが、これまでの四年間――オリアナは絶対に中に入ってくることは無かった。


 気配を察し、逃げ出すぐらいなので、ここにいることはヴィンセントにバレたくないのだろう。


(話しかけてこないなら、まぁいいか)


 そう思っていたのも、少しの間だけだった。


 だんだんと、いつまで来ないのだろうと思うようになった。


 この空間に、二人きり。


(彼女のいう愛や恋を叶えるには、絶好のチャンスのはずだ)


 今日もヴィンセントは、息を殺して待っていた。だが、ドアノブに手をかける気配すらない。ただ静かに、ヴィンセントの気配を探っている。


(でももしかしたら、今日こそ来るかもしれない)


 まんじりともせず、ドアノブが開くのを待つ。何故、自分が心待ちしているような気持ちにならないといけないんだと思いながら、ヴィンセントは寝たふりを続けた。


 ドアが開く気配は、今日も無かった。




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