影、陽にあたる
柊あか
第1話
外の音を遮断するためにつけたイヤホンからニュースが聞こえる。
『本日未明に起きた火災ですが、容疑者は未だに捕まっておらず警察は数か月前からの連続放火犯との関連を……』
内容なんてものは耳に入ってこず、僕はラジオを切り今日も孤独を紛らわすために音楽を聴いていた。始業前の教室に人影は無く、僕だけが椅子に座り時が過ぎるのを待っていた。
僕の席は窓際で、校舎の横にあるグラウンドからは朝練をしている野球部の声がイヤホン越しの僕の耳に入ってきた。それさえも僕は煩わしく思い、音のボリュームを上げた。朝早く起きたこともあり、僕はいつの間にか夢の中にいた。次に意識が浮上した時、周りを見たら、クラスメイト達が他愛のない話をしていた。どうやら、朝のショートタイム前には起きることが出来たようだった。
新学期になってから、まだ数日しか経ってないのに関わらず、クラス内には何個かグループが出来ており、集団という塊が嫌いな僕は小さくため息をつき、窓の外の雲を眺めていた。数分後、担任の先生が教室に入ってきて必要事項を伝える。それが終わると先生は廊下の方に目を向けた。そして、それを合図に制服をきた男子生徒が入って来る。
「転校生の新崎くんです」
「新崎煌です。今日からよろしくお願いします」
キラッと効果音が付きそうな笑顔を浮かべた、彼と確かに目があった気がした。
「では、新崎くんの席はちょうど後ろが開いているし北村くんの後ろでいいわよね」
何故か、先生は僕の名前を呼び僕がそれに反応したことを機に、新崎は僕の方に近づいてきた。僕の横を通りかかったとき、彼は小さい声で「よろしく」と言った気がしたが、僕はそれに気づかないふりをして、そっぽを向いていた。彼は僕が無視したことも気にせず、隣の席の女子と談笑を始めたため、どうやら僕のことはどうでもいいようだった。先生は彼が馴染めそうだと判断し、
「では、朝はここまで今日も頑張りましょう」
と言い、教室を後にした。朝の時間が終われば、億劫な授業の時間が始まる。高校三年生である彼らにとっては大切な一年になることもあり、学期初めとはいえ皆の授業態度は優れたものだった。ただ僕にとってはたかがこの程度の内容に頭を悩ますことはなく、昔は楽しいと感じていたこれも今は暇つぶしにしかならなかった。
午前の授業が終われば昼休憩の時間になるが、特に誰かと食べることもせず、逃げるように教室を後にし、いつもの場所へ向かう。体育館裏にあるこの場所が、僕にとっての一等席だった。石段に腰を掛け、買ってきたコンビニのおにぎりに手を付けようとした時、クシャっと草木を踏む誰かの足音が聞こえた。
「独り飯とか、少し寂しいな。なぁ、北村奏汰くん」
僕の名前を呼ぶ人などこの学校には先生以外いなかった。まさかと思い顔を上げるとそこには今朝見たばかりの転校生の顔があった。
「僕に何か用?」
「いや?ただ、授業終わったらすぐに教室から出ていくからどこに行くのかなって」
「そんな好奇心で僕をつけてきたの?」
彼の考えを僕は理解することが出来ず、脳内に疑問が生じたが僕はすぐに一つの答えに辿り着いた。
「朝、僕が君のことを無視したの怒ってるの?」
「は?何で、そんなことを言うためにこんなジメジメした場所に来ないと行けないんだよ」
新崎は僕の答えが面白くなかったのか、うざそうな顔をして僕の方を見ていた。僕はそれを不快に感じたが、彼と話すことを鬱陶しく思い、手に持ち続けていたおにぎりを口に入れた。新崎は僕の様子を一瞥すると飽きたのか僕の傍から立ち去った。僕の方は完全に一人で過ごすことが出来る昼休みを誰かと話すことに使ってしまい、午後の授業も退屈になる未来が見えた。そんな僕の予想は的中し、授業も暇でしかなく、耳に入ってくる言葉はどれもつまらないものばかりだった。
授業がすべて終われば、僕はイヤホンを耳にさし携帯を操作し音楽を聴きながら家に帰る。僕の家は学校からは遠くなく、徒歩で通える距離だ。家に着くと母親のお帰りという声が聞こえたが両親とはもう三年ほど会話をしておらず、二人も僕に対して干渉を辞めたのか挨拶以上の話をすることはなかった。自室に入れば窮屈な制服を脱ぎ捨て、翌日の課題を終わらせたら、パソコンを立ち上げネットサーフィンをする。大体三時間ほど経つとノックの音が聞こえ、扉を開けたら夕飯が床に置いてあった。最後に家族揃って、食卓でご飯食べたのはいつだっただろうか。
それさえも、思い出すことが出来なくなっていた。食べ終われば一階に降り、皿を洗う。リビングを見てみれば、帰宅していた父が僕を一瞬見たと思えば直ぐにテレビに目を向け、それ以上は僕と目を合わせることなかった。母はいつも夕飯後は風呂を沸かしに行くため、リビングにはおらず、僕はここにいることが居た堪れなくなり、逃げるように自室に戻った。太陽が落ち切った部屋は暗く、電球の明かりが僕には眩しかった。それからはまたネットの世界に入り浸り、両親がお風呂を出た二三時過ぎに自分も入り、片付けをする。それをやれば時刻は日を跨いでおり、僕は布団に入り眠りについた。
