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 アイスコーヒーを干し、商工会事務所にむかった。事務所は川をはさんだ反対側──上田の食堂の四軒ほど隣にあった。二階建ての狭くるしい建物だった。内装はおさだまりの事務所風で、カウンターの前にははげの目立つソファーと、毛布がかかった石油ストーブがあった。人は四人いた。事務員の女が三人、身なりと身体つきの貧相な男がひとりだった。

 事務員が声をかけてきた。私は上田と同期だった作家だと名乗った。

「上田くんは、商工会の幹部だったとか」

「ええ、代表もなんどかやっていただきました」

「じゃあ周りの信頼は厚かった?」

 背後から笑い声が聞こえた。ふりむくと、貧相な男がくつくつと肩を揺らしていた。左の臼歯がなく、そこから紫煙が洩れだしている。

 男は私の顔を見て、「笑わしちゃいけねえや。どうして俺たちが中日ファンのあの野郎を信頼せにゃならねえんだ」

 私は眉をひそめて、「なんだって?」

「カネだよ」男は右手の親指と人差指で円をつくった。ゆらりと立ちあがって、私の前まで進んだ。「あいつは悪どいやつだった。鶴見の太鼓持ちをやっていたと思ったら、牧村のお得意さんになっていやがった。貧乏人にいい条件でカネを貸してやったと思ったら、尻の毛まで剥いてほんもののスッカラカンにした。やつはくそったれだ」

 男の息はひどく酒臭かった。私は顔をそむけながら、「わけがわからんね」事務員のほうを見て、「誰なんだ」

「神村さんです。工務店の」困惑した声だった。「いつも用もないのにここにくるんです」

「そんなことになってんのは俺だけじゃねえぜ」酔っ払いは続けた。「酒屋の米田もな、あいつが牧村の酒をばらまくようなって、いまじゃ手前の売り物を手前で呑むようなって、嫁に逃げられた。みんな上田が悪い」

「おう神村さんよ」私は訊ねた。おだやかな発音だった。「すると、上田のやつは方々から恨みを買うような真似ばかりしていたってことかね」

「おうとも」神村は胸を張った。よろける。

「そうかい」私は微笑んでうなずいた。「じゃあ龍崎琴美って女は知ってるか」

 米村はうっとりしたような目になって、「あんな観音さま、マリアさまはいねえな」すこし黙って、けわしい表情にもどった。「だがよ、俺も米田も吉岡も、やっこさんにカネを吸いとられたのが元で貧乏しとるんだ。それもこれも、上田のあん畜生が、しつこくみんなに自慢してまわりやがったのが悪い」

「どういう風に」

「てめえのかかあに満足してねえなら、いっぺんでもお世話になったほうがいいってな」背中ごしにカウンターに両肘をつき、頭を上下させる。「冷やかしのつもりで行ってみたら、心の骨まで抜かれちまって──見ろ」左手を差しだした。こまかく震えていた。「このざまだ! ペンも持てねえ。おかげで商売もできねえ」

「そうかい、そら大変だったね」私はいった。感情はこもっていなかった。「ところで、上田は嫁さんとはうまくいってなかったのか」

「知らねえよ」神村は吼えた。涙目になって、「それより俺の嫁はなあ……」

 事務所をあとにした。酔っ払いから得られるものはすくないようで多いし、多いようですくない。

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