第8話 祝勝会!ドタバタの大連続!?

 映身アバターの傷が癒えてもフィードバックは消えない。没入棺コフィンのおかげで多少は軽減されてるとはいえ、全力で運動した次の日みたいに心地よく痛む体を引きずって、オレは兄貴の待つ家へと向かっている。夕暮れの赤紫色に染まった街に、魔道灯ネオンの色とりどりの明かりが灯り始めるこの時間が、オレはたまらなく好きだ。星の光が届かない街、なんて揶揄されることもあるけど、下町から眺める雑居ビル街の魔道灯ネオンはよっぽど星より綺麗だと思う。

 家が近づくにつれ、漂ってくるのは濃厚なチーズとトマトの匂いだ。今日の夕飯はピザかな。いつもより豪華そうだなぁ、なんてちょっぴり期待する気持ちで玄関の扉を開く。

「ただいまぁ」

 扉を開いた瞬間、ふわりと強く漂うのはバジルのいい香りだ。今日の夕飯は多分ピザだろう。「おかえり」と姿を見せないままに兄貴の声がキッチンの方から聞える。オレは手洗いもそこそこにリビングを抜けて、キッチンを覗き込んだ。

「げっ」

「げっ、てなんだよ! 弟くん酷くなーい?」 

「そうだぞヘンルーダ。せっかく来てくれたのに」

 ひらひらと手を振ってカナヴィにいちゃんが笑う。隣でドヤ顔してるあたり、兄貴が呼んだのだろう。二人から視線をずらしてキッチンの上を眺めれば、所狭しと西国風の料理が並んでいる。

「すっげー! これ全部二人が作ったのか?」

さりげなくトマトのブルスケッタをつまみ食いしようとした手を叩き落とした兄貴を恨めしげに睨みつつ、オレは問う。三人前には少し多いくらいの量だ。

「ああ、カナヴィは西国の料理が得意らしいから手伝ってもらったんだ。ヘンルーダ、確か西国料理好きだっただろ?」

「うん。これってもしかしてオレのために!? でもオレ、特に今日記念日とかじゃないぜ?」

 そりゃ、確かに予選は突破したけど。むしろここからが本番だ。なんて、首を傾げていると。

「いやー、俺達シード組も本戦が始まったらちゃんとした飯食う余裕はなくなるしさ。お前の祝勝会がてら景気づけにな」

 なるほど。スキャンダルが基本もみ消される治安維持部隊ミトゥナ隊でももみ消されなかった最近のスキャンダル曰く、飲むときはそうとう飲むらしい飲ん兵衛のこの二人が宅飲みするための口実にいいように使われたみたいだ。言われてみれば確かに、つまみにもなりそうな料理が多い。

「って、アストは言ってるけど実際はキミの試合中継見て張り切って料理してたんだ。そりゃちょっとは飲むけど大目に見てやって」

 カナヴィにいちゃんはオレに耳打ちしてウインクを飛ばしてくる。基本、兄貴が素直なのはベッドの上くらいだからまあそんなことだろうとは思ったけど。兄貴も不器用なヤツだよなぁ。

「よしっ、デザートのティラミスも完成!ヘンルーダ、机の上に料理運んでくれ」

 祝勝会の主役に皿運ばせるのかよ! とは思ったけど言わない。ここでめんどくさいことになると料理が冷めるし、なによりすっかり腹ペコのオレは料理の誘惑に勝てそうになかったから。

「それじゃあ、ヘンルーダの予選突破と俺達の今後の健闘に、乾杯!」

「かんぱーい!」

 二人はジョッキになみなみと注いだビールを、オレはコップに注いだジュースをそれぞれ持って、軽く掲げる。いただきます、と手を合わせてオレは早速先程手を伸ばしかけたブルスケッタを手に取った。そのまま口に運べばさくさくしたパンの食感にトマトの程よい酸味が合わさって、ニンニクの香りが口いっぱいに広がる。正直、家で食べられるクオリティを軽く超えている出来だ。

 続いて口に入れたのはピザ・マリナーラだ。トマトとバジルにニンニク、アンチョビの匂いがふんわりと香る。口に入れた瞬間、アンチョビの程よい塩味がじわじわと染み出してきて、しっかりと香辛料の効いたトマトソースとの相性が最高だ。ピザは他にもクアトロフォルマッジとか呼ばれるチーズたっぷりのものもある。

 本当に大丈夫なのか、見ていて不安になるペースでジョッキに注いだビールを飲み干していく二人を見ながら、オレはパスタの皿に手を伸ばす。

「そういえば、兄貴。オレは約束を果たしたぜ。なんかご褒美とかねーの?」

 パスタをかっ込み、兄貴の肩に腕を回して絡んでいたカナヴィにいちゃんを一瞥してからオレは問う。オレが大会にエントリーしたあの日、オレと兄貴の間で交わした一つの約束。オレが予選を突破したら兄貴も棄権せず大会に出てくれる約束だったんだけど。オレは強欲だから、貰えるなら『ご褒美』も貰いたいってわけ。

 兄貴はジョッキを置き、顎に手を置いてしばらく思案したあと、テーブル越しについとオレの頬を撫でる。そのまま身を乗り出して顔を近づけると、酒臭い息にオレが顔を顰めることにも構わず、唇を重ねてきた。何やってんだよ馬鹿! とか、酒臭え! とか、カナヴィにいちゃんが見てるんだけど! とか、言いたいことはいっぱいあるんだけど、舌を絡めた時点でどうでもよくなってしまった。酔ってるせいで高めの体温と赤らんだ兄貴の顔は、情事のときのそれに、よく似ていたから。

 結局、兄貴はたっぷり1分近くオレと舌を絡めて、ようやく唇を離した。部屋の静けさが妙に耳に痛くて、逃げ出したい気持ちになる。誰かにキスを見られるのは、これが初めてだ。オレが弁明の言葉を紡げるように早く、口を開いたのはカナヴィにいちゃんだった。

「あーっ、弟くんずるい! 俺もキスはされたことないのに!!」

 ジョッキを置き、カナヴィにいちゃんは兄貴に抗議するように肩を叩く。キス「は」ってどういうことだよ、まさかな、でも妙に仲がいいのは本当だし……そんな気持ちで兄貴を睨めば、まったく悪いと思っていなさそうな笑顔が返ってきた。

「ルーは、俺の特別だって周りに知らしめたいんだろ? 俺何か間違ったことしたかな? キスするのは弟だから特別。何か間違ってるか?」

 そう言われてしまうと、オレには何も否定できない。何より、兄貴が見せつけようとしてくれたのが嬉しかった。まだキスの感触が残る唇に軽く指先で触れる。歪な優越感が心の底からじわじわと湧いてきて、オレはうっそりと微笑んだ。でも、ああ。心の底で感じるほんの少しの悔しさは。弟としてじゃなく隣に並び立つ一人のパートナーとして見て欲しいから。

「そ、特別。悪いな、カナヴィにいちゃん」

 勝ち誇るオレを興味なさげにカナヴィにいちゃんは見返して、どうやら納得したらしかった。相当酔ってるんだろう。結局、その後は特に追及もないまま和気藹々と小さな祝勝会は進んだ。家に帰るカナヴィにいちゃんを兄貴が見送るっていうから、オレは一足先に寝ることにする。今日は試合の直後で疲れてたし、ぐっすり眠れそうだった。

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