こうして長い僕の一日が終わったが、僕は中々寝付くことが出来なかった。あの転校生、新崎煌が何故僕のフルネームを知っていたのか。苗字は担任の先生が呼んだため、知りえたはずだが名簿などを見ない限りは僕の名前を知るすべはないと僕は考えていた。ましてや、新学期始まったばかりのこの時期にわざわざクラスの異端児の僕の名前を憶えている人などいない。なら、何故。頭の中には疑問ばかりが増えていき、余計に僕を睡魔から遠ざけた。しかし、人の体は良く出来ており、僕が次に気がついたときには時計の短針は六を指しており、僕は布団から出る羽目になった。こうして今日も、面倒な一日が始める。僕は今日も独り、自室にある小さな窓から雲一つない空を見上げたその眩しさに目を細めた。
「いつもこの時間に来てるのか。早いな、奏汰」
「何で君がいるの。後、下の名前で呼ばないで。馴れ馴れしいから」
「いいじゃないかよ、席近い仲だろ」
僕の朝一番乗りを奪ったのは昨日転校してきたばかりの新崎、彼だった。彼は自分の席に座らず、何故か僕の前の席に腰を掛けた。
「なぁ、お前いつもあそこで飯食ってんのか?」
「だったらなに?みじめな僕を笑いに来たの?」
「そんなことのための早起きなんてしねぇーよ、ただ、お前と昼飯食べたいなって」
「悪いけどそれは無理、他をあたって」
これ以上、彼と喋っても埒があかないため、新崎との会話を遮断するように僕はイヤホンを耳にさした。僕の行動を見た新崎はひとつため息をつき、椅子から立ち上がり教室を出ていった。次に彼が教室に戻ってきたのは、一時間目の授業が始まる数秒前だった。
昼休みがやってこれば、僕は新崎に話しかけられるのを避けるため、授業が終わった後、すぐに教室を出ることにした。いつもの場所に向かい、日陰に腰を落とす。もちろん、この場所は彼にバレており、彼がここを訪れる可能性はあったが、僕の予想は杞憂に終わり、今日は穏便な昼食を食べることが出来た。しかしそれが続くことはなく、授業後。新崎は僕に話しかけてきた。
「なぁ、奏汰。一緒に帰ろうぜ」
誰かと一緒に帰るなんてごめんだ。僕は、新崎の言葉には反応せず、そのまま教室を後にした。
「なのに、なんでついてくるんだよ」
「だって、奏汰何も言ってないだろ。だから、いいのかなって」
「誰もそんなことは言ってない!」
つい、イラっとしてしまい、声量が大きくなってしまった。新崎は僕の声に驚いたのか、少し肩を震わせたが、すぐに僕よりも大きい声で笑いだした。
「ははっ、お前さ。大きい声出せるじゃん」
「君には関係ないだろう」
新崎と話すと僕が馬鹿になりそうな感覚さえあった。まさに、彼とは馬が合わない。この言葉が一番合うだろう。このままいけば、彼に家を特定される可能性もあり僕は、とりあえず近くにある公園に避難することにした。
「本当に、僕に一体何の用?」
「いや、だから仲良くなりたいなって」
「悪いけど、僕はそのつもりもないから。これ以上僕に構わないでくれ」
「でも、奏汰は優しいよな。いやいや言いながら、何だかんだ俺の話を聞いてくるんだからさ」
「それは、君が一方的に話しかけてくるからだろう。お願いだから、もう僕に話しかけないで」
新崎が僕に話しかける度にクラスメイトの視線が僕に集まる。注目の的になるのが僕には、苦痛でしかなかった。僕ら二人以外、誰もいない公園は静まり返っており、僕はまた彼をおいて公園を後にした。これで僕は安寧な高校生活を取り戻せる。僕は、確信していた。現にそれから数週間、新崎は僕に話しかけてくることはなかった。
五月に入り、休日。僕はとある場所に向かっていた。僕はよっぽどの用がない限り家を出ることはないのだが、ある時から僕はこの日だけは外出をするようになっていた。近くの花屋まで足を運び、いつもの花を買う。店員の「ありがとうございました」の声が二つ聞こえたのをきっかけに花屋にもう一人の人物がいることに気づいた。
「おお、奏汰じゃないか!久しぶりだな」
「新崎、何でお前がここに……」
「いや、見ての通り花を買いにな」
確かに彼の腕の中には僕と同じ花があった。つい目が合ってしまったため、久しぶりに彼と会話をすることになったが、会話が長引くことはないだろうと僕は思った。だが、僕の予想はいとも簡単に外れた。
「目的地が一緒って、やっぱり俺たち気が合うな!」
そう、まさかの新崎と僕との目的の場所は同じだった。よく見たら、僕も新崎も同じ仏花を持っていた。だから、お墓に行くのだろうとは思っていたが同じ墓地だとは思わなかった。そして、同じお墓だとも。墓石には『星詠家ノ墓』と書かれており、お喋りだった彼もこの時は黙っていた。
「君と彼の関係は分からないけど、今日は彼の命日だから。墓前で騒がないでよね」
僕は、土の中に眠る彼を起こしたくないそれだけで、また小言を言っていた。膝を屈め手を合わせる。そして、心の中で彼の名前を呟いた後、閉じていた目を開けた。僕の横には同じようにしている新崎の姿があり、その顔はやけに真剣な表情をしていた。僕は、彼の邪魔にならないように墓地を後にすることにした。
「待てよ、奏汰」
墓地から数百メートル離れたところで、新崎に声をかけられた。
「なに?」
「覚えていたんだよな、だから今日ここに来たんだよな?」
「君には関係ない」
彼には関係ない。これは僕の責任だ。まだ知り合って一か月も経っていない人に教える義理はない、僕は早足にこの場から逃げようとした。
「逃げんなよ、奏汰。日向はこんなことを望んでないからな!」
