第3話 出場辞退!?どうする、ヘンルーダ!!
ぴちゃぴちゃと水音が響く。ずっと歯が当たらないように咥え続けるのも限界で、閉じられない口の端から伝う唾液の感触が気持ち悪い。そろそろ顎も疲れてきたから離しても許されるかな、なんて想いで上目遣いに見つめると、どうやら機嫌を損ねたらしい。上顎の裏を擦って、より奥に靴の爪先が捻じ込まれる。ぐ、と生理的な吐き気を堪えるために口を閉じようとすれば、冷たい声が降った。
「ルー、靴が傷つくからやめなさい」
返事をしたくても、靴を舐めてるから言葉は喋れない。仕方なく喉奥で小さく唸ると満足げに唇の端がつり上がるのが見えた。誰のって、兄貴だ。当然だろ。愛してなきゃこんなことしない。愛してる奴以外の奴の靴を這いつくばって舐める奴がいたらそいつは変態だ。合成皮革の酸っぱいようなしょっぱいような妙な味はクソマズいし、靴底のゴムと歯が擦れ合う感触も不快でしかない。それでも、甘んじて受け入れているのは。
「もういいよ。お前が悪いと思ってる気持ちは十分伝わってきたから」
ゆっくりと口の中から爪先が引き抜かれていく。オレの唾液でてらてらと濡れた黒い靴の爪先。それは妙にエロい眺めだった。ようやくまともに息ができるようになって、ごくりと唾を呑み込む。立ち上がったオレの乱れた髪を殊更に優しく梳いて、兄貴は柔らかく微笑んだ。
「これに懲りたら二度と闇
そう、事の発端は今からだいたい6時間ほど前に遡る。あの女の子の
魔道の基本は想像力、
「
満天の星空に散る薄紅の桜の花びらが視界を覆っていく。桜花絶唱はオレの最も得意とするフィールドだ。その桜舞うフィールドに。
「
「先行はくれてやるよ」
「
桜花絶唱からのお決まりのコンボだ。花びらから星、星から刃へと
刃の嵐が止み、視界に映った
「もう既にだいぶ体の方に
オレの黒い鎧を着た細身の騎士の
「ナマ言ってんじゃねえよ、ガキ。それより、ほら。背後がお留守だぜ」
振り返ろうとした瞬間、頭に猛烈な衝撃。殴られたのか?でも一体いつ
「防御に回す札が惜しいからな。『花嵐は空舞う星、星の光は全て刃』に合わせてこいつを
「『猛撃は止まず、雄叫びは戦場に響く凱歌』か……考えたね」
ガンガン痛む頭に手をやりながら、オレは次の
「どうしたァ?来ねえならこっちから行くぞ」
嘲笑う
「
影を媒介に
「これで終わりだ!
「テメェ!汚えぞ!」
怒声もどこ吹く風。視界に浮かぶ「YOU WIN!!」の表示に満足してオレは
「ただいま。あいつはどこかな。しばらく起きられないと思うから今のうちにキミの
女の子にウインクを一つ、オレは寝かされていた公園のベンチから起き上がる。こっちよ。とかけられた声についていくと、木の根元にのびてるチンピラ風の男がいた。男のポケットを探って女の子の
「ありがとう……でもあんた、何したのよ。すぐ起きられない程の
警戒しきった様子の女の子の前に人差し指を立てて、オレは自分の口元にもっていく。右目を軽く瞑って笑ってみせた。
「しーっ、これはオレとキミの秘密ってことで。じゃ、どっかでまた会ったらその時はよろしく!」
そうやって家に帰るまでは、よくある一日って感じだった。玄関の扉を開いた瞬間、妙に機嫌のいい兄貴が腕組みしてるのを見るまでは。
「ヘンルーダ。闇
完璧な笑顔を浮かべたまま、兄貴は腕を組んでオレを見下ろす。
「警邏に回ってたカナヴィが
「兄貴、ごめん」
しょんぼりと頭を下げたオレの頭に手を載せ、兄貴は目線を合わせるとゆっくりと微笑んだ。
「ルー、本当に、心配したんだからな……」
オレの頭を引き寄せて抱きしめながら、兄貴が小さく呟く。まずい。これは、本当に怒ってる。
「ごめんなさい……」
蚊の鳴くような声で謝るオレに兄貴は小さく首を横に振った。
「明日、制限モデルの
「やだ、兄貴。ごめんなさい。なんでもするから、オレから
懇願するオレに兄貴はしばらく思案するようなポーズをとって、頷く。まだ微笑みを浮かべたままの兄貴が心底恐ろしかった。
「うーん、お前が反省してるのはわかったけど、今後も繰り返さない確証はないし……そうだなぁ。俺の靴とか、舐めてみるか?誠意があれば舐められるだろ、靴」
「……え、でも。それは……」
「嫌ならいいんだ。制限モデルと交換すれば済む話だしな」
こうなった兄貴がオレの話を聞いた試しはない。う、とオレの小さなプライドが拒否反応を示すから、意志の力でねじ伏せて玄関の床に這いつくばる。舌先が、ミトゥナ隊の支給品である合皮の黒いブーツの甲に触れた。
そういうわけで、話は冒頭に戻る。
「あ、そうだ。今年の大会は俺、シード枠だけど棄権するから」
兄貴はオレの髪を慈しむように撫でながら、当然のようにそんな言葉を吐く。年に一度、国内最大規模の
「え……」
オレの困惑も当然だろう。だって、だって。オレが
「えーっ!?」
兄貴は、戦わないと言い出した。
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