煙草を二本やると、一階のバーに向かった。電球色の灯りに紫煙がたちこめていた。窓際の席では、プレイを終えた客たちがコーヒーやビールを愉しんでいた。カウンター側はすいていた。私は脚の長い椅子によじ登ると、琥珀色に輝く棚からスコッチを注文した。バーテンの態度は良くも悪くもなかった。煙草を咥えると、ショットグラスがきた。一口吸い、唇を湿らせる程度口にふくんだ。舌の上で転がし、喉に流す。鼻の奥にいいスモーキー・フレーバーがひろがった。

 玄関のほうがにわかに騒がしくなった。わずかに罵声も聞こえる。

 ひと席あけたところに坐っていた男に、私は声をかけた。男はがっしりとした身体に、皺だらけの紺のスーツを着ていた。顔は太っていた。髪は茶色に染め、右に流している。唇はほどよく厚く、目は小さい。歳は三十は越えていそうにない。目のあたりに新鮮な疲れの色があった。プレイをひと通り終えた後らしかった。

「玄関のほう、なんかあったのかい」

「ああ、鶴見組の幹部連中と牧村の一味がはちあわせたんだろうよ」男は土地者の訛りだった。眉をすこし寄せて、「あんた、東京?」

「ああ、今日ここにきたばかりなんだ」

「なんでまたこんなところに」

 私は名刺ケースからホテル評論家という肩書きのものをつまんだ。「こういうもんでね」

 男は名刺を見ると、手を差しだした。

上田慶次うえだけいじだ。この町で何軒か飲食店を経営している」

「よろしく」私は手を握りかえした。「話には聞いていたが、ここだけは極道者の夏が続いているんだな」

「安心しな」上田は腰をあげて、私の隣に坐った。「ここは数少ない中立地帯だ。ここじゃああやって罵りあうぐらいなのさ」

「なるほど」

 罵声の中から、逮捕するぞ、といった野太い声がした。見ると、鶴見側に太った男がいた。不健康な太り方だった。白っぽいゴルフ・ウェアに、深緑のベストを着ている。乳白色のズボンは太く短い。声を発するたび、顎の肉が波打ち、大きな鉤鼻が上下している。

 上田は鼻を鳴らした。太った男を指差し、「あれがこの町の国家権力サツだぜ」

「すると、あれが警察署長の長田炭義ながたすみよし

 長田の登場により、騒ぎはおさまりつつあった。上田は続けた。声は嗤いを抑えたような調子だった。

「ああやって鶴見側でいばっちゃいるがな、明日には牧村側で大きな顔してんだ。そりゃそうだ。あの両方が気張れば気張るだけ、手前の懐が儲かるんだからな」

「賄賂?」私は相槌を打った。

「それもあるがな、それだけじゃ大した儲けにはならない。牧村の密造酒を横流ししたり、鶴見の商売を保証してやったり、鉄砲を横流ししたりしている。ヤクもちっと売ってるかな」

「密造酒ってのが気になるな。どうしてこのご時世にそんな商売をするんだ」

「酒税だよ」上田はいった。バーテンに何杯目かのビールを頼む。「なんてったっていちばんの悪党は国さ。これからどんどん上がるって話じゃないか。貧乏人にはたまらねえ話さ」ビールを受けとり、私のグラスを指す。「そのスコッチだって、じきに黄金と変わらねえ値になるはずだ」

「で、その密造酒ってのは売れてんのか」

「そりゃあもう」上田は手を広げた。歯を見せる。前歯が欠けていた。「市内にゃ広く出回ってる。労働者の味方だ。公務員だって呑んでる。市販の安酒より安いし、旨いんだ。ここだけの話、うちの店でも扱っている。おっと」口を結び、両頰を吊る。声をひそめて、「ほかの奴には内緒だぜ。立場ってもんがある。俺は組合のまとめ役なんだ」

「もちろんだとも」私は笑顔をつくっていった。

 腕時計を見る。十八時半。食事は十九時からだった。私はグラスを干し、バーテンに二杯目を頼んだ。上田の顔を見る。

「どうだい、一緒に食事なんか」

「せっかくだが、今日は商業組合のコンペで来てるんだ。田舎ってのは、人付き合いが何より重要でね」

 上田と別れると、私はトイレを済ませてレストランに入った。ウエイターの案内に従って、窓際の席についた。窓からは──昼間はゴルフ場と豊かな自然が見えるのだろうが──ちょっとした日本庭園が見えた。小さな灯篭の明かりに、池が浮かび上がっている。灯篭の傍で、鴨が数羽丸くなっていた。

 シャンペンと前菜が運ばれてきた。本格的なフレンチだった。私はいささか場違いな気がしたが、どれも美味かったのでどうでもよくなった。

 食後の紅茶を飲んでいると、鶴見組の一団がやってきた。一団は私のすぐそばの席に腰をおろした。テーブル・マナーは心得ているらしく、皆上品ぶっていた。私は彼らの会話に聞き耳を立てた。が、彼らは今日のプレイの話しかしなかった。

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