新崎の声が僕の耳に聞こえてきた。日向という言葉に、僕は足を止めそうになったが僕は彼の声を遮るようにイヤホンをさし、音楽の世界に身を委ねた。
この件以来、僕は新崎を明らかに避けるようになった。いや、今までも避けてはいたのだが、話しかけられても一切答えることなく、彼から距離を取っていた。だが新崎は僕に熱心に話しかけてきた。あの墓地での話はすることはなく、今日の天気はどうだとか、昨日見たお笑いがつまらなかったとか、どうでもいい話を僕に振って、僕が反応しないのを見て、自分で話しだし自分で終わる。これの繰り返しだった。
この彼との不可解な関係は一か月ほど続いた。クラスメイト達は、僕が無視を続ける新崎のことを哀れに思い、彼に話しかけるようになっていた。それでも、彼の視線は僕を見ていて、いつもと変わらないテンションで新崎は僕に話しかけてきた。新崎が僕に構う理由
は未だに分からず、僕は頭を悩ます日々を送っていた。だが、この世に慣れという言葉があるように、毎日のように話しかけられていたらそれは慣れるもので、僕はいつの間にか彼の声を鬱陶しいものとは思わなくなっていた。それでも、僕は彼と仲良くするのには抵抗があり、彼との物理的距離は近づいたが、心の距離が変わることはなかった。この時、僕の席から見える空模様は梅雨を告げるように、濁った色をしていた。
六月にもなれば、クラスメイト達はこれから来る夏休みに向けて予定を立てていた。大学に進学するものはこの夏が勝負だと、勉強合宿を行う者もいれば、呑気に旅行の予定を立てる者もいた。僕はそれらの輪に混ざらず、いつものように窓の外を眺めていた。
「なぁ、奏汰」
僕の後ろから、聞きなれた声が聞こえる。僕はため息をつき、後ろを向いた。そこには、僕の顔とは正反対に満面の笑みを浮かべている新崎の姿があった。
「なに、新崎」
「お前、夏どうする。ぶっちゃけ勉強しなくても受験なんて余裕だろう?」
「流石にそれはない。最低限はやるよ」
「ならさ、俺ん家でさ勉強教えてくれよ」
「嫌だ、何で家まで行かないといけないんだよ」
僕が彼に勉強を教える義理は無く、彼の進路がどうなろうが僕には関係なかった。
「なんだよ、煌。お前、北村に勉強見てもらうのかよ?」
「おう、学年一位が見てくれたら、俺の成績も見ての通り大変身ってな!」
「待って、僕は新崎の勉強を見るなんで一言も言ってない」
僕がクラスメイトの声を否定しようとするとそれと被せるように、新崎の声が教室に響いた。
「じゃ、奏汰!決まりな、俺の進学のために頼むぜ」
新崎は僕の肩を叩き、その顔は僕に話しかけた時以上に笑顔だった。こうして僕は一か月後に来る夏休みが憂鬱になったのは言うまででもなかった。梅雨のジメジメとした空気は好きではなく、ただ早く明けないかなと思っていたこの時期でさえ、明けてほしくないと思うのは初めてだった。僕は、クラスメイト達と談笑を重ねる新崎を呆然と眺めていた。
「奏汰。どうかしたか?」
「え、あ、ううん。なんでも」
僕の視線に気づいたのか、彼が急に僕の方に向いたことに驚いたが、僕の曖昧な返事を気にすることはなく、また会話を始めた。僕の耳には雨音と一緒に彼の楽しそうな声ばかりが聞こえてきた。
それからまたひと月。夏前の期末試験が終れば、高校生活最後の夏がやってきた。部活に入っている者は、地方大会で負け夏前に引退した人もいたが、インターハイにも出場する人もおり、クラス内は夏休み前最後の日ということで、いつもよりも賑わっていた。
「奏汰、いつ俺ん家くる?」
「だから、そもそも僕は許可してないよね?」
「まぁ、そんな固いこと言わずにさ。この通り、頼む!」
目の前の新崎が手を合わせこちらの様子を窺う。僕は仕方なく彼の交渉に乗ることにした。
「ちなみに、どこの大学を志望してるの?」
「俺は、臨床心理学べるところ」
「臨床心理……。君、カウンセラーにでもなるの?」
「あ、お前。今、向いてないって思っただろう。なら、俺も言うけど奏汰みたいな腕だけの医者なんてごめんだからな。患者が怖がりそう」
「待って、新崎に伝えてないよね。医学部受けること」
「もちろん、これは俺の勘」
彼の勘は的を射ており、確かに僕は医学部を受験しようとしていた。もちろん、医学部を受け、医者になるという夢には理由があった。けれど、僕の理由はとても邪なもので胸を張れるようなものではなかった。僕は、新崎の目を見るとまっすぐこちらを見ていることに気づき、彼の本気を悟った。
「……分かった。ちゃんとした目標が決まっているのなら僕も付き合うよ」
「本当か!ありがとな、じゃ。また連絡するから、予定空けとけよ」
新崎は、僕から理想の返事を得れば、すぐに友人らしき人物と共に教室を出ていった。僕も後を追うように出ていき、帰路につく。家に帰れば、リビングに母がいて、一瞬目があったがすぐに逸らされた。
「母さん、少し話があるんだ」
久しぶりにその人の顔を正面から見た気がした。いつも、後姿だけを見ていた彼女の素顔は前よりも少し窶れて見えた。
「珍しいわね、貴方が私に声をかけるなんて」
「うん、話があって」
「貴方のことは、奏汰が望んだとおり、放任にしてるから好きにしていいわよ。それとも、高校辞めるなんて、今更言わないわよね?」
