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 新丸町に向かった。

 新丸町ほど中流と低層の差がわかりやすいところはない。一本の道をはさんで、北側の斜面には真新しい住宅地、南側には築数十年の平屋がごみごみと集まっている。中村邦彦なかむらくにひこが住んでいたのは南側の一角だった。上田の食堂で三番めに長く勤めていたという男だった。五十ほど、背は高く、肉が詰まっている身体つき、周囲が腫れあがった細目、長い鼻、松皮のような皮膚、大きく粗野な手をしていた。

 家はひとりで住むには広すぎるくらいだった。指輪をしていたが、妻や子供の気配はなかった。

 松永は用件を伝えた。上田はだれかに恨みを買うようなことはなかったか、という内容だった。

「いいや、そんな人ではなかったはずですよ」中村は首を振った。「大将は俺みてえな貧乏たれにも優しかったですし、十年前──いやあ、ちょいと恥ずかしい話なんですがね──嫁と子供に逃げられたときも、親身になってなぐさめてくれたりしました。博打で借金こさえたときなんか、ぶん殴られはしましたが、涙ながらに説教して、借金をぜんぶ払ってくれたりもしました。大将には一生足向けて寝れませんや」

「では、そういう噂など聞かれたことは」松永は録音機を向けなおした。

「いや……あ、いや!」中村は目を見開いた。「いつだったかな、いっぺんはげしい口喧嘩してるの聞きましたよ。ありゃあ、極道の喋り方だった。たぶん、鶴見か牧村のどっちかだ」

「なるほど」松永は頭を掻いた。吐息とともにつぶやく。「こりゃお定まりな記事になるな」

「じゃあ」私は割って入った。「上田さんは、奥さんとはうまくいってらしたんですか」

「おかみさんと?」私のほうを向いて、「さあ」首をかしげる。「いっしょのところなんて見たことないですからねえ。おしどり夫婦だとはよく聞きましたが」茶をすすり、ひと呼吸おいて膝を叩いた。「あ、こりゃ噂ですがね──おかみさんが若い男といるところを見たって話なら、いっぺん聞きましたね。いやあ、そういうことってホントにあるんだなあ」

「なるほど」私はうなずいた。「では、神村という人はご存知ですか。工務店をやっているという」

「ああ、あのたかり屋」中村は口を曲げ、苦い顔を作った。「しょっちゅう大将のところにカネをせびりに来てたな。大将は人がいいから貸してたけど、情けなかったね。下手なおべっか使ったりしてさ。そのくせ大将がいねえところでは、大将の悪口ばっかたれやがるんだ。きっといまごろ、町じゅう根も葉もない話を広げるのに精をだしてるはずだよ」

「なるほど、ありがとう」

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