12
〈リヴィエール〉に戻った。客は三人──常連らしき老人ふたりと、銀行員の上野だった。おやじは私を見るなり、いつもの渋い顔になった。
「よお」おやじが声をかけてきた。口の端を歪めて、「上田のことはなにかわかったかい」
「いいや、ボウズだ」カウンター席によじのぼり、アイスコーヒーを頼んだ。
煙草に火をつけ、上野のほうをみる。彼は振りむいて、カップを唇からはなすと、好意的な表情をつくった。「やあ、どうも」
私も笑顔をかえして、「やあ、さっきはすまなかったね」
「いえ、なんだかサスペンス・ドラマみたいで楽しかったですよ」
「むかし熱中したもんでね」私はいった。おやじがアイスコーヒーを運んできた。ひと口すすって、「ものを訊ねるときはついそんな口調になっちまうんだ」
すこしのあいだ談笑した。コーヒーが半分ほどになったところで、私は切りだした。
「ミス・龍崎について、もうすこしくわしいことを話してくれないか」
「会いにゆかれるおつもりで?」彼は訊きかえした。
「そんなところだ」
「噂は知っていますか」
「カネ次第で極楽浄土に連れてってくれる観音様だということは」
笑って、「そうです、その通りです」カップをおく。「第一印象は、ちょっと高めの風俗のナンバー・ワン嬢を見たときとなんら変わりないと思います。でも、自分でも気づかないうちに──説明もなにもつかないうちに──完全に心をゆだねていて、自分の人生を語ったり懺悔したりして、こってりしてもらったあとは極楽往生したような気分になっているんです」両眉の隅をさげて、「そうして酔っちまうんです。財布も貯金もすっからかんになっても、酔いしれてしまうんです。まるで麻薬中毒みたいに」
「バイロンの詩にあるような女ってわけか。ご忠告ありがとう」私はいった。吸殻をつぶして、「しかし、君はどうやってそんな情報を仕入れたんだ」
「友人が三人ほど、実際に破産しましてね」ため息をついた。「カネを貸してくれとすがりついてきては、みんな同じようなことを言っていましたので」
「なるほどね」私は息を洩らした。「カネと精を吸いあげる悪魔みたいなもんか」
「まさにカネの亡者とはあのことです。だから、いまでも付き合いがあるのは、鶴見や牧村の羽振りのいい連中ばかり。死んだ上田さんも、けっこう長く付き合いがあったみたいですね。しょっちゅう小切手を出してました」
「破産した連中は、彼女を恨んだりしていないのか」
「いいえ」上野は首を振った。「恨んだりはしていないんです。人生を破滅させられたというのに、不思議なんですが、恨んではいないんです」
「さしつかえなければだが、その龍崎で破滅した友人がどんなやつなのか、教えてくれないか」
上野は訝しげで不快そうな表情になった。「どうしてそんなことを訊くんです」
「取材対象は多いほうがいいからね」私はそっけなくこたえた。
「あなたには人の情というものがないんですか」とがめるような、あきれたような口ぶりだった。「どん底のどん底に堕ちた彼らにも、名誉ってものがあります」
「わかったわかった」私は苦笑を浮かべた。両方の手のひらを見せる。「すまない。火事にとびこむ猫みたいなものでね、好奇心を抑えられない悪い癖なんだ」
「これだからブン屋は」つぶやく。残ったコーヒーを干し、上着をもって椅子を鳴らした。「失礼します。休憩が終わりそうなので」
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