「この時期にそれはないよ、ごめん。母さん、また今度話す」
母との会話を区切り、自室に戻る。そうだった、僕の家はかなりの放任主義だった。実際にこうなったのはあれが原因だが、母も父も僕のことには干渉しなくなっていた。でも、両親は僕のこれからのことを知らない。いつかは、話さないといけない時は来る。その時はきっと、僕があの事と向き合わなければいけない時なのだ。
約二週間後、お盆前の時期に新崎から連絡が届いた。僕は彼から指定された通り、彼の家を訪れていた。
「奏汰、待ってたぜ。今日は親いないし、気軽にくつろいでくれ」
「くつろぐも何も、勉強するんじゃないのかよ」
「もちろん、やるけどよ。こんなに暑いと、やる気もわかない」
冷房がガンガンに効いている彼の自室は思っていたより綺麗で、きちんと整理整頓がされてあった。
「文句言わずにやる。やらないのなら、僕は帰るよ」
「あー、それはやめてくれ。俺の成績と将来がかかってるんだ」
「なら、さっさと赤本開く。あと、去年のセンター持ってきたから、ひと先ずこれ解いて」
机の上に、何個かの教本が散らばれば、新崎はそれを見つめ、頬を軽く叩き、僕が持ってきたプリントと向かい合った。そこから二時間。彼は一言も発することなく、問題をすべて解ききってみせた。
「……うん。はい、答え合わせしたけど、正答率は七割くらいって感じ」
「それって、足りるか?」
「理想は八。でも、二次試験で点とれば問題ないくらい」
「なら、少し休憩しようぜ。お礼に、コンビニでアイスでも買ってくるけど、なんかいるか?」
「ダッツ、よろしく」
「容赦ねぇーな。まぁ、いいけど。その代わり、留守番頼む」
新崎は財布と携帯を持ち部屋を出ていった。家主がいないのはどうかと思ったが、彼はそんなことを気にするような性格ではないので僕も気にしないことにした。静かになった部屋をゆっくり見渡す。誰かの家を訪れるなんて、五年ぶりくらいのことで少し懐かしさを感じた。そこでずっと気になっていた、布で隠されていた場所に目が惹かれた。もしかしたら、見られたくないものがあるのかもしれない。しかし、何故だかその中身を知りたいそう思っている自分が同時に居た。本人がいない今、ここで僕がチラ見してもそれを証明する人はいない。そう思えば、僕の手は布にかかっていた。固唾を呑み、布を捲る。
「これは、」
そこには一つ写真立てが飾られてあった。写真の中には、笑っている二人の少年の姿があった。一人はおそらく持ち主である新崎。そして、その隣で微笑んでいる少年。間違えない、これは彼だ。僕は、反射的に布を元に戻した。
「そんなに手荒に扱わなくてもいいだろ。大切なものなんだよ」
突如、背後から声が聞こえた。
「新崎、帰っていたのか……?」
「あぁ、見ての通りな。てか、やっぱり見たんだな」
そう言った彼は、思っていたよりも怒っている様子はなく、逆に懐かしむような雰囲気を醸し出していた。
「そこに写っているの、俺の親友なんだよ」
それは知らない。
「まぁ、でも。もう、この世にはいないけどな」
それは知ってる。僕が一番知ってる。
「なぁ、奏汰。お前、いつまで日向のこと引きずってんだよ。そろそろ、前を向いてもいいんじゃないのか」
「新崎、君には関係ないことだ。……悪いけど、僕はもう帰る。後はしっかり復習して、模試でも受けて、自力で頑張って」
マシンガンのような早口で最低限の情報を伝え、荷物を持ち、部屋を出ようとする。すると、その足は新崎に手首を掴まれたことで止まった。
「待てって、お礼。ちゃんとダッツ、買ってきたから」
差し出されたそれを無言で受け取り、彼の家を出る。出た後すぐに、僕は走り出した。あの時のことを忘れるように。自宅に戻った後、貰ったアイスを食べようと思い蓋を開ければ、アイスはとっくに溶けきっていた。
体が動かない世界で、意識だけがはっきりしていた。懐かしい、思い出したい。けれど、最も憎んでいる。そんな世界が僕の中で広がっていた。
___
『初めまして、俺の名前は星詠日向。君の名前は?』
『北村、奏汰』
『そっか、奏汰!よろしく』
目の前にいる少年は満面の笑みを浮かべ、手を差し出した。僕は吸い込まれるようにその手を掴んでいた。
『奏汰、すっごい。テストの順位、一番じゃん』
『別に、簡単だし』
『まぁ、いつも授業中とか詰まらなそうだしな』
『うん、退屈だよ。どれも、簡単で。疑問に思うこともたまにはあるけど、僕が欲しがる答えを教えてくれる人はいないから』
昔から、変わった子だと言われることが多かった。少し他の子たちより好奇心があっただけだった。誰かと遊ぶより、図鑑を見て新しいことを知るのが好きだった。それでも、周りの大人は僕を変わり者とみなした。それが続けば幼い自分でも気づく。僕は皆とは違うということを。中学生になったときは、確かに授業が少しだけ面白く感じた。だから、勉強をして、疑問が生じて、先生に答えを尋ねたら、その先生は困った顔をしていた。その時思った、また僕はやりすぎてしまったんだと。一年生の時にこれを知ってから、僕は学年が上がっても友人を作ったりクラブに所属したりはせず、一人で過ごしていた。集団に所属するよりもそのほうが幾分か楽だったからだ。でも、その壁を壊したのは日向だった。
