私は〈リヴィエール〉の親父に上田の家の所在を訊き、原付を借りて向かった。国道を曲がらずに県道に入る。県道から川沿いの傍道にそれ、桜の並木を進んだところに上田邸はあった。三階建てのコンクリート住宅で、木造二階建ての家が併設してある。広い庭があった。庭の一部は駐車場になっていて、すこし離れたところにちょっとした浴場があった。近隣の住人だろう。私が着くと、そこから老人が三人ほど出てきた。

 駐車場にはパトカーが一台停まっていた。私はその隣に原付を停め、玄関に行ってチャイムを押した。帽子をとって待っていると、甲高い犬の鳴き声が聞こえた。縁側の窓のむこうで、小型犬が喚いていた。すこしすると、女が出てきた。老齢にさしかかりつつあった。家政婦らしかった。

「こんにちは」私はいった。かしこまった態度だった。「わたしは慶次さんの学生時代の友人でして、不幸を聞いて駆けつけたのですが、奥さんはいらっしゃいますか?」

「ええ」家政婦は呆気にとられたようにうなずいた。「でもいまは……」

 中から声がきこえた。品のある女の声だった。「梶本さん、どなた?」

 家政婦は振り向いて、「旦那様の学生時代の友人だという方が」

 擦るような足音が近づいてきて、ドアがもうすこし開いた。喪服に身をつつんだ女だった。目鼻立ちは整っているが、美しさの盛りは五年ほど前に過ぎていた。上田の妻の聡美さとみだった。

 私は帽子を胸に当てて頭をさげた。

「聡美さん、ですね」

 未亡人はうなずいた。

「わたくし、旦那さんの学生時代の友人の平井という者で、このたびはお悔やみ申し上げます」

「ああ、どうもありがとうございます」

「実はわたくし、探偵業を営んでおりまして、なにかお役に立てればと伺った次第なのです。ああ──もちろん、謝礼などを要求したりはいたしません。親友のためですから」

 未亡人は、疑いなく私を家に入れた。彼女は毅然としていた。夫の死を、まだたちの悪いジョークぐらいに受けとっているようだった。

 応接間には、長田炭義がいた。腰巾着の警官と刑事を従えていた。長田は未亡人が紅茶を運んでくると、なんとか制服におさめた肥満体を揺らして傍までより、彼女の手から盆を丁寧にとった。優しげな微笑みを浮かべて、着席をすすめた。そのあとから私が入ってくると、表情は固くなった。左目をすぼめ、右の眉と瞼を吊りあげる。下唇はすぐにでも罵詈雑言を発するためにすこしだけ垂れさがっていた。

 未亡人はソファーに腰掛けると、私を紹介した。

「その方は夫の学生時代の友人で、探偵をやってらっしゃる方なんです、長田さん」

 長田はゆっくりと首を上下させ、「そうですか」怪しむ表情に変わりはなかった。

「上田君に久々に会わないかと連絡を受けましてね」私はいった。「ゆうべ、ホテルで会ったばかりなのですが、まさかこんなことになるとは」

「ホテルで会ったあとは」部屋の隅に立っていた刑事──茂木健士郎もぎけんしろうがいった。背の高い、がっしりとした色男だった。「なにをしていたんだ」

「会って一分も経っていないのに、俺が犯人だって言いたいのですか、刑事さん」私はいった。短く笑って、「アリバイなら、ホテルのフロントが証明できますよ。ゆうべ別れたあとは、部屋に戻って寝ました。それに、理由もない」

「どうだかな」

「やめんか、茂木」長田がいった。私のほうを見て、「それにあんたも。奥さんの前だぞ」

 私は未亡人に頭をさげた。

 未亡人と長田に名刺をわたす。〈宇山探偵社 調査員 平井三十郎〉と印字してある。もちろんこれは偽名である。その後、世辞が飛び交う。途中、家政婦が私の紅茶を持ってきた。彼女の目は、まだ訝しげだった。長田や茂木の目も同じだった。彼らは頭から名刺を信じていなかった。警察という生き物の特性だった。カラスを白だと思えば、徹底して白だと思いつづける。

 長田は、未亡人に対してはあくまで紳士だった。ことあるたびに、気をしっかりと持ってください、なにかあれば私が力になりますので、と囁いた。目には色があった。

 彼の口説きはくどかった。私は灰皿に煙草をすりつけると、強引に切りだした。

「ご主人は昨日、ゴルフ・コンペに行かれましたね? そのあと、家には戻ってこられたのですか」

「ええ」彼女はいった。「でも、バッグを置くとすぐに出て行きました」

「どこへ行かれたとか」

「銀行がどうとか言っておりました。早口すぎてよく聞きとれませんでしたけども」

「なるほど」私はつぶやいた。右の親指と人指し指で鼻を揉む。「なにか、恨みのようなものを買っていたとかは、ご存知ですか」

「いいえ」未亡人は首を振った。「たしかに主人は儲けていましたが、そのような話は、私にはしませんでした。聞いたこともありません」

「悪癖などは。たとえば、ギャンブルや酒など、トラブルの元になるようなことは」

「ギャンブルの類はわかりませんが、お酒はよく呑みました。でも、それは家でだけのことで、余所で呑んで来るときは、いつもほろ酔い程度で帰ってきました。そもそも、主人はお酒で暴力的になることのない人間でした。口数が増えるぐらいでした」

 上田が、妻に対しては良き夫だったということしか判らなかった。私は話題を変えた。

「次の質問は──もし、お気に障るようでしたらお答えしなくて結構なのですが──奥様、あなたは昨晩、なにをしてらっしゃいましたか」

「こら、貴様」長田が顎の肉を揺らした。「失礼だろうが」

「いえ、長田さん、いいんです」未亡人がとりなした。「この方は私の潔白を証明しようとしてくださっているのです」

 長田はばつの悪そうな顔をして呻いた。ソファーに身を預ける。

 未亡人は私の目を見てこたえた。

「昨晩は、二十二時ごろには床に入りました。アリバイは家政婦の梶本が証明できます。彼女はここに住込みで働いておりますので」

 私たちは上田邸を出た。長田は玄関先で未亡人の手を握り、くどくどと慰めの言葉をかけつづけていた。茂木はパトカーに寄りかかって、眉をひそめて上司をながめていた。

「おまえさんの上司は、なかなかの色呆けだな」私は声をかけた。

 茂木はだらんと下唇をさげて、片頬を歪めた。「『長田の八双飛び』っていってな、有名なのさ。決まって熟年の、独り身の女に手を伸ばそうとするんだ。おっさん今年で六十だぜ? お盛んなこったよ。俺も女は好きだが、ああはなりたくないな」

「まったくだ」私は鼻を鳴らした。「ところで、上田は銃弾を三発喰らってくたばったと聞いたんだが、具体的にどのあたりにぶち込まれてたんだ」

「肩に一発、腹に一発、膝に一発だ」茂木は胸ポケットから巻き煙草を取りだし、火をつけた。「親友の御尊顔を仰ぎたきゃ、署に来な。俺かおっさんの名前を出せば通してくれるはずだ。渋れば金を握らせればいい」煙ごしに私の顔を見て、薄笑う。「もっとも、そのとき俺の虫の居所が良ければの話だがな。おまえはいまいち好かん」

「安心しろ、俺もだ」

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