第3話 やり直しの四年生 - 01 -
「うぁああ……! 無理無理無理無理ごめんなさい無理、攣る!!」
「この様に、急に動かすと体に負荷がかかるの。皆さんは無理のない程度に、ゆっくりと体を伸ばしてちょうだいね」
オリアナの足首を持ち、奇妙なポーズをとらせている張本人は、目の前にいる女生徒達にのんびりと言う。
「ヤナ! まず、まず離そう。まず私の足を――」
「このポーズは、足の親指がこちらを向いていると意味を持ちません。必ず、親指はあちらを向けて――」
「痛い痛い痛い!」
バンバンバン、とオリアナが床を叩く、降参を告げる音が女子寮の談話室に鳴り響く。
女生徒は十名ほどおり、誰もが真剣な顔をしてヤナを――そして手本として体を反らせているオリアナを見ていた。
しかし誰も、オリアナの表情について言及するものはいなかった。苦しみあえぐオリアナよりも、大事なものがあるからだ。そう、正しいヨガのポーズを知り、自らを美しさに導くことが、彼女たちにとって最重要事項であるのは、その熱狂的な視線からいって明白だった。
「では、どうぞ。やってみせてちょうだい」
ヤナの号令に合わせて、女生徒達はゆっくりと体を動かし始めた。オリアナも、ようやくヤナの手から解放される。
汗に涙に鼻水まで垂らした顔を床に伏せ、オリアナはぜえはあと肩で息をする。
「まあオリアナ……そんなに息を切らして。柔軟を怠けているからよ。ちゃんと続ける様に言っておいたでしょう?」
褐色の肌に、神秘的な藤色の髪。視線一つで、男も女もコロリと落としてしまうほどの美貌は横に並ぶ者はおらず、”砂漠の星”と評される。
「わ……私には……向いてない……」
「ヨガに向く、向かないがあるとすれば、それは努力を続けられるか続けられないか、ということよ」
幼子の我が儘を窘めるようなヤナの優しい言い方に、オリアナは口をむぐぐと引き結んだ。美しく、牝鹿のようにしなやかな体を持つヤナの言葉には、説得力がありすぎる。
「貴方だって、私ぐらい美しくなってタンザインさんをグラッとさせたいでしょう?」
(させたい。超ぐらっとさせたい)
だが、そんな高望みはもうとっくに捨ててしまった。オリアナの微妙な感情が表情に出たのか、ヤナはコロコロと笑う。
「頭ばかりを使っていては駄目よ。体が凝ってしまうわ。朝晩の適切な運動が、女を美しくするのよ」
ヨガのインストラクターを務めるヤナは、近隣国であるエテ・カリマ国の第十三王女であり、留学生であり、オリアナのルームメイトだ。
彼女と二人部屋に住み始めて、もう四年が経つ。オリアナは四年生――十六歳になっていた。
ラーゲン魔法学校は十三歳から十八歳の子供達が五年間、魔法を学ぶために通う全寮制の学校だ。クラスは成績順に、特待クラス、第一クラス、第二クラス、第三クラスと四つに分かれている。
生徒達は互いに絆を深め、技術を競い、魔法を行使する術を会得していく。
未熟な生徒が魔力を扱いやすいよう、魔法学校は魔力が安定している場所――アマネセル国であれば、竜木の近くに建設される。竜木は国に八本しか無く、地中に広がる竜道に密接に関係しているため、植え替えることもできない。
おのずと、魔法学校の数は限られる。国内には王都にあるこのラーゲン魔法学校と、もう一つ、西の端にしか存在しない。
そのため、学校には色んな地域から、様々な子ども達が入学する。
基本的に在校生のほとんどが貴族や、金銭的に恵まれている平民だ。入学させるのも、寮に住まわせるのも、魔法使いに必要な学用品を揃えるのにも、かなりまとまった金が必要となる。
オリアナは平民だ。親は娘曰く多少羽振りのいい商人で、運がよければ、ツテのツテを頼って、社交界にデビューできる程度の人脈はある。
とはいえ、学校に在籍している間は、身分の上下は存在しない。
常に”一人の魔法使い”として、互いを尊重することが求められる。”偉大なる竜の慈悲の前には、人間など皆等しい”という考え方が根本にあるからだ。
そのため、親しい間柄以外の生徒は、年齢や性別、身分も関係なく、姓に「さん」を付けることが義務づけられている。
平民のオリアナであっても、王の娘でもあるヤナも同じで、オリアナは「エルシャさん」、ヤナは「マハティーンさん」と呼ばれていた。