『俺は、頭が良いってのも奏汰の一つの個性だと思うけどな。あと、その笑わない顔も!』
『笑わないって、僕だってたまには笑うよ』
『どうだかな、あ。そうだ!奏汰、今度俺ん家で遊ぼうよ、天体の本があるんだけど、俺じゃ理解できなくて』
『日向も、名前通りって感じだね。流石、星詠くん』
『苗字止めろって、今更だと鳥肌立つから』
『ごめん、ごめん。日向。いつにする?』
『じゃ、今度の……』
見ての通り、僕と日向の関係は悪いものではなかった。どちらかというと、良好だと思っていた。僕は日向に対しては素でいられたし、日向も僕に対して心を開いてくれると思っていた。
星詠日向という人はとても良く出来た人間だった。こんな僕にも声をかけてくれて、クラス内でも彼の人望は厚く、おそらく全員から好かれている人物だった。だから、僕にとって、彼の笑顔がたまに眩しく見えたのだ。
『日向は、凄いな』
夕暮れの二人きりの公園で僕の声が小さく響いた。
『凄いのは奏汰の方だろう?』
『僕は、全然だよ。ただ、勉強ができるだけ。それ以外に、取り柄はない』
『でも、俺。知ってるよ。奏汰、お医者さんになりたいんだろ?』
『何でそれを知ってるの?』
僕の疑問に隣でブランコを漕いでいる日向は笑って答えた。
『だって、奏汰の家にある本の中で一番多いのは医学書だから』
彼は、本当によく周りを見ていた。
『人を助ける仕事。奏汰にぴったりだな』
『ぴったり…、そうかな。僕にできるかな』
『出来るさ、奏汰はこう見えて優しい奴だからな!』
夕暮れの中で日向が笑う。こんなにも笑顔が似合う人物を僕は他には知らなかった。そして、この笑顔を奪ってしまったのは紛れもない、僕だった。
______
とても、最高で最悪な夢だった。記憶の中の日向はいつも笑顔だった。毎年、お盆が近づくとこの夢をよく見る。まるで、僕の記憶を固定させるように。
「奏汰、いつまで寝てるの。夏休みとはいえど、お昼までには起きなさいよ」
扉の向こうから、母の声が聞こえた。それで気づいた。外は明るく、時計の短針は一二を指していた。きっと、アラームに気づかずに寝ていたのだろう。
「あぁ、最悪な日だ」
僕の災難はこれで終わらなかった。両親が仕事関係で不在な日が続くと、引きこもっている僕は自分で食料を手に入れるしかなく、コンビニに行けば、その道中で車に水溜りの水を掛けられたり、隣人が飼っている犬に吠えられたり、夏休みの後半はこんな日がずっと続いていた。
「ははっ、それは災難だったな」
「笑い事じゃないよ、本当にさ」
夏休み明けの二学期初日、新崎は教室に入るやすぐに、僕の隣にやってきた。彼は、自分の家での出来事については一切触れてくることはなかった。だから、僕も触らないようにした。でも、確かに僕と新崎との距離は出会った四月よりもはるかに近づいていた。数日後、僕の家は駅に向かう途中にあるため、新崎と一緒に帰路を共にしていた。
「私立組はいいよなぁ、推薦で行けるやつ多いし」
「君も私立だろ」
「生憎、俺の志望校は推薦取ってないんだよ」
まさに、他愛のない会話をしていた時、前方から見覚えがある人が歩いてきた。
「あっ、お前。北村、北村奏汰じゃねぇーか!」
僕を指さし、驚いた顔をする元クラスメイトを前に僕は顔を逸らしてしまった。
「制服着てるってことは、今は学校通ってるんだな。お前、急に不登校になって結局、卒業式にも顔を出さなかったし」
僕のことを関係なしに、次々と話を進める彼に僕の体は震え始めていた。
「次は、ちゃんと出来るといいな。また星詠みたいに、二の舞にならなければいいけどさ」
「……そうだね」
早くこの場から立ち去りたい、動きたい。それなのに、体はガラスのように固く動く気配はなかった。
「おい、お前。何、勝手なこと言ってんだよ。日向が死んだのは、こいつのせいじゃない。信号無視をしたあの車のせいだろ⁉」
僕の隣で、ずっと黙っていた新崎が急に声を荒げた。そして、相手の襟を掴み、今にも手が出そうな状態だった。
「おい、なんだよ。俺は、事実を言っただけで…ってお前、新崎、新崎煌⁉お前が何で…」
「相手の気持ちを考えずに、何でも言っていいなんて、図々しいにもほどがあるだろう⁉」
新崎の声が夕暮れの住宅街に響く。
「わ、悪かったよ……」
完全に新崎の剣幕に腰を抜かしかけている彼は、新崎が手を離した瞬間に、踵を返していった。
「新崎、」
「何で、何で奏汰は何も言い返さないんだよ!」
こっちを振り向いた彼の目にはうっすらと涙を浮かべていた。
「どうして、君がそんな顔をするの」
僕には、彼の涙の理由が分からなかった。分からないものがある方が珍しい僕にとって、日向同様、彼も僕の分からない存在になっていた。
「どうしてって、目の前で友達が心無い言葉を受けて苦しんでる。それを見て何もしない奴がいるかよ‼」
「僕は、君と友達なのかな」
ふと心の声が零れた。友達という定義が僕には不明確で僕の心の和を乱すものでしかなかった。
「俺は、奏汰と友達になりたい」
真っすぐ、新崎が僕を見つめ、視線がぶつかる。きっと、ここで僕が首を縦に振ればきっと僕らは名目上は友人関係になれるのだろう。でも、僕は。
「僕は、やっぱり友達はいらない」
きっと、僕は彼を傷つけてしまう。それだけは避けたい。だから僕が導き出す答えはこれで間違いじゃない。
