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タイル敷きの小路から国道にでた。川沿いの工場らしき建物の陰で、五、六人の男がもみあっていた。そのうち三人の得物は長物だった。ひとりの手が飛んだ。刀剣の類が混じっているらしかった。車が動きだし、乱闘は見えなくなった。腕時計を見ると、十五時過ぎだった。腹が鳴った。
「宿泊先まではどのくらいかかりそうだ」私は訊ねた。
「だいたい三十分くらいです」
「このあたりで、どこか軽食のとれるところはないかね」私はいった。腿にずっしりと乗った腹をさすって、「朝にサンドイッチを食っただけなんだ」
「それなら、いい店があります」松永はいった。ミラーに微笑がうつる。「寄りますか?」
私はたのむ、とだけこたえた。車は急旋回して、タイル敷きの小路にはいった。新聞社の傍道と通じているらしかった。橋を渡ったところに喫茶店があった。木造の小さな建物だった。看板には筆記体で〈リヴィエール〉とあった。古き良き喫茶店といった具合だ。
入口のガラス戸を押すと、ベルがなった。奥の席で煙草をふかしていた二人の老人が振り向いた。おびえるような目をしていたが、私と松永の姿を見ると、訝しげな目に変えた。私たちはカウンター席に腰かけた。店主はいなかった。シーリング・ファンが静かに回っている。
「マスター」松永は身を乗り出していった。
裏の暖簾から老人が顔をだした。禿げあがった、小柄な男だった。渋柿のような顔つきをしている。松永の気どった微笑を見ると、より皺が深くなった。好意のない表情だった。
「なにしにきやがった」店主は呻いた。
「お客様をお連れしたんですよ」手で私をしめす。目を動かして、「なんにします」
「コーヒーと、なにか軽食を」私はいった。「適当なものをみつくろってください」
店主は値踏みするような目つきで私を見た。口を曲げ、鼻を鳴らす。「こんな時間じゃ冷や飯しかねえよ」
私はかまいません、とこたえた。
「私は紅茶を」松永がいった。「ストレートで」
老人は毒づくように鼻を鳴らし、裏に入っていった。
松永は口を結び、ゆっくりと首をふった。
「ずいぶんよく思われていないようだな」私はいった。マッチを擦って煙草をふかす。
「悪い人ではないんですよ」松永も煙草をふかした。ヴァニラの香りがした。「ただ気むずかしいだけで」
私は鼻を鳴らした。「そういうもんかね」
「まあ、あのマスターは、我々のような暗部に片脚をつっこんだ手合の者を嫌っている節があるのも、一因なのでしょうが」
「俺もブン屋は嫌いだ」
松永は吐息をついた。「ブン屋が好きな人間はいませんよ」
煙草を端まで吸うと、店主が出てきた。好意のない表情は変わらなかった。私の前にコーヒーとトーストをおき、また裏にまわって紅茶を運んできた。松永は礼をいった。店主は聞こえないふりをして、コップに水をついで飲んだ。
トーストはほどよい焼き方だった。コーヒーは旨かった。
「旨いね、ここのコーヒーは」私はいった。
「ふん」店主は眉間に皺を寄せて、「東京のものには及ばんだろうがな」
「どうしてぼくが東京だと」
「ばかにするな」煙草に火をつける。「訛りが違わぁ」鼻から煙をふきだす。「おおかたその男のうまい儲け話にのって、のこのこやって来たんだろうが、気をつけな、そいつのところは狐の巣だ。話にのったが最後、尻の毛まで抜かれて鼻血も出なくならぁ」
松永が笑い声をあげた。「ご冗談を」カップをおろし、店主を見た。「うちは健全な新聞社ですよ。詐欺師の結社じゃありません」
「ブン屋と詐欺師のなにがちがうってんだ」店主は犬歯をのぞかせた。皺の中の小さな目が光った。「てめえのとこの記事が囃したてたせいで、この町の若え連中はみんな気狂えになって、ハジキやら長脇差(ドス)やら持ちだして戦争の真似事おっぱじめやがった」
どこからか銃声のようなものが響いた。店主は戸口のほうを見て、歯を食いしばって罵りの呻きを洩らした。
「マスター、それは見当違いというものですよ」松永がいった。おだやかな声だった。「狂わせたのは我が社じゃない。この世をつくった、万能の神様ですよ。そもそも──」
店主はしゃがみ、カウンターの下から散弾銃を持ちあげた。禿げあがった頭は茹でたように赤くなっていた。上下二つの銃口が松永の額をにらんだ。
「出ていけ」店主は吼えた。それから冷静さをすこし取りもどしたような口調になり、「てめえと話してると、俺も気狂えになっちまいそうだ。おとなしく、出てってくれ」
松永は口を閉じ、紙幣をおくと、ゆっくりと両手をあげた。口元は微笑んでいたが、目は冷たかった。蔑むような色があった。私のほうを向き、「すいません、先に車にもどっています。ごゆっくり」
「出ていけ」店主は繰りかえした。
松永は静かな足どりで出ていった。
私はトーストをゆっくりと噛みながら、それらを眺めていた。
店主は私には銃口を向けなかった。カウンターの下にしまうと、煙草をたぐりよせ、ライターをつけた。手がふるえていた。
「意外と、大胆なんですね」私はいった。
店主はゆっくりと私のほうを向いた。虚ろな表情だった。
「ぼくは追い出さないんですか」
「俺が嫌いなのはあいつらだ」店主はいった。煙草を咥え、ティーカップを片づける。「あんたもさっさとこんな町から出ていくんだな。ここの毒気はよその人には悪すぎる」
「いや、そういうわけにもいかんのです」私は懐から名刺ケースを取りだした。適当なものを選び、差しだす。「実はぼくはこういうものでして」
肩書きはフリーのルポライターということにしてある。店主は目を皺の中にうずめて、名刺をじっと見つめた。
「〈杣屋日報〉の連中の噂を聞きつけましてね」私は続けた。「S県のとある地元紙が、必要以上にやくざとねんごろな関係にある。そしてその本拠の町は、西部劇さながらの無法地帯──これは記事にすべきだと思い立って、連中と接触したのです」
「ばかな真似はよせ」店主はいった。名刺を台のうえに置くと、煙草を咥えなおした。「ここは、声をかける前にとりあえず銃弾をぶっ放すようなところだ。忠告通り、早いこと出てったほうがいい」
「だからこそ、ここが気に入ってしまいましてね」私は口の端を歪めた。
店主は目を見開き、「まだわからねえか! ここにいちゃ、命がいくつあっても足りねえと言うんだ」
入口のベルが鳴った。労働者風の老人が入ってきた。奥のテーブルの先客のところまで行き、大きな声で誰かが射たれたといった。
「あのとおりだ」店主はいった。抑えたような口調だった。「毎日のようにあちこちから莫迦がやって来るが、行く末はみんな同じだ。むごたらしくおっ死ぬだけだ」煙草をすりつぶし、「そいつを食ったら出ていってくれ」
私はトーストの切れ端をコーヒーで流しこんだ。帽子をかぶり、立ちあがる。新しい客のビールを注いでいる店主のほうを見て、微笑をつくった。
「また来ます」
店主は舌打ちした。
松永の車に乗りこんだ。車内は紫煙が充満していた。私が腰をおろすと、松永は煙草を消し、エンジンをかけた。
「なにを話されていたんです」松永は訊ねた。
「とにかく出てけとしか言われなかったよ」私は煙草を咥えた。「いい爺さんだった」
「そうですか」
車はふたたび宿泊先へと走りだした。
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