「いいの。私は二兎を追えるほど器用じゃ無いから……今はひとまず、勉強を頑張る」
オリアナにとっての最優先事項は美しさではなく、やはりヴィンセントだった。多少の化粧は嗜んでも、美しさのために運動までしている余裕はない。
彼の傍にいるために、オリアナはこの四年間、寝る間も惜しんで勉強している。前の人生での知識があっても、元が元なだけに、トップに食らいつくのは大変だ。
「そう。それもまた貴方の魅力ね」
渋々と頷くヤナに別れを告げ、オリアナは寮を出た。
女子寮は校舎から少しばかり離れた場所にある。
男子寮は校舎を挟んで、ちょうど反対側だ。魔法学校の敷地はとてつもなく広く、校舎や寮の他に、公園や植物温室、厩舎や畑など、様々な施設があった。
オリアナはいつものように自習室へと向かうつもりだった。この四年間で、オリアナは自習室の常連として知られている。
女子寮を出てすぐのところで、オリアナはよく見知った顔を見つけた。彼もすぐにオリアナに気付いたのだろう。大柄な男は、大きなコンパスでこちらに近付いてきた。
「おはよう、アズラク」
「おはよう、エルシャ。ヤナ様は?」
気安く挨拶を交わしたのは、ヤナの護衛アズラク・ザレナだった。目を見はるほどの長身に、がっしりとした体つき。褐色の肌はヤナと同じく神秘的だが、ヤナがどこか神聖な雰囲気なのに対して、アズラクはどこか色気を感じさせる。
年はオリアナらよりも二つ上だが、同学年だ。ヤナと同じ学年に入学できるように、何やら特別な許可を取ったようである。
「オリアナでいいのに。あ、それとも。オリィって呼びたい?」
「レディ・オリィ。どうかこのアズラクに教えてほしい。普段ならもう外におられる時間なのだが、ヤナ様はどうかなさったのか?」
アズラクの冗談にオリアナは笑った。
「ヤナはまだ、たくさんの生徒に美しさの秘訣を伝授している真っ最中――なんだけど。アズラクが来たってことは、いつもよりちょっと終わるのが遅れてるのかも。私が暴れてたせいかな」
「エルシャが? ヨガ教室で? それは是非とも拝見したかった」
「意地悪なこと言わないでよ。陸に打ち上げられた小エビのほうが、まだマシだったに違いないんだから」
アズラクは無表情な顔に、少しばかりの笑みを浮かべた。
オリアナはアズラクに対して、ちょっとした仲間意識みたいなものを持っていた。
アズラクがヤナの傍にいられない場所――女子寮や、女生徒の輪の中など――では、オリアナがヤナのお目付役のようなものを担っているからだ。
「図書室か?」
休みの日にもかかわらず、オリアナが制服を着ていたために、校舎に用事があるのだと判断したのだろう。もしくは、大量に持っていた本やレポート用紙を見て推測したのかもしれない。
「ううん、自習室。一緒にどう?」
「……いや。……自分は、遠慮する……」
アズラクは、自分の本分はヤナの護衛だからと、魔法の勉強にはあまり本腰を入れていない。実際、興味も無いのだろう。わかりきっていた答えだったが、母に叱られた男の子のような反応をしたアズラクがおかしくて、オリアナは笑った。
強い風が吹き、オリアナは反射的に髪を押さえた。拍子に、持っていたレポート用紙が二枚風に乗っていく。慌てて一枚掴んだが、もう一枚は手が届かないほど高くに飛んでしまった。
しかしアズラクが、難なく手を伸ばすと、彼の手に吸い付くかのようにレポート用紙はその手に収まった。
「ありがとう。魔法を使ったみたい」
「たかが紙一枚とるために魔法を? 手を伸ばした方が、早くて正確だ」
「そうだね」
アズラクが腕を上げた際に、ふとアズラクの袖から微かに包帯が見えた。怪我をしたのだろう。オリアナのわずかな表情の変化に気付いた優秀な護衛は、すぐに腕を下げた。
怪我には気付かなかったふりをして、オリアナはレポート用紙を受け取った。
「気が向いたらおいでね」
「――ヤナ様が行くとおっしゃれば」
凄く嫌そうな顔でアズラクは言った。休みの日にまで席についていたくないのだろう。オリアナは笑って別れを告げた。
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