「日向もそうだけど、君も本当にお節介だ。僕は、一人でも平気だ。だから、これ以上僕に関わらないで。お願いだから、僕からもう何も奪わないでくれ」
「お節介だ?そう思われても構わない、俺も日向もお前のことが好きなんだよ。だから、こうして向き合いたいって思ってる!だから、日向はな、死ぬ間際でもお前のことを考えていた。俺の大切な友人だ、奏汰を頼むって!俺だって、勿論中学時代はお前と面識なくて日向からの話しか知らなかったから、探して今こうやって出会えて、北村奏汰という人を知り、友達になりたいって思った。なぁ、それじゃダメなのかよ⁉」
向かい合った新崎の目は涙に滲んでいて、彼の頬に雫が流れ落ちた。その表情を見て僕の心は揺らぎかけた。けど、僕は、君の友人には相応しくない。
「日向を殺したのは紛れもないこの僕だ。僕の言葉が日向を殺した。だから、ダメなんだ。僕は一人がいい、そうじゃないと、ダメなんだ」
固まっていた体は、いつの間にか麻酔が切れたように動かせるようになっていた。僕はこの空気から逃げ出すように、家に帰った。最後に見た新崎の顔はとても苦しそうだった。
____
『なぁ、奏汰。奏汰はいつも自分を下に見てるよな』
昼食後の昼休憩、隣にいる日向は突然声を出した。
『仕方ないだろう、こんなのが僕だ。僕には取り柄もないしね』
『こんなとか言うなよ』
日向の声のトーンが下がった気がした。彼の目を見れば、強い目をしており、それから優しく微笑んでくれた。
『俺は、奏汰のことが好きだ。だから、こんなとか言って自分を下に見ないでほしい。俺はそんな奏汰が』
『煩いっ!日向に、何が分かる?僕のことは僕にしか分からない。僕は、日向みたいな人は大嫌いだ!』
つい衝動的になり、居ても立っても居られなくなり教室を飛び出す。僕を呼ぶ日向の声が聞こえた気がしたが、僕の足が止まることはなかった。
その数時間後、日向の母親から電話があった。日向が交通事故にあい、一緒にいた日向の友人が一部始終を見ていたことを伝えられた。その日はろくに眠れず、翌日教室に入れば、クラスメイトの視線がいつもより冷たいことに気づいた。
『なぁ、北村』
一人の男子が声をかけてくる。僕には接点がなかった人だ。
『お前が昨日、日向と喧嘩しただろう?その時に、嫌いって言っていたよな。それで、日向死んだんだろ?なら、それで神様が嫌われる人間はいらないって判断したのかもな!』
『ちょっと、島くんさすがにそれは不謹慎だよ』
『でも、美波。ほとんどのやつが聞いてたぜ。こいつの言葉。そして、このタイミング。そうでしかありえないだろう』
彼の取り巻きが僕を囲い笑う。擁護してくれた女の子も複雑そうに見ていた。
『お前に、何が分かる』
『は?大きい声で言えよ。お前、根暗すぎて、まじで日向と一緒に居ないと、影薄くて気づかないんだよ』
『だから、お前に僕と日向の何が分かるって言ってんだよ‼』
言葉と同時に手が出た、人生で初めて人を殴ってしまった。騒ぎにもなり、他のクラスからも傍観者が集まるくらいだった。その中で、僕のことを止めようとしてくれた人がいたらしいが、次に僕が冷静さを取り戻した時は保健室の中だった。先生方に囲まれ、先生からは、相手にも非があったとはいえど、手を出してはいけない。義務教育である以上、退学はさせないけど、どうするかとなった時に、僕は親にも相談せずに、転校することを伝えた。のちに、親にもばれることになったが、親は僕の意向を組み、他の中学に入れてくれた。僕は、出席日数だけのために中学に通うようになった。前の学校では、僕のことを説明しなかったため、クラスメイト達は不登校になったのだと、そう思われていても仕方ないことだった。
日向に『医者になれる』と言われたのに、人を傷つけてしまった僕には、誰かを救うことで清算するしかないそう考えるまでに至っていた。僕はより、孤独を愛するようになった。光さえなければ、きっと誰も傷つけないでいられる。それは僕の傲慢だとしても、僕にはそれしか、大切な人を守る方法が分からなかった。
_________
次の日。僕は今年度初めて学校を休んだ。もちろん、体調面ではなく精神的に行くことが困難な状態だった。寝ることが出来ず、鏡に映った眼の下にはくっきりと隈の跡があった。母は、久しぶりに休むと言った僕を気にかけたが、僕の顔を見た後何も言わずに学校に連絡を入れてくれた。誰もいないリビングはとても静かでテレビのキャスターの声だけが僕の耳に聞こえていた。携帯をいじりながら時間を潰す。けれど、画面の中の情報も僕の目には入ってこず、ただただ時が過ぎるのを待っていた。その時、ローカルニュースを伝えていたテレビが速報を伝えた。
『只今、入ってきたニュースです。現在、渚北高校にて火災が起きました。消防は状況を確認中で、中には授業中の生徒が取り残されている模様です、繰り返します……』
画面に映る学校は紛れもない僕の高校で、窓の外から学校がある方角を見れば確かに黒煙が上がっていた。ニュースは繰り返し報道を伝えている。その時、ニュースの深刻さとは似合わない、僕の携帯の着信音が聞こえた。その音は面白半分で登録をした紛れもない新崎のものだった。
「もしもし、新崎か?」
「奏汰か!お前、無事か⁉」
「無事も何も僕は学校には行ってない、それより君は……」
言葉を繋げようとした後、画面越しから何かが崩れる音が聞こえた。
「まさか、君まだ学校の中にいるのか?」
「いや、そのまさかなんだよなー…」
余裕そうな声色と引き換えに、火の音が微かに聞こえた。
「待っていて、今行くから」
「っおい、来てもどうすることも」
通話を無理やり切り、携帯を握りしめ学校に向かう。息を切らしながら走れば学校はほんの数分で着き、辺りは野次馬やらで警察の規制線の近くまで人が集まっていた。目の前で学校が見える場所まで行けば、グラウンドには避難してきた生徒たちがおり、僕のクラスメイト達も目視することが出来た。けれど、そこに新崎の姿はなかった。もう一度、新崎に電話をかける。火の手の近くにいたのなら、もう一酸化中毒になって倒れているかもしれない。僕は彼が出てくれることを信じた。
「奏汰か、悪い遅くなって」
少し遅れて新崎が出る。その声は先ほどよりも掠れており、彼の息が上がっているのが伺えた。
「今、どこにいるんだ?」
「西館の二階の音楽室」
「西館…、分かった」
「分かったって、お前、こっちに来るつもりかよ、頭おかしいだろう。警察がいる中、外にいる人間が中に入ることは無理だ。それに、火の気だってさっきより強くなっている。だから、俺のことは気にするな。はっ、死んだりしないさ、きっとな」
ぶちっ、と音が鳴り、通話が切れた。死んだりしない?彼の声は確かに息苦しさを表していた。僕に何ができる。目の前の警察官でさえ困った顔をしていた。まるで不幸が起きているような、そんな顔をしている人もいた。こんな状況で僕が飛び込んだら、二次災害になりかねない。行かない方がいい、行った方がいい。僕の中で天使と悪魔が囁きあっていた。
『奏汰、行かなくてもいいのか?』
声が聞こえた。周りを見渡しても聞こえるのはサイレンと泣き声だけなのに確かに声が聞こえた。
『奏汰だったら、できる。だって、この学校のこと一番詳しいのは君だろう?いつも、一人になりたくて捜し歩いていたんだから』
間違いない、この声は、日向だ。
「日向、何で……」
呟いたって返事はない、当たり前だ。彼はもうこの世にはいないのだから。
『奏汰、会えなくても聞こえてる。俺は、近くにいるから。だから、大丈夫。煌を助けに行こう。あいつも、俺の友達だ。奏汰、もう分かっているだろう。お前は、一人じゃないってこと』
日向、僕はどうすればいい、どれが正解なんだ。
『正解なんてものはない、奏汰が後悔しない答え。それが、きっと奏汰の正解だ』
握っていた携帯のストラップが手にあたり気づく。このストラップは生前の日向からもらった物だった。近くにいる、彼は本当に近くにいたのだ。
「ははっ、物を大切にしていたら付喪神が宿るっていうけど、それかよ…」
日向、君は今でも僕の太陽だ。その太陽が沈んでも星が現れて僕たちを照らしくれる。そんな君だから、僕は君と友達になりたいと思ったんだ。僕は息を吐き、再び電話をかけた。
「新崎、まだ生きてるか。苦しいのなら返事はしなくていい。出来る限り姿勢を低くしてくれ。それから可能なら、その音楽室の隣に、理科準備室があるそっちに移動してくれ。直ぐに向かう。僕はこのまま電話を繋げているから」
今、見えている、分かっている情報を整理し、正面玄関から移動し、裏口に向かう。学校関係者しか通れない、この入り口は道が狭いこともあり、消防車の影はなく、勿論人もいなかった。ここは、人目を避けていた僕のお気に入りの場所でもあり、日向が言ったように、僕の知識は役に立っていた。
「か、なた。聞こえたから、移動した。さっきより、煙がつよくて」
「いい、分かったから何も言わないで」
校舎に近づけば思ったよりも火事は延焼していた。僕は、脳内で地図を思い出し、一番近くにあった消火器を片手に持ち、彼がいる教室に向かう。校舎内に入れば、煙が充満しており、少しでも吸い込めば、むせこむくらいだった。階段を上がり、二階に上がっても火の気はなく、僕は持っていた消火器を投げ捨て新崎を探した。
「新崎、どこだ!」
西館は、廃材なども多く、人気がない。だから、僕は気に入っていた。けれど、火災が起きたらそこはもう燃えるだけのただのごみ置き場だ。僕は指定した通り、理科準備室の扉を開けた。開けたその時、倒れている彼の姿が見えた。
「煌っ!」
名前を呼び、彼に駆け寄る。どうやら、目はうっすらと開いており、意識があることは分かった。
「奏汰、やっと名前呼んでくれたな」
力ない顔で笑顔を作る彼の姿は今にも死にそうな人が浮かべる笑みではなかった。
「煌、君がここまで馬鹿な奴だとは思わなかった。急いで逃げたら、無事に外に出られたのに」
「だってよ、これ落としたの。きづいて」
彼が握っていた手を開けばそこには僕携帯と同じストラップがあった。
「日向の声がきこえた」
「うん、僕も聞こえた」
だから、だから早く。
「生きてここを出よう、煌」
「ああ。それにこの格好じゃ、あの時と逆だしな…」
「何か言った?」
「なんでもない、悪い奏汰、肩貸してくれ」
ぐだっとした彼の体を支え、来た道を戻るのではなく、窓際に向かう。
「奏汰、まさかと思うけど」
「ここは二階、火の手は上からきてる。この煙の中動けない君を背負って、階段を降りるのは困難だ。でも、この高さだったら、死にはしない」
僕は煌を抱きかかえ、熱くなった窓を開けた。その瞬間、痛みが走ったがそれを気にしている時間は僕らには残されてはいなかった。
「煌、歯を食いしばっといて、舌噛まないように」
煌が準備したのも見て、僕は体を窓からだし、重力に体を預けた。コンマ数秒後、ぼすっと音がして、視界が緑に染まる。
「生きてるか、煌」
「ごほ、ごほっ…、痛くない、どうして…」
状況がつかめていない、彼に説明をする。
「ここ西館は普段僕たちが使っている本館のすぐ隣にあるけど、その間には中庭がある。だから、木の植え込みに飛び込めば、二階なら怪我しないって」
僕は煌よりも先に立ち上がり、彼の手を引く。
「さぁ、煌。先生たちがいる校庭に行こう。歩ける?」
「奏汰がいるなら歩ける。肩、貸してくれるだろう?」
その返事に答えはせず、無言で肩を差し出す。それを見た彼は笑い、ゆっくり校庭に向かい歩き始めた。
校庭に着けば、先生が駆け寄り、学校を休んでいた僕が何故ここにいたのか。取り残されていたと分かっていた煌が何故、僕と一緒なのか、尋問のように聞かれた。案の定、僕らは先生に、そして僕は追加で消防にも怒られた。当たり前だ。僕も馬鹿なことをしたのだから。煌はもちろん、僕も大事をとって病院に検査のため送られることになった。僕の手の火傷はたいしたことなかったが、煙を吸い込んだ煌は念のため、入院をすることになった。
「でも、まさか本当に奏汰が助けに来てくれるなんて思わなかった」
翌日、火災があった学校は休校になり、テレビは半年以上続いていた放火犯が捕まったというニュースで持ち越しだった。僕は、煌のお見舞いに病院を訪れており、報道ニュースに耳を傾けていた。
『警察関係者によると、情報提供により犯人が捕まったそうで…』
「あ、煌のことだ」
「僕は何もしてないよ。警察がしっかり仕事をしただけ」
「いやいや、目泳いでるし、嘘つくの下手だよな、お前」
病床の上で、笑う彼は昨日まで死にそうになっていた同一人物とは思えなかった。
「僕は、まあ。少し、手を貸してあげただけだよ」
僕たちの高校を放火した犯人は例の連続放火犯だったようで、ニュースは連日報道していたこともあり、それなりの情報が出回っていた。そのため、僕が情報をプロファイリングし犯人を特定したのだ。そして、その情報を流したところ、こういった結末になったのだ。
「奏汰なら、その頭を使って、探偵とか出来そうだな」
僕の前でにっこり笑みを浮かべる煌の姿を見て、僕はずっと疑問に思っていたことを投げかけた。
「それよりも、一つ聞いていいか」
「ん、なんだ?」
「昨日、言ったよね、あの時と逆だって。もしかしてだけど、僕たちってどこかで会ったことある?」
「はぁ?お前、今思い出したのかよ。遅いにもほどがあるぜ」
「じゃ、やっぱりあの時僕を止めてくれたのは…」
「おっと、礼なら一緒に日向に言おうぜ。俺は、確かにあの時は、日向にお前のことを頼むって言われたから、お前を助けた。日向がいつも話していた、奏汰ってどんなやつだろうって思ってたからな」
「それは、最悪な出逢いで悪かったね」
過去のことを思い出し、拳を握る。僕がしてしまった過ちは消えることはない。それでも、それを乗り越えて僕は生きていくんだ。
ふと扉が開いた廊下を見れば白衣をきた人たちが頻りに通っていた。
「奏汰?」
視線を煌に向け、言葉を紡ぐ。
「今度、一緒にお墓参り行こう、今回のことも合わせて、お礼を伝えに。そして僕は改めて、日向に伝えるよ。医者になるって。今なら、ちゃんと胸を張って言える。誰かを救う医者になる。これが叶えば、僕はやっと、僕を救ってくれた、日向。そして、煌。君と同等に肩を並べて歩けるはずだ」
「ははっ。なに言ってんだよ。もう、一緒に歩いてるだろ」
笑う彼につられて頬が自然と上がる。
「そうだった。だって、僕たちはもうれっきとした友達だ」
春風が吹く中、スーツに身を包んだ二つの影があった。
「まさか、志望校を僕と同じ国立にするなんて思わなかった」
「奏汰君が一人は寂しいって言うから、俺、頑張ったんですー」
僕の隣で、同じ案内表を持つ煌は、無事大学に受かっていた。そして僕はついこの前、同じ大学を受けたことを知らされたのだった。
「でも。俺、感動したよ。奏汰が、自分の親に泣きながら訴えたの」
「そのことは忘れてくれ!本当に、タイミングが悪いときに家に来るんだから」
「誰かを助ける、助けたい。だから、医学部に通わせてくださいなんて、かっこよすぎかよ。まぁ、とにかく四年間、同級生よろしくな。あ、奏汰は六年だったな」
「煌、君こそ留年しないで四年で卒業しなよ。でも、大学院行くのなら六年だな」
「あー!また、受験かよ。まぁ、やばかったら頼むぜ、奏汰先生」
「僕は、教師じゃなくて医者として先生になるから、頭は無理だけど体の方なら治してあげるよ」
「なんだと、いま馬鹿にしたな!こうしてやるっ」
「おい、ばか、煌。人前だ、擽るなよ……!」
僕らは大学に道が続く桜並木を歩く。風が吹くたびに吹き上がる花びらに心が高鳴りながら、僕たちは日の当たる道を歩き始めた。
影、陽にあたる 柊あか @yurun39
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